ニュース 山崎バニラが語る今回の将棋電王戦について思うこと

はじめに 将棋倶楽部24掲示板 フリートーク ニュース 山崎バニラが語る今回の将棋電王戦について思うこと

このトピックは 1件の返信 を含み、 2投稿者 が参加し、  佐村河内 4/4(金)20:33 によって最後に更新されました。

2件の投稿を表示中 - 1 - 2件目 (全2件中)
  • 作成者
    投稿
  • #2704

    Tukue.R
    参加者

    将棋好きで棋士の方とも交流のある山崎バニラさん。今回も電王戦観戦記を、とお願いしたのですが、残念ながらお忙しいとのこと。そのかわりに、今回の電王戦について思うことを寄稿してくださいました。

    (中略)

    私は2012年の第1回、そして昨年の第2回と、インタビュアーや観戦記者として電王戦に深く関わってまいりました。しかし今年は自身の独演会や地方での活弁ライブが重なるため、電王戦会場にはうかがえません。と同時に、スケジュールの都合がつかなかったことでホッとしている自分がいます。
     昨年の電王戦後、徳間書店より出版された『ドキュメント電王戦』にも寄稿し、プロ棋士、プログラマーの皆さんと著者名に名前が並んだ表紙を見て、電王戦、ひいては将棋界で自分ができることは全てやりつくした達成感がありました。その後、自分でもどうしてしまったのかと思うほど、将棋への興味が薄れ、ほとんど指さなくなりました。これは燃え尽き症候群以外の理由もあるようです。

     プロ棋士がコンピュータに負けても、将棋の魅力は変わらない。理屈ではわかっていたつもりですが、私は人間同士の対局は以前ほど見なくなりました。それは将棋への愛が足りないからだと言われてしまいそうですが、趣味のお話なのでお許しください。当初、電王戦は自動車と人間の競争に例えられ、走るのは車の方が速いが陸上競技の人気は変わらないと言われていました。しかし、肉体を使う運動と頭脳ゲームは、コンピュータとの戦いにおいて根本的に違うと思います。極端な例えになってしまいますが、算数の暗算に置き換えてみます。大会もありますし、勉強することはとても大切ですが、計算機が活躍する現在は、暗算で生計を立てている人はいないでしょう。運動的なことで言えば、今回はロボットアームの「電王手くん」まで登場しました。
    山崎バニラが語る電王戦への思い

     第2局、佐藤紳哉六段vs.やねうら王は、ルールをめぐる解釈の違いや対応のまずさで開催前からプロ棋士、プログラマー、主催者であるドワンゴ、日本将棋連盟、そして視聴者、全てが傷を負う展開となってしまいました。
     私は佐藤六段が主催する会合「SSF(サトウ・シンヤ・ファミリー)」会員番号31(バニラなだけに)で、紳哉先生とは仲が良いです。今回の出来事はたいへん気の毒に思いました。しかし、このことを無駄にしないとすれば、今後、将棋界がどうなっていくのか関係者一人一人が真剣に考えるきっかけをつくったことではないかと思います。

     私は無声映画の活動写真弁士をしております。明治から昭和初期にかけて映画にはまだ音声がついていなかったため、スクリーンの横に座り全役を演じ分けていたのが活動写真弁士です。これがたいへんな人気で全盛期には8000人、「弁士番付」まで発表されました。しかし文明が進みトーキー映画に移行すると弁士の存在は不要となり、現在は十数名ほどです。数年前、とあるプロ棋士の先生が
    「将棋界で上位10人しか生計が立てられなくなったら、自分はその10人に入る努力をする」とおっしゃった言葉が印象に残っています。現在の将棋界はトーキー移行期の弁士の状況にも通じる面があるのではないでしょうか。

     渡辺明二冠はボナンザ(Bonanza)開発者の保木邦仁さんとの共著『ボナンザVS勝負脳』(2007年角川書店)で、「コンピュータに負けるようになったから対局のときは必ず和服を着て、様式美を強調するような方向に進むのには賛成できない」とおっしゃっています。このお気持ちもよくわかり、私も活弁をいわゆる伝統芸能とは思っておらず、今を生きるお客様にいかに楽しんでいただくかを常に考えて台本を作るようにしています。もちろん様式美も大切で、今回の佐藤六段の和服姿はとてもかっこよかったですね。
     プロ棋士には非常に個性的な方が多く、コンピュータにはない人間的な魅力でファンになっている方も多いと思います。しかし、活弁も全盛期の大スターの資料を読むとそれはそれは破天荒で魅力にあふれていましたが、文明の流れには逆らえませんでした。
    山崎バニラが語る電王戦への思い

     第2局の開催直前にニコニコ動画で配信された「第3回将棋電王戦 第2局の対局方法の説明」でドワンゴの川上会長が「来年以降」の開催について明言していたのは意外でした。私の記憶では第2回開催中は次回の開催は未定状態だったからです。少しでも将棋に関わった者としては、将棋界は「来年」のことより「将来」のことを議論してほしいと願っています。開催すべきなのか、すべきじゃないのか私にはわかりません。開催しなくても問題を先送りにするだけであったり、逃げていると思うファンもいるでしょうから、たいへん難しい局面だと思います。実際に今回、よく事情を知らない方々が佐藤紳哉六段ややねうら王開発者である磯崎元洋さんを厳しく非難している声も見かけましたし、そのような開かれた雰囲気がニコニコ動画や電王戦の興行的な長所でもあると思います。

     羽生善治三冠は将棋が完全解析された場合「ルールを一個変えればいいんです」と答えたそうです(『ドキュメント電王戦』より)。それで私のようなライトな将棋ファンの情熱が戻るのかもわかりません。たいへんお世話になった将棋関係者様、コンピュータ関係者様には感謝の気持ちでいっぱいです。だからこそ今私が考えていることを書いてみました。昨年は2代目の自作パソコンを組んだばかりで、コンピュータへの興味もなくなったわけではありません。燃え尽き症候群が終われば、また落ち着いて将棋盤に向かう日が来ることでしょう。そして現場ではなく、自宅で作業しながらダラダラ流す電王戦中継のおもしろさも知った次第です。

    ソース http://weekly.ascii.jp/elem/000/000/209/209935/

    #2744

    佐村河内
    参加者

    せっかく書いてもらって消えつつあるので再浮上目的で記入します。
    ということで、Tukue.Rさんの記述とは少し離れます。

    コンピュータの開発力が進歩している中、羽生善治さんの将来の国民栄誉賞受賞が遠くなることを少し心配しました。
    永世資格一つで紫綬褒章受賞が一つの相場になりつつあると思うのですが、羽生善治さんは国民栄誉賞レベルの活躍をしています。
    しかし、受賞時に将棋ファンではない一般人に「将棋棋士よりコンピュータの方が強いんだろ?」などと思われ、受賞の弊害に
    ならないのかが心配です。
    将棋ファンは、コンピューターソフトがどうであれ、棋士の凄さは分かっていると思いますが・・

2件の投稿を表示中 - 1 - 2件目 (全2件中)

このトピックに返信するためにはログインしなければなりません。