ふたつ書きます。
「余詰」
作意(作者が作る段階で正解とする詰み手順)と異なる詰み手順があった場合、それを余詰といいます。
第2問は「余詰でした」とあります。
第4問も、実戦詰将棋ですから作意などあるはずがないのに「余詰めの可能性があります」となっています。
他にも余詰という言葉が出てきますが、どういう意味で使ってるのかわかりません。
例えば将棋の自慢話をしている人が「将棋を打つ」と言ったり、
沢山将棋の本を読んで勉強しているという人が「定石」と書いてるのと同じような印象を受けます。
「詰将棋の正解発表は必要か?」
私は詰将棋に限らず、問題を出題したら正解発表をするのは義務、というくらいに思っています。
ドラマ、小説、音楽、スポーツ、落語、みんなラストがあります、
ドラマ、小説、音楽は起承転結が基本で落語は落ちがあります、
スポーツは勝敗や順位がきまります。
これらを途中で止められたら気持ち悪いですよ。
問題を出されて、答えを発表してもらえないのもこれらと同じで気持ち悪いですよ。
だからラストを作るし、問題を出したら答えを発表するのです。
答えを知りたければソフトで調べたらいいのではという意見もありますが、そういうことではないと思います。
出題するということは時間を使っていただいて考えてもらうということですからね、
ただ読んで終わりじゃないですからね、なのにそのまま放置はありえないでしょう。