大河ドラマを見てはいないですが、あの主人公にしてそこからのスタートは、ほぼ妥当な線でしょう。
私の故郷信州と深く関わる話ですが、真田氏が世に出るのは、幸村(古くは真田信繁を名乗っていた)の祖父・真田幸隆氏が一族を連れて信玄(当時は武田晴信と名乗っていた)に従った時からで、その時以来、”夜襲・奇襲・城乗っ取り”が真田氏の”三大お家芸”として、当時甲州(山梨県)から信州(長野県)征服を目論んでいた信玄(武田晴信)に寄り、重用されていきます。
信玄の死(1573年=元亀三年/天正元年)後、1575年(=天正三年)にあった、あの日本史教科書に必ず出てくる”長篠の戦い”(当時の文献では”設楽が原の大会戦”。名前を”長篠の合戦”と決定したのは、旧日本軍大本営陸軍本部)にて、幸隆の長男・次男真田信綱・昌輝兄弟が戦死した都合上、それまで武藤家の養子になっていた幸隆の三男、武藤喜兵衛昌幸が旧真田氏に復し、真田左衛門之丞昌幸(真田昌幸)と名乗り、信玄の跡取り武田勝頼の軍師として、重用されていきます。その次男が真田大助、後に真田信繁、最後は真田左衛門之丞幸村となる、物語の主人公です。
以上、簡単に述べてきましたが、幸村が世に知られるのは”真田幸村”時代の後半生の更に最後の部分のみで、父昌幸が武田氏に属していた時代、その後武田家滅亡後に”真田信繁”と名乗っていた時代の彼については、実はよく分かっていません。ですので、何某戦国ゲームの中で、”幸村”が既に”長篠の戦い”で活躍することになっているのは、明らかに史実を無視した設定だと言えます。