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確かに一番勝負だから相居飛車の可能性が高いけど、振り飛車には絶対にならないということじゃない。
王座戦の5番勝負では清水対策として中飛車にしてますしね。桃子ちゃんとは彼女が小2の時戦ったことがあり、その後も主催する小さな大会やコンサートに来てもらったりしていて・・・
だからネットで配信されても、リアルタイムでは心配で中々観る勇気が出ない。両者とも、一生懸命指し指すことしかないのでしょうね、結果は必ずどちらかになるしかないわけだから。
一番読まれやすいのは「新着投稿トピック」の上の方のトピックで、これが下に行くほど鮮度は古くなり、読まれなくなっていく。
トピックの中も全く同じ、このトピックだと8ページ目は読まれるが、7ページに戻って読む人は減り、
6ページまで戻って読む人はもっと減る。中には時間をかけて一生懸命書かれているのもあるわけで、そういうのも、こういう掲示板の使い方をされると、
あっという間に過去のものになり、誰にも読まれないということになる。「どんだけ~!」を書き込むのにどれだけ時間を使ったか知らないが、中には1時間も2時間も時間を使って、
書いたり消したりしてから投稿したのもあるんだよ。
そういうのもあっという間に賞味期限切れの場所に追いやられるんだよ。「編集」があるのだから、追記は編集を使って書き加えるようにしてもらえると助かる。
アクセスカウンター(掲示板って1日何人くらいが見るの?)というのをやりまして、
計測はしたけれど、やりっぱなしというのも如何なものかと思いますので、思ったことを少し書きます。数値の31人ということに関しては、50~100くらいを想像していたので、それと比べると少なかったです。
ただし数値はあくまで「アクセスカウンター」をクリックした人の数であり、
イコール掲示板を訪れた人ではないことは、頭の中に入れておかなくてはいけなせん。
また、三日に、一週間に一度訪れるという人がいるということも見逃してはいけません。
それらを含めてこの数値をどう捉えるかというところだと思います。
(私がどう捉えるかは、まだ計測したばかりなので、これからゆっくり考えることになろうかと思います)さて掲示板ですが、掲示板というところは特殊な場所でして、それは舞台であり、ステージです。
書き込む人は演者、それを読む人は観戦者となります。
演目は自分のやりたいことをやるのか?それとも観客が喜ぶことをやるのか?
自分のやりたいことをやるのは良いが、観客は無視というのも如何かと思うし、
さりとて観客が喜ぶからといって、自分が楽しくないのをやっても、それはそれで変ですし、さじ加減が難しいところです。掲示板でのやりとりは、相手と直接やることも多いのですが、
それはあくまで大勢の前でのやりとりであることを、肝に命じておかなくてはいけません。
例えば・・・・・
「俺、この掲示板でやってるから書き込みに来てよ」と友達を誘い、友達が来たとします。
そこでふたりのやりとりがあったりするわけですが、普段通りに○○と相手のハンドルネームを言ってはいけません。
それを読んだ人から「何と失礼な人なんだ、○○さんでしょ」というクレームが来ます、
いくら親しいからといっても、ステージの上で、観客の前でやるからには、それなりの話し方が求められるわけです。
やりとりはふたりの間のことでも、それは掲示板の上で、大勢と人達が見ている前でのやりとりなんだ、
それを知っておかなければいけないですし、忘れてはなりません。昔、掲示板が出来た時は、町に商店街が出来た時のように、大賑わいで活気があふれていました。
それが郊外に大型店が出来、コンビニが出来、そちらにお客が行き錆びれて行くように、
掲示板に集まっていた人達も、色んな場所での交流をするように分散していきました。
また掲示板の愛用者も、書く事でのマイナス面がわかるようになると、
以前だったら書き込んでいたものも静観するようになりました。「きっと見ても面白くないから来ないんだろうなあ」
「じゃあ、掲示板を見て面白いのって例えばどんなのよ、そもそも多くの将棋ファンが面白いって感じるのはあるの?」
「そうじゃなくて観客のことなんが気にしないで、自分さえ楽しめればそれでいのよ、自分が楽しむ場所なんだから」
「だったら人前で書き込まなくても良いじゃん、その人達だけでやれば」31という数字は私に色んなことを教えてくれました(考えるきっかけを与えてくれた意味合いの方が大きいけど)
ちなみに、カウンターは当分そのままにしておくつもりなので、押せば反映されるし、当日の人数、合計がわかります。
また過去の数値も、下にある矢印ボタンを押せば見ることが出来ます。昨日の数値は31人でした、皆様ご協力ありがとうございましたm(_ _ )m
計測してそのままというのも何なので、感想を「思ったことを気楽につぶやく」に書こうと思っています。
21時になりまして最後の一品となりました。
最後はビジュアルも取り入れての新春豪華トークショーです。
カウンター急に跳ね上がったけど、どういう仕組みになってるんだろう。
でも跳ね上がって良かった。時間も19時に突入し、単品料理も3品目になりました。
アクセスカウンターはどうやら正常に作動しているようです。
アクセスカウンターのデザインをくまさんのフラッシュに変更しました(かなり見やすくなった)
【再計測】
2時間経ってカウンターの数値が変わらなかったのでカウンターを変更しました
(パソコンが1台しかないので、事前にカウンター数値のチェックが出来ない)
すみませんが計測は2時から改めてということになります(2~24時)掲示板の中で大会を開くことは別に問題ないはずです。
ただし、この人とこの人しか参加出来ないというような使い方は「みんなのトピック」から外れますから、望ましくはないでしょうね。
全員参加だったら何か困ったことでもあったのか?
いずれにせよ次回掲示板内でやるようなことがあったら、全員参加を前提としたものの方が良いと思います。>Ruby.YHさん
掲示板を使うのに、掲示板がどんなものか知らないのでは困るので、↓にウィキペディアを貼っておきます。
「掲示板」この中の「種別・参加方法」に、”公序良俗やルールに従わずに場を荒らす者が現れることもあるが”とあります。
世の中の常識から外れてたり、掲示板のルールに従わない人が居る、それは掲示板を荒らす行為であり、
掲示板を荒らしてる人と受け止められるわけです。「スレッド、トピック」
トピックを立てた人をトピ主といい、最初の話題提供がその後の流れに大きく影響する。
要するに、どういう話題を書き込む場所にするかが決まるわけです。
後はみんなが好き勝手にその話題で書き込むわけです。そうして「みんなのトピック」が出来るわけですが、トピ主が「わたしのトピック」だと主張する、最初からそのつもりでトピックを作る、
そうしたらそれは掲示板を荒らすことになります。
みんなのトピックでみんな平等にやってるのに、自分用のだと主張すれば当然のことです。
24の掲示板(他人の掲示板)に書き込んでるのに、それが自分用のものであるはずもないし。
その辺りは常識だけど、わかってないようにも思えるので、一応書いておきます。
これは先手が35手目に▲7九角と指した局面ですが、
後手の1歩得で、後手の手番、それに加え先手の玉が居玉で、この形での居玉はあまりにもひどすぎる。
なのでここでは大成功。その後は力の差かも知れないけど、このリードを守りきれなかったということですかね。
逆詰将棋問題集「逃れ将棋」
半分は相手玉を詰ます順を考え、半分はどうやって詰みから逃れるかを考えるわけだから、
これまでなかったのが不思議なジャンルだと思います。個人的な希望としては・・・・・
趣向詰めみたいに、逃れを用いた芸術作品が登場したら嬉しいなあ。
七種合で逃れたら最高なんだけど。まあ細かいことは気にせず、今は経験を積むことが大きいと思いますよ。
私が本格的に将棋を趣味とした頃は、対局する環境は良くなかった、
対局相手がいるのは休日だけで、隣市の支部に行ってのものでした。
棋力が低いからそんなに手が早く見えるわけじゃない、
どれも一生懸命指して、すると1局1時間はどうしてもかかる。
一週間で休日にまとめて3局くらいでした。
それに比べれば、ネット環境なら経験を積もうと思えばいくらでも積める。楽しくやってるからそれは良いんだけど、運営の方はメチャクチャで、
ルールも何も関係ないその場の気分でやってるから、それは気を付けた方がいいよ、ルールが命だからね。例えば試合開始日が違うでしょ、参加受付締め切り前にスタートさせてるでしょ、
試合方法なんか書いてるのと今とでは全く別でしょ、詰将棋を解くことで争うはずのものがそうではないし、
毎日1~3問が全然そうじゃないし、問題発表時間も後で追加してれば、得点の計算も違う。通常運営する方は、ルールをしっかり守ってもらいたいと思うのだけど、
ルールを決めた本人が、そんなルールなんて関係ない状態ですからね、それでは信用を失うよ。森下九段の言葉には両方とも駒への愛着があり、大切に使うというスタンスのようなものを感じます。
しっかり使ってあげ、捨てることで活かすというイメージではないです。
攻め将棋の人はどんどん歩を突き捨てていって、それを変換して得とするイメージがありますが。「駒台の駒は遊び駒」
昔、森下九段が言った言葉で、強烈な印象が残ってます。
もちろん、駒台に乗ってるだけで相手にプレッシャーをかけるわけですから厳密には遊び駒ではないのですが、
持ち駒は使かわれてこそ価値があるというような意味ですね。「隙あれば穴熊に」
現代流の指し方、
囲いの堅さ、玉の遠さの評価がうなぎのぼり。
チャンスさえあれば穴熊に組み替えるのが流行。ほとんどの手にはプラスの面とマイナスの面があるわけですから・・・・
例えばここに例が挙がってるのを使えば
「桂の高飛び歩の餌食の3つの得」
1. 桂馬取りに歩を突いたり打ったりするのに1手使わせる
2. 桂馬を取るのに1手使わせる
3 .その桂馬を使うのに1手使わせる>この感じでは、まだまだ落ちるんですかねえ。
書いてある通りなら、周りの方が強いわけだから、まだまだ落ちるのでしょうね。
Rが同じくらいなのに、どうして周りのみんなが強いのか?という疑問の答えは簡単です。
Rが上がり続けたり下がり続けてる人の場合、そのRは単なる通過点でしかなく、仮のRだからです、
一足飛びには自分の実力までRがいかないですから、それは仕方がないです。どの地点まで下がればRが安定するのかわかりませんが、もうかなり危険地帯まで来ていますね。
何点とはいわないですが、下手をすると本当の初心者も対戦相手に入ってくるエリアまでいきますからね。考えてみたら、それは実際のRがいくつなのかわかる時が刻々と近づいて来ているということで、
それは五割の生活がまってるということで、そういう点では喜ばしいことでもあるのですけどね。厳密には平均すると+40となる相手と戦ってると5割は無理ですけどね、多分4割4分でRが安定してしまうので。
平均して自分よりRの高い相手との対戦ですから、平均勝率が5割にならないのは当たり前で仕方のないことです。無視されたというのは、千日手の判定で、「通報してよいのか?」とトピ主が尋ねたのに対し、答えたのに返事がないということですね。
考えられるのは
掲示板を見て「納得しました」
不満を書いたことですっきりし後は掲示板を見ていない、あるいは最初から不満を書き込むことだけが目的だった。掲示板を日常的に使っている人と、ほとんど使わない人では、掲示板の捉え方が違うことも想像出来るわけで、
日常的に使っている人は、質問しそれに答えたのだから、それに対してなんらかのコメントがあるのが、マナーとして当然と思うけど、
ほとんど書き込まない人は、掲示板は思ったことを書き込む場所であって、それを使って会話のやりとりをするというのは考えつかない。
だとしたら、当然「掲示板を見た、答えが載っていた、わかった」で終わることも想像出来ます。これは私個人の考えですが・・・・・・
「掲示板では他人を呼び出さない」これを大切にしています。
ちなみに、今回の無視の書き込みが、呼び出してるというわけではないですよ、
これは似てるようですが「相手に求めない」という感じです。
繰り返しますが、これは私個人の考えで、掲示板に対してはそのような態度で接してはいるつもりでいます。自分が凄いと思ったなら、それは凄い言って良いわけで、そこに資格云々の入り込む余地はないですね。
それよりもこちらの方が凄くて、だからそれは凄くないんだ、ということもありませんし(どちらも凄い)
もちろん詳しい人が見て、それよりこちらの方が凄いのですけど、というのは良くあることですが、
それと他人が凄いと思ったのとは、全く別のことですからね。一般の人は、オリンピックは大舞台だから、オリンピックに出るほどの実力を持った選手でも緊張するだろうなあと想像します。
しかし、職場の元オリンピック選手の言葉に「そうなんだ、なるほど」と思った人なら・・・・・
オリンピックの選手になるくらいだから死ぬほど練習したであろう。
そういう人は本番ではガチガチにはならない、ガチガチになったらそれまでの努力が無駄になる、だから緊張しない。
だから、オリンピック選手ともなると、例えオリンピックといえども緊張とは無縁なんだ。
だとしたら、オリンピックを極度の緊張を強いられる場所と捉えてるのは変ですね。緊張しなくなるほど練習するというのは凄いですね、
しかしそれで緊張しないのなら、大舞台で緊張に打ち勝ってのパフォーマンスで自己記録更新云々はないですね、緊張しないのですから。オリンピックで自己新記録というのは、オリンピックという大舞台での究極の緊張がひとつの要因でしょうね。
その緊張を+に作用出来た人が記録を出し、必要以上に緊張が働いてしまった人が沈むということなんでしょうね。内藤九段でしたか、私の推測は見事に外れました。
内藤九段というと先手と後手それぞれ初形からの詰将棋が有名ですが、ただひとつとなると「ベンハー」なんでしょうね。
スペクタクル映画「ベンハー」四頭馬車レースシーンこの詰将棋は長年の構想作品で、構想ではもう少しと思っていたらしいですが、それが難しく、
結局はタイミングとしてこの辺りかと思い発表したみたいですね。
(内藤九段がそのようなことを言っていたように記憶しています)
「図式百番」内藤国雄煙詰めといえばすぐに浮かぶのが浦野プロですね、
煙詰めはある法則があり、それを知ってるとすぐ作れるとのことですが、
握り詰めであっという間に作った正月の番組は凄かった。いつでも1分ほどで作れるのかと思っていましたが、その状態に持っていくまでに一週間ほどかかるということで、
これまた驚きました。Ruby.YHさんの意図は「煙詰」で浦野プロだったんじゃないですかね。
「煙詰め」と「清涼詰め」では定義が全く違います。
「煙詰め」は”初期状態で全ての駒を盤上に配置し・・・”ですが、もっと広い解釈で使われたり、作られたりします。
「煙詰め」「煙詰め」も単にその要素だけではなく、他の要素も複合させている作品が色々あります。
私が強いインパクトを受けたのが初形配置が1~4筋のみにビッシリ、
4九の地点に駒がないだけで、他の駒が次々と消えていく様は圧巻でした(伊藤 正さん作)「清涼詰め」は比較的簡単ですので、詰将棋を作るプロ棋士の多くはたぶん作っていると推測します。
(意図して作らなくてもそうなってる場合も多々ある)
ただし本当に作っているのかは実際に調べないとわかりません。
でも、たぶん調べれば出てくるので出ればその時点で確認作業は終わりです。
それより困るのは、青野プロとか高橋プロみたいに作ってはいるのですが、詰将棋に特化したプロ棋士でない場合で・・・・
その中に清涼詰めがあるのか。
詰将棋を発表したことのあるプロ棋士で、このプロ棋士は作ってないと判断するにはその裏付けが必要ですので、
それは大変な労力が必要だったりします。kant-horiさんの答えは間違ってます、
それは間違いない
(岡田敏さんのほうですけど)こちらの方は、誰が答えなのか楽しみです。
浅田真央選手に関しての報道は、人気があるからより多くの情報を伝えるし、
多くの人も、より沢山の情報を得たいし長い時間その情報に接していたい。
なので両方の利害が一致し、より多く報道したことでまたファンが増えるということだと思います。
この辺りは誠に自然なことですが、他の人もいるわけですからその辺りのバランスも重要だとは思います。注目されてない選手がメダルを取るのと、浅田選手では全く違います。
注目されてない選手はのびのび出来ます。
しかし浅田選手の場合は国民の期待を一身に背負っています。
フリーの演技は心の整理がしっかりとはついていませんでしたが、メダルの可能性がなくなったことでプレッシャーから開放された、
厳密にいえば、また同じようになるかも知れないという恐怖心はあったと思いますが、
それでもプレッシャーから開放された部分も大きく、それが自己最高点につながったと思います。
観ている方も、その重圧を背負いながら一身に頑張ってるのが推測できるから、どんな結果であれ称賛を贈るのです。元総理はスポーツが好きだというだけで就任したようなものですから内部のことはわかりません。
関係者なら絶対そんなことはいわないわけで、こういう発言は控えるべきというより、
個人ではなく立場として、「何は言ってもよく何は言ってはいけない」という境界線そのものがどこに引かれているのか、
それすら知らない、ということだと思います。「メソッド」と「指導スタイル」
将棋を上達させるためのメソッド(体系的な方式)が書かれた本はほとんどありません。
またギターの話で恐縮ですが、グラシックギターが世に出た時代、奏法の手引きと同時に、
そのテクニックをマスターするための曲(練習曲)が沢山作られました
(現代で楽器練習の為の曲が作られるというのは聞いたことがありません)
そんな背景がありますから多くの優秀なメソッドが作られています。対してアコギ(フォークギター)は歴史が浅く、日本人は奏法をレコードから耳で聞き取って再現していました。
中にはスリーフィンガーという奏法は二人で演奏していると思っていたのが、
来日して一人で弾いてるのを見てぶったまげたというエピソードもあります。これだけ違うと上達の為の指導法は全く異なってきます。
クラシックギターは理路整然とした教え方をします。
対してアコギは決まったメソッドがありません、教える方は自分の経験則だけです。将棋の世界はアコギと同じでメソッドがなく、自分の経験則だけでいうことが多いですね。
そんな中でもし、アマチュアの上達に関して、より知っているとすれば、将棋スクールの講師関係に多いですかね。
(ここにも個性が強そうな人も多くいそうですが)
何もないところからどう積み上げたら効率よく上達するのか、
ゆがんだものをどう矯正すれば正常になるのか、
そういう上達に対して詳しい人が居そうな気がします。最後に初段に向けてのメソッド「初段になるための将棋勉強法」私も持っています。
勉強の方法と方向性を示す上で素晴らしい棋書だと思います。「将棋上達法」
上達の為のトレーニング方法は極端な言い方をすればどれもが万人に効果があるものだと思っています。
例えば詰将棋、
「私は毎日詰将棋を解いてます、でも上達しません、どうしたら良いですか?」とした時に、
この人はもうこれ以上詰め将棋を解いても上達しないということではありません。
詰将棋の難易度を上げる、詰将棋を解く時間をより増やす、そうすれば今より必ず上達します。
詰将棋はプロ棋士のレベルまで上がっても有効なトレーニング方法なので、これが効果がないという心配はしなくて良いです。
どれも効果のあるトレーニング方法ではあるが、その中でどのトレーニング方法を取り入れたら自分に取ってよりベストなのか?
それだけのことであってトレーニング方法そのものはどれも有効なものなのです。ただしどんなトレーニング方法も上達するような使い方をしなくては効果は出ません。
高段者が1手詰めをいくらやっても上達はしません
「そんな、ただ駒を動かしているだけの将棋では何千、何万局指しても上達はしないよ」というのもあります。
ただやれば効果が出るというわけではないので、そこは気をつけて取り組む必要があります。私は、「どうしたら上達するのですか?」と尋ねる人は、しっかり勉強していない人が多いと思っています。
どうすれば上達するかは、ある程度将棋に接していれば誰でもわかります。
それを実践している人は尋ねない、実践していない人が尋ねるということです。
しっかり実践すればまあ三段以上は行くでしょうね、段位が上がるほどそういう質問は減っていきます。
普通にやってて棋力が止まるから上達法を尋ねる。
でもそれは有名なトレーニング法をしっかりこなして来て、それで棋力が止まったから尋ねるという人はほとんどいません。
それとは関係なく、どんなトレーニングをしたかは個々で異なりますが、それで行き詰ったという人が大半です。
例ですが
「上達はやはり詰将棋でしょうと言われ・・・・・・詰将棋か、俺苦手でほとんどやらなかったからね」
こういうのは、トレーニングに取り入れてもいないのに、棋力が頭打ちになってトレーニング法を尋ねたというものです。トレーニング法として詰将棋を出し統一していますが、わかりやすいトレーニング法として出しているだけで、
このトレーニング法をお薦めしているわけではありません、念の為に。岡田敏さん、ひさしぶりに聞く名前です。
大集成として出した「詰の花束」もってますよ。
タイプ別に100題ずつ計600題収められていて、
その中に「清涼詰め100題」もありました。
攻め駒が最終的に2つになるという条件だけですから、多くの人が作られていると思います。私の場合は隙だらけで、どこもかしこも伸びしろでいっぱいです。
ただ、二兎追うものは一兎をも得ずどころか、あれもこれもやりたいことがいっぱいで、満足に勉強しないから伸びません。米長さんが言ってましたが「駐車場がいっぱい」の状態です。
真に上達を目指すとなると、いくつも捨てなくてはなりません。
私の場合はそこが一番の問題です。まあ、捨てて問題ないのが沢山あるのも事実なんだけど、
じゃあ空いたスペースをどの分野の上達に充てるかがまた問題だったりして(笑)【新着投稿トピック】
15タイトルに増えて使いやすくなりましたね。
それから4時間もやってるなら、その勉強内容の割り振りも、書いた方がアドバイスの参考になると思いますよ。
対局をだらだらやっての4時間でないのなら、それ以上いくら時間を延ばしても無駄です、
勉強方法そのものに問題があるか、それだけ勉強しても上達しないほどに、強くなってしまったということでしょう。ギターで4時間は珍しくないけど、それで上達しない人は珍しいです。
自分で考えてこれが良いと思って勉強しているわけですよね、
4時間で上達しないとなると、文字ではなくて実際に勉強現場をみないとわからないかもしれません。
(例えば、やってはいるが気合が入ってないとか・・・・そのように実際に見ないとわからない要素も沢山ある)ちなみに対局はしっかりこなしていますか?
それから角換り棒銀で9四歩には9二歩とするのが部分的な定跡となっていますが、
定跡の知識も大体はクリアしてますか?将棋じゃなくてギターの上達法だったけど、1日5時間練習すれば上手になると言った人がいました。
(アルフィーの坂崎幸之助さんですが)私は、身長と同じで、伸び盛りの人はほんの一部で、多くの人は棋力が止まって久しい状態にあると思っています。
でもそれは、自分がやりたいようにやって棋力が止まっただけのことという人が、これまた大半だと思っています。ただ好き勝手に対局を楽しむ時間を除いて2時間。
それを三ヶ月やって棋力が変わらないようだったら、勉強の仕方を考える必要があるでしょうね。
それ以下だったら単なる勉強不足じゃないですかね。本気で上達したいと思ってる人は、それくらいは勉強しますからね、
上達に対して、本気かどうかの問題だけだと思います。きっかけと目的は違います、きっかけはあくまできっかけ、目的が何なのかはその回答ではわかりません。
もしもトピ主の伸び悩みを解消するのが真の目的ならば、上達法を時間をかけてああだこうだとやるほど馬鹿げたことはありません。
それでしたら、こういう状態ですということをそのまま書いてくれれば、トピ主に適した答えが得られます。上達法をみんなで考えましょう・・・・・・・・私の為に
これではあまりにひどい。考えましょうの考えるのは私たちで、トピ主は聞き役か。
>mega3870さん
私が上達法についてどう思っているのかは長くなるのでそのつど書くことにします。
ただmega3870さんの方で、私がこう思っているのではないかと推測を書いてる部分がありますので、そこには答えておきます。>棋譜並べは強くなってからでないとやらないと思われているのでしょうが
日常的に勉強として取り入れているのは強い人が多い思ってますが、強くなってからでないとやらないとは思っていません。
>mega3870さん
それはプロ棋士が行っているもっとも代表的な3つの勉強法(上達法)ですね。
アマチュアの場合、日常的にプロ棋士の棋譜を並べるというのは、かなり強くなってからでないとやらないと思います。
プロ棋士の勉強ということで言えば、実戦の足跡ですからとても有効ですが、
アマチュアには難しいですから、それよりも戦法書(定跡書)みたいに解説付きの方が勉強し易いですし、人気もあるように思います。「上達法」
どんなものにも上達法があり、その中にも「これだけは外せない」という、誰もが行う重要なトレーニングがあるのが普通です。
その部分においては誰でもトレーニングする、それ以外のトレーニングに個々それぞれのカラーが出ます。ところが将棋の世界は違います。
詰将棋が効果的だとわかっていてもやりたくないからやらない、
戦法、定跡を本で学ぶのが効果的だとわかっていてもやりたくないからやらない、
でも実戦をするのが好きだ。
だったら嫌なものを嫌々やっても長続きしません、好きな実戦をガンガンやって、実戦で実力を付けて行きましょう、となります。
重要であろうが何であろうが、自分のやりたくないのはやらなくていいんです、他でその分頑張れば。将棋の世界はそれで良いということになってるんですね。
プロ棋士だって、そうやって詰将棋が嫌いだといってやらなくて、詰むや詰まざるやの局面が苦手という人もいるのですが、
「だから皆さん私のようにならない為に詰将棋はしっかりやっておきましょう」とは言わないですからね。
嫌なものはやらなくて良いんです、その代わり好きな部分で頑張りましょうですからね。でも私は最初から間違っていると思います。
嫌なものを作らないのがとても大切です。
詰将棋だって定跡の本を読むのだって、最初から取り組めば苦手にはならないんですよ、
あるひとつのことばかり頑張るからそれが得意でやりやすくなって、全く取り組まないのは段々苦手になっていくんです。多くの人は既に得意苦手が出来てしまっていると思いますが、
もしこれから誰かに将棋を教え始めることがあったら、重要な上達法は一通り教えて、
苦手なものが出来ないように気を配るのが大切なのではないですかね。上達法には色々あって感想戦もそのひとつではありますが、重要度の順番からすればどうなのでしょうね。
「私は感想戦で上達しました」というのもほとんど聞かないですし。将棋は同じくらいの棋力者同士が戦うことが多い為、感想戦で相手からの知識を吸収するということはほとんどありません。
やっているのは「これを見落とした」「この手は気付かなかった」「もしこう指したらどうなる?」というようなことです。
私もリアルな対局では必ず感想戦をしますが、そのような、相手との確認作業です。
(私はこう思ってた、相手はこう思ってたというようなこと)感想戦は10分とか20分とかそんなものです。
上達ということなら感想戦よりも、自分の戦った将棋を後で自分ひとりでじっくり振り返り、問題点を探し出し、解決する。
(将棋ソフトの解析機能が良く使われますが)
そちらの方が余程効果があると思います。
(感想戦をするんじゃなくてという意味ではないですよ、あくまでどちらの方が効果があるのかという話です)それから、自分より強い人と対局した場合は、これは感想戦でアドバイスしてもらうのがとても有効なのですが、
隣で対局しながら感想戦を聞いていると、そのアドバイスが全くの見当外れということも結構あります。
アドバイスした人の立場もあるので、聞いてるだけで口には出さないですけどね。>kurukuruさん
「将棋倶楽部24のトップページ」→「棋譜」→「東京道場の棋譜」
順番にクリックすると、ユーザー名とパスワードを入力するページが出ますので、
ここに自分の対局時のユーザー名とパスワードを入力し、ログインを押します。
次に対局者のところに見たい人の名前を入れ「検索」を押せば棋譜の一覧が出ます。
目的の棋譜番号を探し、ダブルクリックまたはEnterキーを押せば観覧が出来ます。見方はkm2001さんのやり方と全く同じですね。
>オーストラリアコアラさん
退院おめでとうございます。
無理せず将棋を楽しんで下さい。
【将棋の上達】(プロ棋士)
タイトルは似ているが内容は全く違います、上達法のことではありません、プロ棋士の上達についてです。
もう20年以上前の本ですが、プロ棋士が書いたもので、私がとても驚いたことです。
プロ棋士の間で株が話題になっていた時期のこと、ある棋士が株について熱心に尋ねてたそうです、株をやれば儲かるのかと。
なぜその棋士はそんなに株に興味を持ったのか?
株で儲けることが出来るなら生活の心配がいらないからサイドビジネスをしなくて良い。
そしたらその時間を将棋の勉強に当てれば、今より上達して強くなると思ったとのことです。私はなるほどと思ったのですが、驚いたのはこの後です。
これを書いた棋士が、プロ棋士でありながら勉強すれば今より強くなると思っていたことに驚いていたからです。
プロ棋士の強さは資質で決まるもので、勉強すれば強くなるというものではない、ということなのでしょう。色んなジャンルのトップでも「私は天才ではありませんから・・・・」と、努力の積み上げを強調する人が多いですが、
このように見ていた棋士がいたことに驚きました。【将棋上達法】(二つの大きな悪い癖)
将棋の上達に関しては色々なことが書かれているが、これが書かれていたのは見たことがない、
すなわち、自分が独自で思いついたものである。してその内容を簡単に言えば「あんた、それではやっても上達しないよ」というもので、
それは「そこを改善すればすぐ上達するよ」ということでもあります。それではいくらやっても駄目だという悪い癖のひとつ目。
「将棋の勉強をしていない」
例えば有段者が寝る前に5手詰めを3問解いたとする。
これはもちろん解いた方が良いのですが、そんなのは勉強のうちに入らない。ああやれば上達する、こうやれば上達する、わかってはいるがやらない、
それでは当然上達はのぞめない。多くの人はこうすれば上達するというのを知ってる。
でもそれには苦痛を伴ったり、今よりも何かを犠牲にしなくてはいけなかったりする。自然のままに上達しているうちは良いけど、上達が止まりそこから上に行こうと思ったら苦痛や犠牲を伴う。
だけどそれを受け入れて勉強すれば、そこからさらに上達するのは間違いない。それではいくらやっても駄目だという悪い癖のふたつ目。
これはその人の考え方。
人生を長い間やってると自分がわかってくる。
自分の将棋の実力はこんなもんだろう、ここから先はもう中々伸びないよ。
これは一例だが間違った考え方をしている人が沢山いる。
そんな考え方をしていたんじゃ、この人はもう伸びない、いくらやっても無駄。例えば自己流で相手がどう指してもまずは角の横に金が上がる。
それで「もう年だからこの先いくらやっても強くはならないよ」という。
なんのことはない、将棋を勉強しないから将棋を知らないで指してるだけなのに、
そんなレベルなんだから少し勉強すればすぐ上達するのに・・・・これが強い人から見ると笑える「ただ勉強していないというだけのことじゃん、勉強すればすく上達するよ」となる。
これは級位者だろうが、有段者だろうが、それより強い人から言わせると同じ「ただそれだけの勉強をしていないというだけのことでしょ」となる。勉強しないという悪い癖、自分の実力は頑張ってもこの程度だと思ってる悪い癖、
この二つを改善すれば必ず上達します。
(当然それに値するだけの犠牲は必要ですけどね)まあアマチュア一般レベルでのことですが。
>mega3870さん
そうか、それだったんですね、
自分の手番の時に投了しないと反則になるのは知っていたのですが、それが全く浮かんで来ませんでした。
棋譜があまりに何もない中盤で、突然反則で終わっていたので不思議でなりませんでした。おかげで疑問が解けました、ありがとうございました。
【疑問】
手頃に書く場所がなく、さりとてこの程度の疑問でトピックを立てる気もしないのでここに。
先ほど24の棋譜保管場所で、ある人の反則勝ちの棋譜を見ていました。
そしたら最終手が相手の方の手で、王手とは無関係の局面で普通の手を指していました。
例えばわざと切断したなら判定ですよね。
相手の方は何をして反則負けになったんだろう?
【目線】(原始棒銀)
将棋を習い始めた時に、よく教えたり教わったりするのに原始棒銀という戦法があります。
だけど、この戦法で上手く行くくらいなら誰でもやる、こんなに上手く行かないから玉を囲ったりするわけです。でもだからといって教えるそばから「厳密にはこうなってこうなって上手く行かないんだよ」と言ったらどうなる。
教わっている方は頭がパニックになるだけです。
だから最初は上手く行く順しか教えない、相手の棋力を判断した上で順次対抗策を教え、
最後に、仕掛ける前に囲うことまで教え込む。これが相手の目線に合わせる、ということですかね。
【目線】
対話は互いの言ってることがわかることが大切で、その為には同じ目線である必要があります。
幼稚園児に対してはしゃがんで話すし、赤ちゃんと話す時は赤ちゃん言葉にするのもその為です。
そして、それは将棋でも全く同じです。これは将棋ではなく、ある大企業社長のサクセスストーリーをテレビで取り上げてたのを見たものですが・・・・
その社長はとにかく凄く、一社員から社長にまで上り詰めました。
その社長のモットーは消費者の目線で見る、消費者の立場になって考えることです。
その成果もあり会社の社長にもなり、会社自体もどんどん成長し、一流企業になりました。
やはり目線が大切だったのですね。その社長に対してアナウンサーが「家族に対してはどうだったですか?」と尋ねました。
しかしこれはよくあるケース、サクセスストーリーの社長の唯一の弱点が「家族サービス」でした。小学校の催し物には一度も行ったことがない。
社長も心苦しかったと思いますよ、それである時小学低学年の娘に言ったそうです。「パパには会社に沢山の従業員がいて、その家族を養っていかなくてはならないんだ」
月日は経ち娘が嫁ぐ時に社長は言われたそうです。
「そんなこと小学低学年の私に言って、それを理解せよというのは無理だ」と。
小学低学年にそんな大人の事情なんてわかるはずがないですよね。
消費者の目線に立つことをモットーとしていた社長も、娘の目線には全く立てていなかったわけです。
目線、大切ですね。
【人生勉強】(居酒屋)
今日将棋関係であることをネット上で調べていた際に、同じような質問を何箇所かで見つけました。
その中のひとつでのこと・・・・・いくつかの回答の中に「これも正論だな」という回答がありました。
ところがそれに対する質問者のコメントを見てびっくり!!
冒頭から「あなたには以前もっと人生勉強をするようにと忠告したはずだ」とピシャリ。
そして以後も非難の言葉が続きます。たぶん以前同じ問題内容で両者がやりあったんでしょうね。
片方は正論だからといってどんどんぶつける、
受ける方はそれは正論かもしれないが同時に自分への非難だ!と感じる。
だから「あなたのやってることはわかってるのか、もっと人生勉強をしろ」ということになる。私も同じような書き方をしてるので、この言葉はかなり効くのですが・・・・・・
ただ・・・・・・・
どこかで論争をやって、そこでは自分の満足する答えが得られなかったので、違う場所にいってまた同じ質問をして、
質問の回答に対し回答の中身には触れもせず、新たな場所でもいきなり回答者の人格を非難して・・・・
それで他人に対し、もっと人生勉強しろと説くのか。なんてことを思いました。
こんなことをこんな場所で書いても何も解決はしません。
だけど、そんなことを本人の目に付くところに書いたら、それはひと騒動起こります。こういうのは居酒屋で上司への愚痴をこぼすように、本人の知らないところで話すのが一番です。
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矢倉91手組み
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