フォーラムの返信が作成されました
-
作成者投稿
-
上の2つ、「思った事を気軽につぶやく③」に載せたつもりだったが勘違いでこちらにあげてしまった。
こちらには合わないようにも思うが、最初の方はもう編集出来ないし、内容が詰将棋だからいいか。
「棋力上達を考えた時の詰将棋トレーニング」
詰将棋には芸術性もあるが、棋力上達のために役立つという特徴もある。
では棋力上達を考えた時はどんなトレーニング方法が良いのか。
この辺りも人それぞれなので一概にはいえないが、一般的に適する、一般的に適さないというのはあると思う。例えば重量挙げの選手が基礎練習をするとして、自分がやっと上げられるレベルのバーベルを一生懸命あげようということはしないだろう。
基礎練習なら、もっと軽いものを数多く挙げて腕力を強化するだろう。
詰将棋も同じだと思う。
基礎練習として詰将棋を解くのなら、比較的簡単なものを数多く解くというのが大切だし良いように思う。
この辺りはプロ棋士も時間の短い対局の時はこのようなトレーニングを取り入れているわけで、アマチュアの場合はいつも時間の短い対局なので、反射神経をあげるのにとても役立つと思う。その一方で読みを鍛えるという点においても詰将棋は適している、この場合はちょっと難し目で、解くまでに時間がかかるのが良いかと思う。
以前広津久雄プロが言ってたことがあったが・・・・
5手詰が200題載ってるものを5冊ほど用意して毎日解いている。
毎日解いているから答えはわかっており、短時間ですぐ解ける。これにはとても重要なことが含まれている。
答えがわかるということは、見た瞬間にすぐに詰め手筋が浮かぶということ。
詰め手筋を覚え、それが見た瞬間に浮かんでくる。
これがアマチュアのように持ち時間の短い対局ではとても重要なことだと思う。ではこのようなトレーニングを取り入れるとしてどんなやりかたが良いだろうか。
いきなりは難しいので小分けにしたものから始めるのが良いと思う。
基礎トレーニングに使いたい同手数の詰将棋本を一冊用意、200題が理想だが100題でも良いだろう。①5題続けて解く
②5題解けたら、何度も同じ問題を繰り返して解く
③答えがわかってるから問題をみた瞬間に解けるようになる
④そうしたら次の5題を解き同じことを繰り返す
⑤それが出来たらいままで解いた10題を続けて解き、同じことを繰り返す。
⑥それが出来たらまた新しい5題を解き、15題をまとめて解くようにする⑦これが面倒だと感じたら最初から10題で新たに10題というように10題単位でも良い。
⑧それが最終的に毎日1冊で、日々詰将棋本を変えることが出来ればベスト、これをやると答えがわかってるからすぐ解ける=詰手筋が瞬間に浮かぶようになる。時間の短いアマチュアの対局に置いてはかなり効果的な基礎練習かと思う。
「詰将棋の難易度」
この詰将棋は難しいのか、普通なのか、簡単なのかといった時に、話の内容で変わってくる。
これには大きく分けて2つ
①詰めが同じ手数の場合、難しい部類なのか、普通の部類なのか、簡単な部類なのか。
②解き手にとって難しい部類なのか、普通の部類なのか、簡単な部類なのか。例えば7手詰の中ではやさしい部類があったとして、3手詰にトライしている人からすると、それはかなり難しい部類に入るだろう。
逆に3手詰の中では難しい部類にあったとしても、7手詰を解いている人からするとやさしく感ずることも多いだろう。
詰め手数が長いほど難易度が高まる傾向にあるという特徴がある上で、同じ手数の中での難易度比較で、やさしい、普通、難しいは大いに役立つものではあるが、
その一方で、解き手のレベルによって、感じ方は全く違うという現実もある。では解き手のレベルが違うのだから、難易度の感じ方に共通性がないのかといえばそんなことはない。
共通性として指針になりやすいのは解くまでの時間。
1分以内で解ければやさしかったと感ずるかもしれない。
5分くらいで解ければ普通レベルか。
10分以上考えても解けなければ難しい。
この辺りも人それぞれではあるが、時間的にはこれくらいが一般的な感じ方のように推測する。結論として・・・・
自分が解かないような手数のものはチャレンジもしないのだから深く考える必要はない、どんな難易度と書いてあろうが、自分には難しいと思ってよい。
チャレンジしたとして自分なら解くまでにどれくらい時間がかかるのかを考えて難易度を推測するというのが、自分自身を対象とした時には適しているように思う。
それを判断するのは詰め手数と同じ手数内での難易度(当然自分が解いている範囲内でのもの)詰将棋を解くのは実戦のための上達に役立つというのが一般的な世間の捉え方です。
では一般的な世間の捉え方とは何かというと、詰将棋を解くのが実戦に役立つという人もいれば役立たない人もいて、
実際に役立ったという人もいれば全く役立たなかったという人も入る。
そのような色んな人の感想を大雑把にまとめた結果が、世間の捉え方ということになろうかと思います。色んな人がいる中で増田康弘プロのように詰将棋は意味がないと言ってる人もいます、
ただし増田プロの場合はいってることがわかりやすいです、詰将棋を解くことは今の自分にとって意味がないと言ってるだけで、誰にとっても意味がないと言ってるわけではないですし、誰にとっても意味がないと思っているわけでもないと推測されます。将棋の上達方法のメニューには色んなものがあります、実戦、詰将棋、棋譜並べ、定跡を覚える、格言を覚える、その他色々。
ではその中で何が役に立って何が役に立たないのかといえば、どれも役に立つと捉えるのが自然です。
そんな中で自分にとって何が役に立ち何が役にたたなかったかは、あくまで自分の場合に限ってのことです。実戦・次の一手・必至も同じです、それでも読む力はつく、それと同じように詰将棋でも読む力はつく、
ならばどのトレーニングも効果があると捉えるのが自然なわけで、何が効果があり何が効果がないと感じたかは、あくまでその人個人の感想と捉えた方がよいと思います。悪手と好手に関しては、指してのほとんどが悪手です、その中で好手を5手続けるにはそれだけの読みが必要です。
5手先まで読めさえすれば最善手が指せるわけでもなく、1手の最善手を指すにも深く読めたほうが凄く有利です。
実戦において30手先まで読めるというのは凄く有利です。
ただし実戦でどれくらい先まで読んでるかね、悪手だろうがなんだろうがそれだけ先まで読むような将棋を指していればかなりのところまでは行くように思うのですけどね。詰将棋を解く力と指し将棋の棋力は、比例とまではいかなくてもかなり密接した関係にあるように思います。
例えば30手くらいの詰将棋が解けたとして、頭の中で30手動かしてその局面がわかるというだけでも凄い。
それが解いてしまうのだからもっともっと凄く、それだけの武器があるば実戦にも相当の役に立っているはず。
ただし実際に駒を動かして詰ますスタイルだと、実戦はそれが出来ないので役に立つ度合いがかなり変わってくる。詰将棋を作るのと解くのではかなり違う。
頭の中だけで作るとなると相当の棋力が必要でも、駒を動かしながら作るのならそんなに棋力は必要ないでしょう。詰将棋を解くのが好きな人にも2種類がある。
実戦でも詰将棋を解くときのように常に詰みのあるなしに気を配って指している人と、
実戦になると比較的簡単な詰みでも、詰みのあるなしを読まずに簡単に詰めろをかけてしまう人。
この違いも、詰将棋を解く効用が自身の棋力にどれくらい関係しているのかの要素としては大きい。>規定は具体的な着用方法を示しておらず、これらの処分は違法
ここをポイントに争うというのはわかる。
ただ・・・・
個人的なことをあげ、一律な義務付けは合理性を欠くという訴えはいただけない。
そのような個人的な理由を取り入れていたら、マスクをしただけで不快感を覚える人もいるだろうし一律な義務付けは出来ない。
世の中金持ちも貧乏人も一律になってるものが非常に多い、法律も一律が多いし将棋のルールも一律。
そのように、個人の事情が反映されずに一律なものが多い世の中に置いて、ひとりひとりの事情に目を向けずに一律に義務付けていると主張しても無理だろう。最後は罠を張ってたんだろうね、
藤井七冠が勝ちだと思って龍を切ったけど、角による王手の犠打で銀を移動させる手に気付いてなかった。
藤井七冠からすると、勝ったと思って決めに行ってそれが大悪手だったわけだから、天地がひっくりかえるくらいだったろう。
こういうのはお互いに時間がないと起こったりする、自分の持ち時間がなくても相手に持ち時間があれば相手の考慮時間に考えたり出来る。
だけど相手も時間がないから、すぐ指しても相手もすぐ指すから自分もまたすぐ指さなくてはいけなくなる。終盤はポイント10倍になるうえに両者時間がなくなると更に10倍のポイントが加算された対局となる。
勝ち負けという点では見ていて面白いが、時間をかけて積み上げてきたものが、満足に考える事も許されずポカで決着がついてしまうこともあるのが現実。これで1勝1敗、勝敗のゆくえとしては面白くなった。
「伝説となる1局」
大きな大きな対局、ゆえに追い詰められての指し回しにも通常以上の力が宿っていたのかも。
これでもし八冠達成となれば、間違いなく後世まで残る伝説の1局となるね。「2秒、20秒、200秒」
持ち時間設定は短いほど上手が有利。
ノーマルレベルの7手詰があったとして、プロレベルならひと目で1秒だがわかりやすく2秒として、
24の初段レベルだと平均すれば20秒くらいか
24のR500だと200秒くらいかな。この数字がどれくらい実際と合っているかはそんなに問題ではない。
見てほしいのは2秒と200秒という100倍の差。
これはパソコンハードのスペックと思えばわかりやすい、同じ処理でも遅い方は速い方の100倍時間がかかる。24も含めネット将棋は早指しが主流だが将棋ウォーズなんかだと3分切れ負けみたいな超早指しの設定もある。
そういう超早指しを好む人もいるわけだが、どういう人達がやるかというと、やっていて楽しさを感じることが出来る人達。
ではどういう人達が楽しいと感じることが出来るかというと、その持ち時間でもそこそこ対応出来るハードのスペックを持っている人達。
具体的には7手詰なら5秒以内で解けるくらいか、それくらいはないと、楽しいと感じる余裕は生まれないように思います。この処理速度ですと、プロが超早指しで20分で1対局が終わったとしてその時に処理したものは、
R500が2000分(約33時間)かけて1対局をした時の処理速度に匹敵する。
まあ、この設定自体がとてつもなく大雑把なものではあるけれど、プロはそれぐらい高速で処理しているわけで、プロの持ち時間をまねるにしても、そこそこ速い処理速度がないと、パニックに陥るだけでとても楽しいと思えるには至れない。再発防止の対策ということになると回転寿司の件が浮かんでくる。
これまで性善説でやってこれたのが、信用が崩れ対策が必要なり対策費用も必要になった。
そういう意味では動画アップがどれだけのマイナス効果を与えてしまったのかは計り知れない。
性善説がどうなのかというのは確かにあるのだけど、対策にかかる経費は結局は消費者が払うことになるわけだから痛い。
(消費者に求めないと店の経営が大変になり、運営がむずかしくなる)今回の将棋も同じで、これで性善説が打ち砕かれ対策が求められるようになるとしたら。
シンプルだったら日本将棋連盟同様、事前にスマホを預かるという対策だが、主催者側もその分面倒なことが増える、
沢山のスマホが一箇所に集まることであらたなトラブルが出るなんて事もないとは限らない。
参加する方も、疑われてまで参加したくはないという人も出てくるだろう。今改めて見つめて直すと、今回の件で消えかかっていた不正問題がまた出てきてしまったのは大きいね。
AIには罪はないけど、そのおかげで不自由さもかなり出てきているね。
ちょっとずれるけど対局時計も似てるかな。
昔は時間なんか気にしないで指すことが出来ていたけど、対局時計が発達したことによって時間にせかされる対局が普通になってしまった。ちなみに24でも勝敗がついてからクレームが出て結果が変ることがあったりしたけど、ネット将棋の場合は中断させて調べるのが難しいので仕方がないと思いますけど。
途中で止めないべきではないというのも考え方としては自然かとも思いますが、その一方で・・・
投了優先で、仮に勝負が着いた後で反則等が見つかり意義を申し立て、それが実際に起こっていたとしても判定は覆らないというルールがあります。
このルールに沿えば、確かに不正は見つかったが、それは投了後のことなので、判定自体は覆らないということになります。
しかし今回は覆ったわけで、それでいえば例外扱いということでしょう。
では何が例外で何が例外ではないのかとした時に、そこに決まりはなくあくまでも主催者側の考え方次第ということになります。
となると、投了優先というルールはあるものの例外もあるよということで、このルールそのものにもあやふや感が出てきてしまいます。私だと「終局後のクレームも良いでしょう、ただし投了優先という明確なルールがあるのだからそこはしっかり守ってほしい」と思ったりします。
今回は結果として例外扱いで、このルールに背いたジャッジを下したわけですからね。
将棋のルールってうっかりの反則でも反則負け、どんなに局面が良くても時間が切れれば負けという非常なルールの上に成立っています。
投了優先も同じで、投了後にクレームがあっても勝敗は覆らないという非常なルールです。
でも投了後にクレームがあってそれで今回は結果が異なったわけですからね。
決着がついた後のクレームって、決着が着いてしまっているだけに良くない、という部分は大きいとも思うのですけどね。
それで結果が変わったら投了優先というルールがあるだけに、かなりのモヤモヤ感が残りますけどね。ハンドルネームを出さない方が良いというのは風さんの言う通りで、今回の書き込みは微妙ですが、この書き込み自体を消去されても不思議ではないレベルの厳禁な行為ではあります。
それくらいネット上に相手のハンドルネームを晒すというのはデリケートなことなのです。再開の方法ですが、相手の棋譜を見て頻繁に対局しているようでしたらその時間でチェックし、
対戦をしていたら観戦をし、対局が終わったらすぐ対局を申し込めば再対局出来ると思います。
その場合、一定期間までは中断した箇所から再開すると思いました。
古い記憶なので、最近の仕様が異なっていたら申し訳ないです。当然ながらですが、相手が挑戦を拒否すれば戦うことは出来ません。
不正に関しては論外なので、それ以外で3つ
①主催した全日本学生将棋連盟は本人と学校側に対してどう対処しようか考えているとのこと。
本人は自業自得だが、それだけではなく周りの人達にも迷惑をかける可能性があるということがここからわかる。
(厳しい対処だと、全日本学生将棋連盟が主催する大会に関してはその学校の生徒は一定期間出れないペナルティが貸されるということも考えられる)②離席が多く不自然だという指摘があってチェックするに至った。
ただしそれは勝負がついて優勝者が決まった後。
不自然だったら一端対局を止めて、ということは出来なかったのか?
(そうすれば結果がくつがえることはなかった)
途中で一端止めたほうが良かったのか、終わってからの方が良かったのかはわからないけど。
もし不正をしていた方が対局に負けていた場合、チェックは行われたのか、それとも行われなかったのか。③火曜日か水曜日頃には動画の下のコメントに目を通していたが結構面白かった。
将棋を趣味としている人達はどうしてもその色に染まったコメントになる。
しかし書き込んでる多くの人達は色んな出来事に対してコメントしている人達が多いようで、
テレビ局のスタッフにアマ二段の人がいたことに驚いたりしていて新鮮だった。>TVだけ見ている人には伝わりません これが現状!
ネットにあがるものも氷山の一角、実際に起こったことと比べたらその1%も載らないけどね。
離席が多ければ疑われるだろうに。
歪んだ考えがうずまいて、バレないという結論に行きついたのだろうね。
答えだけみればバレないが不正解なのはすぐわかるはずなのに、そこに気付かなかったんだろうね。現段階ではまだバレるけど、テクノロジーが発達してほとんどバレない手段が出てきたら怖いね。
そしたら現状スタイルの大会は終わってしまう。スマホって1日1局だけだったら無料だけどそれ以上指したいと思ったら金がかかる。
5段階あって30日が480円、720日だと9000円で長いほど割引率が高くなっている。
それが1日3局まで無料で遊べるとなれば、だったら次からは無料にすると思う人もかなりいるだろう。
その結果として
①入って来るお金が少なくなる
②無料に変えた人達の対局数が減る
ということは起こりそう。スマホだったらいつでも遊べるから便利、
それだけに収入が期待できる大事な部分で、それが24の運営にも機能強化にも強い味方になる。
それが3局無料だったら普段はそんなに指さないからそれで十分としてそこからお金が期待できなくなったらこれはかなり痛い。ちょっと考えてみたが、わからなかったらアンケートでその棋力の人達がどんなものを望んでいるのかを知るのがまずは重要そう。
わかっている部分としては400点くらいまでは色んな棋力の人がひしめいているということ。
(そこだけでも2000点幅にしてもよいくらい)
そして、いつでも同じくらいの棋力の人と戦える環境が欲しいというのも推測出来る。
これに関しては4人に1人くらいなら同じ棋力の人と当たれるとして4人に2人は将棋にならないほど強い相手、
これではその環境で戦っていくには厳しくすぐに心が折れ挫折してしまう。
結果棋力の低い人の人数が増えていかない。
その辺りの棋力の人というのは本当に多くいて、そこで続けるか挫折して将棋から離れるかは大きいのだけれども、中々上手く取り込めていない。将棋倶楽部24は本格的だけど敷居が高いようなところもあり、将棋ウォーズという比較的に安易に対局出来るサイトが出来てそちらの人気も高まった。
将棋に限らずだけど実力はピラミッドの形態をしていて、裾野が広く、そちらにターゲットを絞った方が人が集まりやすい。
だからそこそ短い時間で実力がそんなになくても遊べるサイトには人が集まる。ということは多くの人に遊んでもらおうと思ったら、そのレベルの人達が対局して楽しいと感じるものを取り入れるのが一番。
それが何なのかは考えたことがないのですぐには浮かんでこないが、いままでにないものでそういうようなものを見つけられたら一挙に会員数なり対局者数が増える可能性というのはある。あらためてタイトルを見つめてみると、24全体の1日の対局数を増やしたいというようにも読める。
(24というのが24で対局している人を指しているのか、個人ではなく24全体を指しているのか)
こちらでも増やす意味はさっぱりわからないけど。
この持ち時間設定でもレーティング戦が可能となったとして良い事があるかといえばほとんどないでしょう。
戦う方だってこんなに短い時間でレーティングのやりとりをするのは嫌でしょう。
そうなると早指し3と同じようにフリー対局が対象となるわけだけど、早指し3でさえ好む人は少なく、
私の体感のみだけど20人から挑戦されたとして早指し3で来るのは1人くらい。今回の設定はそれよりもかなり厳しくなりそうだけど、そういう早指しも好む人がいるので持ち時間設定を増やすというのならまだわかるけど。
そうまでして総対局数を増やす目的って何?
10000局を越してる人もいればまだ1000局まで行ってない人もいるだろうけど、多い人って何が得なのかな。増やすといっても1日3局ペースで良いなら現在の持ち時間設定で十分じゃないのかな。
棋譜を見ると2分くらいしか使ってないなんてのも良くある、それではとても満足な将棋は指せないと思うけど、対局数を増やすという目的なら、急戦、ノータイム指し、粘らず短期決着を目指せば短い時間で1局終える事が出来る。
プロ棋士なら超早指し指しでも早く見えるからそこそこ戦える。
しかし普通のアマチュアがこんなに短い時間設定でやったらパニックになるだけでとても将棋にはならない。
パニック状態で指すようでは本末転倒だが、そのような持ち時間にまでして急速に総対局数を増やして欲しいのなら、それに匹敵するだけのメリットがないといけないわけだが、それだけの犠牲を払ってまで総対局数を増やすメリットって何?5九飛の王手は玉が上部に逃げ出したと時に5五金で詰ますのを見越した攻めの手
2九飛の王手は2筋に受けとしても役立たせようとした攻防の手。
ただし2九飛には3九歩が良い手、ただだが取ると2筋の受けには利かなくなり、取らないと飛車の攻撃力が歩で止まってしまったことになる。最年少名人は40年も破られなかったわけだから凄い記録
七冠も全冠ではないが羽生さん依頼でこちらも凄くそれがダブルで実現した。
それを20歳で実現したんだからコミックでも表れない世界で、圧倒的な強さがないと無理。
羽生さんの七冠は25歳でそこまでは色々あった(制覇の逃した翌年に取ったのは圧巻だったけど)
でも藤井さんはノンストップ、タイトル防衛は星を落としても可能だけど挑戦は一度負けたら翌年という中で次々と取っていった。
渡辺前名人も藤井さんがいなかったらまだタイトルを3つくらい持っていてトップにいたかもしれない。
それを次々と大差でやぶり19年ぶりの無冠にまで追い込んでしまった。羽生さんの祝辞コメントにもあるけど前人未到、将棋界でこれだけ大きな話題といったら谷川さんの最年少名人と羽生さんの七冠制覇くらいしか浮かんでこない。
それくらい大きな出来事で、まだこれに匹敵するのがあるとすれば八冠独占しかない。
そんな大きなカード2枚のうち1枚が実現した。
今回タイトルが取れなかったら最年少名人は消え、八冠制覇の実現も遠のいたわけだから将棋界にとってもとてつもない大きな出来事となった。数日前菅井さんとのタイトル戦を行い今回が名人戦、そしてすぐに海外対局で旅立つ
本当に忙しく異次元としかいえない。私の場合は悔しいと思っても2日もすれば忘れています。
悔しいことがあったとしてもその程度の対局しかしてないので、対策は必要ありません。このような場合の対処法は十人十色です、なので他人の対処法が自分に合うかは全く別の話です。
例えば、どんな洋服が好きかを尋ねても、好みも違えばサイズも違うとなると、どれが自分に合うかとなると、選ぶには沢山の洋服が必要となります。(この場合は沢山のアドバイスが必要)これではいかにも効率が悪い。
ではどうすれば良いかといえば、自分のサイズを言い、自分の好みの色やデザインを言う。
そうすればそれらの情報を参考に、適したものを探してくれます。というように、質問者が自分に適した対処法(アドバイス)を求めるのなら、自分の情報を沢山出すことです。
そうすればそれらの情報を元にアドバイス出来るわけで、アドバイス者が自分自身の対処法を紹介するより、はるかにあなたに的が絞れた濃密なアドバイスとなるはずです。現状の将棋界は日本将棋連盟があってこそ得られている部分が大きい。
これがもしなくなったらどうなるか。
プロ棋士がいなくなり、ネットで発信するにしても多くの人は興味のないものになるだろう。
そう考えると日本将棋連盟の存在はアマチュアにとってもとても重要なものになるわけだがひとつだけ心配なことがある。現在でもスポンサーは新聞社に負う部分がとても大きいと思うのだがその点はどうなのか?
新聞自体はどう考えてもどんどん衰退していく。
出来れば色んなタイプのスポンサーが欲しいわけだが、自給自足ではなくスポンサー頼みの世界なので、その部分での弱さはある。
新聞社によるスポンサー契約が安泰なら良いが、ここは不安を通りこいている状態なので、そこが一番怖い。
(怖い=自分も多くの悪い影響を被るから怖いという部分が大きい)ネットで将棋を指す人に取って何が一番怖いかといえば、ネット将棋の出来る場所がどんどん少なくなって行くことでしょう。
あそこもなくなった、ここもなくなったとなっていけば、ネット将棋が指せなくなるという不安は当然起こるわけだが、今のところそのような不安は全くない。
将棋倶楽部24で対戦相手に困ることも個人的には全くない。
そういう意味でいうと危惧とは無縁の状態である。
将棋界全体を見渡しても危惧というものは感じない、衰退している分野はあるが発展している分野もある。
どちらの方を強く感じるかといえば発展の方で、将棋がどんどん身近になってきている気がする。昭和の時代、プロ棋士が棋譜をコピーするのも大変だった時代、1つの新手で3ヶ月もつといわれていた。
それが現代では即日に知れ渡り研究される。
そのように昭和の時代は流れがゆるやかだから、将棋界も急に発展することがない代わりに急に衰退することもなかった。
それが現代はあっという間にビックポイントを得られるチャンスもある代わりに一瞬で失う可能性もある。
その顕著な例が藤井聡太さんの登場で、これがもし昭和での登場ならこんなに世の中に知れ渡ることもなかったであろう。
このように同じ出来事でも昭和の10倍になって跳ね返ってくるのが現代であり、移り変わるスピードも昭和とでは雲泥の差がある。
例えば先細りに見える業界でもワンチャンスで発展に転じられるのが現代。
WBGで一躍名を馳せた人がわずか1ヶ月で一転、スキャンダルで選手生命を絶たれるかもしれないのが現代。
そんな中で生き残っていくには、沢山あるだろう重要ポイントをチェックしていかなくてはならない。
それでいうと競技者数はあくまでも中長期のスパンで考えるもので、そこを重点にしていくのでは時代に全くついていけなくはなるだろう。
またどんなものでのそうだが競技人口を底上げしたいとなれば小学生へのアプローチが重要となる。
そうなると小学生の奪い合いになるわけだが、どこが勝利者になるかはさっぱりわからない。
力を入れなければその争奪戦にも参加出来ないわけだから論外にしても、先行きがわからないわけだからそんなに比重をかけるわけにはいかない。
となると色んなところに手を出して、上手く行ったり失敗したりの中でやっていくしかない。このように見るべきポイントが沢山ある、判断も時代の流れの中でどんどん変わっていくというのが現代。
例えば先細りはしてるけど5年は持ちこたえられる、10年は持ちこたえられるという時代ではない。
となれば、見るべきポイント、重要視すべきポイントも当然違ってくるし、短期、中期、長期のスパンで考えなければいけないことも当然ある。ただしそれを危惧し誰がやるのかといえば・・・・・・
競技者は将棋を指しているのが楽しいわけで、観る将はそんな接し方が楽しいわけで・・・・
そうなるとそれを危惧するのは将棋で生活している人達であり、将棋ファンはそんなことはあまり考えないし、その危惧を払拭しようとも思わない、要するにほぼ他人事というような状況で接しているのではないかと思います。
また、そんな接し方が駄目かといえばそんなことはなく、それでもその人なりに将棋の発展に貢献していることになるわけで。○危惧
×器具変換間違いであることは明白なのでわざわざ訂正することもないが、危惧について少し書こうかと思ったので訂正しておきます。
上には強い強い危惧とあるが、具体的にはどの辺りを危惧しているのかがさっぱりわからない。
具体的部分がわかれば「私もそう思う」「そうは思わない」「それならこういう対策がある」「それなら心配は要らない」等が出てくるかもしれないが、
これだと「そうだそうだ私も危惧する」と言ったところで、実は危惧している場所が違っていて意見が全く違うということもありえる。将棋の話題は藤井六冠のおかげでテレビによく取り上げられ、駒の動かし方は知らなくても、将棋という存在はかなり知られているように思う。
それは羽生さんの時代と比べてどうか?、谷川さん、中原さん、大山さんの時代と比べてどうか?
話題として届くという点では現在が一番届きやすい状態にあるのではないかと推測する。ではアマチュアの競技者にとってはどうか?
ネットの普及でいつでも将棋をさせるし、将棋の番組や動画が観たければいつでも観れる。
確かに将棋の競技者人口は減っているだろうが、将棋への接しやすさは目覚しく発展していると思う。危惧するというとすぐに思い浮かぶのが先細り。
具体的な例だと将棋雑誌で現在は「将棋世界」「将棋講座」「詰将棋パラダイス」の3つ。
以前はもっとあったのにというのがどんどん少なくなっていけば危なさを感じる。
(ただしこの場合は単なる先細りではなく、雑誌以外での提供が格段に増えている)
先細りだとわかりやすいのが男性、女流、のプロ棋士数だがここも現状は増えている傾向にある。25年前にネット社会に突入し生活は激変したといって良いでしょう。
それを踏まえて10年後の将棋界はどうか?20年後は?
世の中10年後くらいなら何とか想像出来ても20年後となるとさっぱりわからない。
その点は野球もサッカーも同じ、どうなっているかはさっぱりわからない。
そういう見方をすると20年後も安泰というのは中々ないように思う。このように20年後はどうなっているか多くのものがさっぱりわからないとした時に、それを危惧といえば先行きがわからないわけだからほとんどのものが危惧対象となる。
ではどうしたら少しでも先まで生き残れるかといえば、現在の波に上手く乗っていくことでしょう。
その点でいうと、競技者にしか目がいってなくて、その増加、減少だけで判断するというのは、昭和の時代の判断のしかたのように思います。
昭和と令和では将棋を取り巻いている環境が全く違う。
将棋の今後でいえば、現代にあったスタイルでどう生き残っていくか、発展していくかでしょう。
確かに将棋の雑誌数のように競技者人口は減った、しかし昭和の時代にはなかった将棋関係のものが沢山登場し発展しています。個人的には自分にはほとんど影響のない他人事なので何の器具も持たない。
将棋を指す人口が昔に比べかなり減った現状でも将棋を指すのに困ることは何もない。昔は遊ぶものも少なかったので将棋の比重も大きかった。
しかしファミコン以降はいろんなゲームが家で出来るようになった。
それに加えファミコン以前に将棋を覚えた人がどんどん亡くなっていくわけだから、当然ながら将棋の競技人口は減っていくだろう。将棋の人気を金儲けと捉え経済効果として考えると昔と現在ではどうなんだろう?
確かに競技人口は減ったが競技者はどれくらい将棋界にお金を落としてくれた?
現在は昔はいなかった観る将という分野があるわけだが、野球にしろサッカーにしろ実際に競技をしてないファンの方が圧倒的に多いわけだから、競技者よりも観る将の拡大の方が重要なような気がする。日本将棋連盟でいえば男性、女性ともにプロ棋士の数はどんどん増えている。
内情はわからないが、それだけ人数が増えたということはそれだけ手広く仕事が出来るだけの市場になっているということだろう。6月から始まる棋聖戦第一局がベトナムで行われるともニュースが入ってきた。
どういう経緯でそのようなことになったのか?
次回からも初戦は海外の予定なのか?は気になるところ。挑戦者は佐々木大地七段、定番の3強以外にも菅井八段や佐々木7段が出、羽生九段なんかも出てきてバラエティに富んできた。
「アルハンブラの思い出」は将棋でいえばアマ四段の難易度、24レーティリングだと1600以上か。
クラシックギターを弾くきっかけが「禁じられた遊び(愛のロマンス)」だったとしてそれがアマ初段くらい。
アマ初段くらいになった人が最終目標として選ぶのがアマ四段というのはよくあるケースでしょう。
しかし7~8人にひとりくらいかな、その中からアマ四段になれるのは。
ちなみに将棋を始めて2ヶ月でアマ四段になった人というのは未だに知らない。
それと同じでギターを始めて2ヶ月で「アルハンブラの思い出」が弾けたという話は聞いたことがない。
もっとも将棋のプロがチェスを始めるとか、エレキギターのプロだった人がクラシックギターを始めるとかなら、そういうことも起こるだろうが。「グランソロ」になると奨励会の2級以上か、レーティングだとよくわからないが想像で2400くらい。
ここに将棋を始めて3~4年でたどり着けてしまうというのもモンスター級であろう。
凄いとしか言いようがない。「アルハンブラの思い出」
https://www.youtube.com/watch?v=0sM7QHzGy6E>羽生九段が日本将棋連盟会長になる予定なんですか?
どういう意味で書かれているのかはわからないが、文章通りの解釈だと「なる予定」ということはない。
それを次期会長を決めるのは棋士総会、複数の立候補者が出れば選挙。>ギターのスレがあったと思ったのですが、気のせい!?w
気のせいではないですよ、いまでも新着トピックスの6番目にあります。
ただ・・・・・
トピックを立てた人は、そのような自覚はなかったんじゃない。ギターは好きで、せっかくトピックを作ってくれた人がいるので、時々書き込んで行こうと思ってますけど。
>相当に大きな数の2022年の超過死亡数が、お約束で、○○○2019のせい、と大きく声を上げてるらしいですが、もちろん、その声は、スルーさせて頂きます。
それは、3年前に将棋のタイトルを複数持ってた棋士達がタイトル数を減らしたのは藤井聡太という棋士が出現したせい、と同じくらい確かな声でしょう。
新型コロナ出現のせいをスルーするのは、9割の要因をスルーして残りの1割をああだこうだというようなもの。上の、受信する耳の補足だが・・・・
どの時代も「今の若者は・・・」と言われる。
それはたぶん江戸時代でも言われていたことだろう。
違いは、言われる側が言う側に回ったということで、受信していたのと発信するのでは天と地ほどの差だが、世の中的には何も変わっていない。
耳の受信傾向はこれにあたるし世の中の動きもこれにあたる。
(本当は一部の人がそう思っているだけで、多くの人は自分も若い時はそうだったことを知ってるから言わないのだが)もっとも耳の受信に共通傾向のようなものは少なく、何に関心があり耳が大きくなるかは人によって違うと思うわけだが。
>世の中、戯言ばっかり!いつの世が良かったのでしょうね!?
世の中戯言も沢山あるだろが至言も沢山ある。
それはたかだか人が生きる100年ほどの間に変わるとも思えない。
となればその人が何を受信しやすいかでしょう。
あえていえば至言を受信しやすい耳を持ってた時が良かったとなるのかな。言葉は内容よりも誰が言ったかが大きい。
「今日一日だけはあこがれを捨てましょう」も大谷選手が言うから名言になる。
先日もコンサートで「タンゴには世界で15の名曲がある」といった人がいる。
流石にクラシックギターのプロ奏者は知識も違う、と誰もが思った。
次に「タンゴじゅうご」とも言った。
流石にプロの言葉は心に残る。ギターは一人で学ぶには結構きつい楽器、ゆえに同じ仲間がいると凄く心強い。
一応私が講師をしているギター弾き語り講座、明日が年に1回の発表会「スプリングコンサート」
第1部はソロ~5人グループの小規模での演奏、第2部は全体演奏。
コロナで中止が続き3年ぶり。
私が表に出て弾いても意味がないのでサポート演奏、ゆえに軽め軽めの調整だが久しぶりなので楽しみではある。
ちなみに講座は毎週土曜日の夜。
これが2週間に1度だと1回休むと1か月あいだが空くが、これだと2週間しかあかないのが大きい。ともあれ楽しむしかない。
本番は緊張もするし中々楽しむ余裕は持てない。
「失敗も気にせず気軽に演奏できる今が一番楽しい」
これはこの時期いつも私がいう言葉だが、言われないと気付かずに通り過ぎてしまいやすい。
それが毎年言うものだから浸透しており、言われなくても自覚してコンサートまでの期間を楽しむ人も多くなった。
それはとても良いこと。
私は冒頭のあいさつを何と話そうかと未だに考えているが、その悩むことこそがコンサートが与えてくれる喜びだったりする。
それは例えば将棋なら「来週にある大会はどんな戦法を使おうか」と悩むのに似ている。楽器を演奏するのに切っても切れないのが五線譜で、楽器を演奏するには五線譜が読める必要がある。
というのは半分は当たっていて半分は外れている。
音楽というと一般的には西洋音楽を表すから、それらの楽器は五線譜だろうが、例えば尺八などは五線譜ではない。
ちなみにドラムは五線譜を使う、ただし音の高さを表す部分は、バスドラム、スネアドラムなどの各パーツが割り当てられている。と一般的なことを書いたがギターの楽譜事情はどうなっているのか?
海外は知らないが日本の現状をまず最初に書くと、市販されているギターの楽譜で五線譜だけのものはまず売っていない。
それは何を意味するかというと、誤解を恐れずに書けば、ギターを演奏する人の多くが五線譜が読めないということを意味しています。では五線譜が読めないなら五線譜は書かれていないかといえば8割くらいの楽譜は書かれている。
そしてその下に6本線の楽譜がついているのが一般的です。
この楽譜は通称タブ譜(タブラチュア)と呼ばれており、6本の線はギターの各弦を意味しています。
そして線の上に3とか7という数字が書かれており、その数字は弦を押さえる箇所を表しています。では何故タブ譜も書かれているのか?
理由は簡単、五線譜が読めない人でもギターが弾けるように。
その結果として五線譜が読めない人はどんどん増えて行き、タブ譜なしでは楽譜が売れない、だから両方載っているというのが日本の現状です。そんなこともあって、自分の出している音がドなのかファなのか何の音なのかわからない、という状態で弾いている人がギターでは沢山います。
とくに弾き語りではダイヤグラムといって、このコードはこことこことここを押さえなさいという表があり、押さえた音が何の音なのか知らなくても演奏できたりします。
それがギターの大きな利点。
ただし、ゆえに自分の出している音が何の音かもわからずに演奏しているという、音楽では考えられないような起こっているわけですが。もっとも・・・・・
歌を覚えて歌うとき、自分の出している音が何の高さの音なのかといえば、わかってないし気にもしていない。
五線譜で歌を覚えるかといえばそんなことはなく、耳で聴いて覚える。
歌うことだって自分の声という楽器を使って演奏するわけで理屈でいえばギターを弾くのと一緒。
だから、歌うのに「自分の出している声の高さがわからないと駄目なんですか?」
「歌のメロディって五線譜で正確に覚えなければいけないんですか?」ってなる。
もちろんそんなことはない。
そんなことはないけど色々と不具合が起こったりもする。
(わかりやすいのは複数人でやった時に揃ってないと音がずれる)ギターをこれから習おうとする時に、強い味方となるのが入門用の教則本とDVDですが、
これで浮かんでくるのがYouTobe動画かと思います。
しかし残念ながらギターを習い始めた人が参考になりそうなサイトはまだ私はお目にかかったことがありません。
これは将棋で見てもらえればわかると思いますが、将棋も駒の動かし方くらいからのレベル相手に行っているところは見つからないと思います。
たぶんそのレベルだと人が集まらないのでしょうね。
ギターも将棋もそこそこ出来るレベルになるとYouTobe動画は上達にとても有力ですが、これから始めようとする人には向きません。ギターをこれから習いたい、それも独学でという場合は入門者用の教則本を買いそれをテキストとするのがお薦め。
それもDVD付。
ちなみに多分入門者用の教則本は沢山売れるのだろう、DVDがついていても2000円台で購入できる。買う教則本は演奏スタイルによって異なる。
クラシックギターと書いてあるもの
アコーステックギターと書いてあるもの
エレキギターと書いてあるもの
この3つのどれかだがエレキギターの場合、ロックギター、ブルースギター、ジャズギターと書いてあるものもある。
ちなみにエレキギターはギターの種類を表しているがロックギター、ブルースギター、ジャズギターはギターの演奏スタイルを表している。
ロックギターはロック、ブルースギターはブルース、ジャズギターはジャズを弾くのに適した演奏スタイルであり、エレキギターを使いバンドで演奏するにしてもどのジャンルの音楽を演奏するかでかなり違ったりする。ここには挙げなかったが他にもフラメンコを弾くのに適したフラメンコギターというのもあり奏法もかなり違う。
ギターも見た目はクラシックギターに似てるが、実際はかなり異なる。
他にもボサノバを弾くプレイスタイルがある。
ギターはクラシックギターを用いるが使われるコードがかなり違う。
クラシックギターは演歌の伴奏でも使われ、これも奏法が少し違ったりする。せっかく私の好きなギターのトピックが出来たので、練習や上達も視野に入れながら気まぐれに書いて行こうかと思う。
ギターである曲を練習して弾けるようになったとする。
でその後はどうするの?という話で、要は、弾けるようになったのがゴールではないという話。これを見ている人でギターを弾く人は少ないだろうが、誰しも曲は歌った経験はあり、カラオケに行った経験がある人ならそれなりにいるだろう。
曲を歌おうと思ったらまず曲を覚えなければいけない。
それで曲を覚えて歌えるようになったらそれで完成でそこがゴールか?
そう思っている人はほとんどいない。
カラオケで歌うにしても、まずは曲が歌えるようにならなけでばどうしようもないわけで、覚えたのがスタートライン。
そうしたらそこからが本番で、あとは練習していかに上手になるかでしょ。ギターも全く同じ。
曲が弾けるようになりました、目的達成です、ではないんです。
曲が弾けるようになったは、カラオケで曲をおぼえて歌えるようになったと同じ。
そこまで準備してやっとスタートラインに立てたのです。
なのに弾けるようになったらそれがゴールだと思っている人が非常に多い。
歌を覚えてやっとそこから楽しさが味わえる。
ギターも同じ、弾けるようになって初めて演奏する楽しさが味わえる。趣味、それはギターでも将棋でも何でも良いのだけどどうやったら上達しやすいかとした時に、
森九段は身体で覚えた将棋で実戦オンリーでかなりのところまで強くなった、
美空ひばりは五線譜が読めなくて、代役がまず歌ってそれを聴いて歌を覚えたけどそれでも昭和を代表する歌手になった、なんて話もあります。
でもそういう人は特殊だし、他の部分で凄い才能を持っていたりします。
ですので、どの分野でもそういう人はいるのだろうけど、だからといってそれでもOKということなはならない。
それは結果を統計として見て、どうやったら上達しやすい、どうやったら上達しにくいかで判断するのが凡人には良いかと思う。日本人は日本語を自然に話せるが、外国人で日本人と同じように日本語を話せる人は少ない。
これは日本人は身体で覚えた日本語なのに対し、外国人の日本語は途中から勉強しはじめた日本語だからだけど。
これと同じことが音楽でもいえる言えるわけで・・・・
楽器で弾ける弾けない以前に、楽器で表現しようとする音楽が身体にしみ込んでいる、だからその理屈は知らなくても表現できる。
それは日本人の日本語と同じで、生まれた時からなじんでいる日本人にとってはどうということでないけれど、途中から習い始めた人からすると身体に馴染むまでは途方もない時間がかかる。「楽器を体で覚える」とあるけど、のちにミュージシャンクラスになる人だと奏でようとする音楽は既に身体の中にあるから覚える必要はないのよ。
だから後はそれを楽器で表現する演奏技術を習い始めるだけ。
でも多くの人はそんなに音楽にのめり込んだ後に楽器を習おうとするわけではないからこれから演奏しようとする音楽のこと自体をあまり知らない。
だからその音楽を「楽器を体で覚える」というレベルまで熟知しようとしたらとてつもない時間がかかる。
だからそれを効率よくマスターしていこうと思ったら音楽の知識も同時に覚えていった方が上達はしやすい。ギターの弾き語りをする場合五線譜が読めない人が多かったりします。
これを上に書かれている言い方をすると「まず楽器は理屈はあとからで体で覚えるもの」となるわけですが、西洋音楽をする場合は五線譜が読めないと楽器の練習すら出来なかったりします。
だから五線譜を読めないけどリコーダーが吹けますとかバイオリンが弾けますということはないわけです。
それで楽譜に載ってる拍子や音の高さ音の長さはすべて理屈で出来ています。
そして五線譜が読めないと弾けないという楽器の場合、音楽の基本的な部分の理屈を知らないとどうしようもないということでもあります。それに対してギターの弾き語りは、歌詞にコード名がついていればそれで弾けますので、理屈を知らなくても大丈夫となるのですが。
あと、理屈は後からですが・・・・
後からでも覚えれば良いですけど、そういうことを言う人って何年経っても何十年経っても理屈を学ぼうとしないという印象はありますけどね。ちなみに市民の講座レベルですけどギターの弾き語りを教えていて講座生は現在15人くらいです。
(当講座ではコードだけではなくメロディも弾けるようにしてるので五線譜も当然教えてますけど)
クラシックギターの古典音楽も弾きますが、エレキギターは持っているだけというレベルです。
後はフォークの団体に入っているので、その中でグループを結成して月に2度くらい人前で弾いています。私が思うギターにおける左右の指の動き方は大きく分けてそれぞれに2つずつです。
左手はメロディを弾く時のような、それぞれの指が独立してバラバラに弦を押さえる押さえ方。
もうひとつは弾き語りの時にコード(和音)を押さえる、複数の弦を一定時間ずっと押さえるという押さ方。
右手は指で弾くスタイルと、ピックを使って弾くスタイル。一番上に書かれているクロマチックスケール(半音階)練習、アルペジオ(分散和音)はクラシック音楽を奏でる人にとっては基本的な練習だが、弾き語りでピックでストロークする人からすると必要かといわれれば必要ではない練習だったりする。
逆にクラシック音楽をやってる人達に、Am C F Bmなどの弾き語りでは真っ先に出くわすコードのことを言ってもさっぱりわからない人が多かったりする。
ましてやエレキギターで真っ先に習うペンタトニックスケールに関しては、この言葉でさえ初めて聞くという人が多いと思う。というように、あるジャンルでは真っ先に習うようなものでも他のジャンルの人では全く対応出来ないということが起こっているのがギターの世界です。
それはAm C F Bmという押さえ方を知らなくてもクラシック音楽は弾けるし、アルペジオが出来なくてもコードを押さえてストロークすれば弾き語りが出来るということなんだけど。長くなったから一旦切る
一口にギターを弾くと色んな奏法スタイルがあり、野球とソフトボールほどに中身が違います。
ゆえにどんな演奏スタイルを学びたいかがわかっているのとわかってないのでは最初から違ってきます。
クラッシックギターで古典音楽を弾きたい。
アコギ(フォークギター)で弾き語りをしたい。
エレキギターでバンドの一員としてギターを弾きたい。
これらの違いにより使用に適したギターはもちろん最初に学ぶべき部分も違ってきます。同じクラッシックギターでもクラシック(古典)音楽を奏でる時の構え方と演歌を弾く時の構え方では全く違います。
アコギ、エレキもそれぞれに特徴があって一番最初に習うことからして中身が違います。クラシック音楽を奏でる場合は長調、短調のスケール(音階練習)、右手の複雑な動きを可能にするアルペジオ練習、左指を強化するスラーの練習が三大練習です。
これがアコギの弾き語りですと、コード(和音)を覚える、ピックを使ったストロークを覚えるが最初に行うことです。
エレキギターになると音階でもドレミソラという5つの音で出来たペンタトニックスケールというのを最初に覚えます。
それとコードも覚えますがアコギとは少し押さえ方が変わってきます。「クラシック音楽」
https://www.youtube.com/watch?v=Dx5cCV6_O0o&list=RDDx5cCV6_O0o&start_radio=1「演歌」
https://www.youtube.com/watch?v=nGKuf28Sn4Umantohihiさん
>しかし、20数年 24でやって低級ぬけだせないのは 単に私がボンクラというだけではないでしょう。
将棋も5年やっていれば多くの人はそこから中々棋力は伸びない。
そうした時に20年くらい前のソフトの強さはどうだったか?
市販の「東大将棋」でR1700くらいか?
そうなるとソフトを使って指すということもほとんどなかったかと推測する。
その時に低級を抜け出せなかったのであれば20数年やっても抜け出せないのは普通かと思う。現在の15級は昔とは全く違うと書いたが、昔も13級だとかなり将棋らしい姿になっていた。
それがR500台~R100台の幅でやってるのなら、将棋もしっかりしていて当然だと納得した。プロ棋士ともなれば24でのRは相当高いと思うが、プロ棋士の間では下位の人もいる。
それは順位付けをするメンバーがみんなプロ棋士だから起こるわけだが、同じことは24でも起こってる。
低級であっても多くが町道場の有段者であり町道場の級位者がほとんどいないのであればそこから上がっていくのは難しい。
(町道場の級位者が少ないのは、入ってきても勝負にならないからやめてしまうと推測するが)私はこのようなことから総合的に見てソフトの影響ではないと推測するけど。
>24で15級くらいを安定ですと、将棋ウォーズで基礎力向上に努めるのもありかも。
棋譜を見る限りはどうみても町道場だったら有段者レベル。
他の人もそうだけど昔の24の15級とは全く違う。
弱い人が減ったからかなりの知識があって経験も積んでてということでも簡単には上には上がれないということか。
その代わり、200も500も800も大差ないようには感じたけど。>9割 ソフト指しとおもいます。
こういうのはもう少し詳しく書かないと何をいいたいのかわからない。
①私はそこそこ強いと思ってるけど15級くらいから抜け出せない、それはなぜなのかと考えた時に9割の人がソフトを使っているからなのではと思える。
②ある人と対戦したらメチャクチャつよくてとても人間とは思えない、よって9割の確率でソフト差しだと思える。
パッっと浮かんだのを二つ書いたけどこれだけでも言いたい中身は全く違う。普通に考えると・・・・
ソフトを使えばプロ棋士にも勝てる。
だったら強い人に試すだろう。
なので低いRの人に使うことはほとんどないように思う。
それからソフトを使えば大体で勝てる。
その甘い蜜を知った時にソフトを使わないという選択にはかなり強い意志を必要とする。
そんな強い意志は持ってないからソフトを使い続けるとその結果すぐにRは上がって行く。
よって低い級でのソフト指しとは余り当たらないように思う。それからソフトと戦うと低い級なら短手数で負けることが多いかと思う。
それがそこそこ手数が進んだとしたらソフト相手ではない可能性が大である。
また棋力の低いもの同士が戦うと、しっかり囲ったりということも少なく短手数で勝負が着くことが多い。
それが80手、90手進むということは、それだけの棋力のある人同士の戦いでもあることを意味する。昨日からWBCの野球が始まったがテレビを観ていて驚いた。
画面の左上に単語の説明が出る。
たぶん解説者が放った単語にすばやく対応してだと思うがこのような単語説明は今までに記憶がない。これは絶対に将棋評価値表示の影響でしょう。
野球をあまり知らない人にとっては単語説明はとてもありがたい。
だけどだれも気付かなかった。
それを将棋の評価値グラフが教えてくれた。これからは色んなスポーツ放送で、にわかファン向けに単語の説明文が画面端に出るようになるかも。
そのような迷惑行為は席主さんに名前入りでメールすれば良いと思いますよ。
棋譜で勉強しているのなら棋譜検索をしているはずなのでそれで対象者はすぐわかりますし。
ただし掲示板に名前をのせるのはNGで、それは消去対象の書き込みになってしまいますので絶対に駄目ですけど。新型コロナ規制は色々あったけどそれで失ったものも色々あった。
その中でも学生にとっての3年間は痛かった気がする。
マスク・リモート・その他もろもろ。
その時点ではベストだと思う選択だったのだろう。
しかし現状はコロナの危険性はほぼかわらない中での急激な緩和への舵取り。
それで構わないということなら、学生への規制は結果的には厳しすぎたのではないか。もちろん過ぎてしまったことに関してはどうしようもない。
ただ、また同じような状況下になった時の対策レベルとしては考えてほしいなあと思う。
過ぎたものが戻らないのは誰も同じだが、社会人時代と学生時代は違う。>まあ医者ともなれば、厚労省の職員がワクチンを打ってない情報も楽に入るので信憑性があります。
データ開示要求に対し厚労省の方はデータそのものがない(調べてない)と言って断っているようですが。
これが本当なのか虚偽なのかはわかりませんが・・・・・
厚労省職員に関しては、誰がワクチンを打ち、誰が打ってないかをしっかり調べ上げデータにしているということなんですね。
そしてそのデータは医者だと楽に手に入るレベルで流出してしまっているということですか。厚労省の職員がワクチンを打たないというのも根拠があってこそのはずなので、職員の中では常識レベルで広まっており、その内容がワクチンを打たないことを思わせるほどの内容なんでしょうね。
厚労省が、データ開示要求に対しデータがないと言ってるわけですが、本当にないのなら、実際はないわけだから職員達がデータを入手することはありえない。
実際にはあるにもかかわらずデータがないといわなければならないような内容のものなら、厚労省職員達がそのデータを知っていてワクチンを打たないというのはあまりにもデータが出回りすぎで情報漏えい度がひどすぎる。以上のことから、厚労省職員達のワクチン接種データがあって医者だと楽に入手出来、それによるとワクチンを打ってないというのは本当なのですか。
仮にデータがあったとして、それをないといわなければならないような丸秘データが、厚労省職員達には情報として入っていて、それでワクチンを打たないというのは、情報漏えい度からすると考えられないのですが。
と思ったりするわけですけど。番外
「厚労省の職員がワクチンを打ってない情報」
普通によくあることだが、話題に出すことと出さないことに極端な忖度があるケースがあります。
ワクチン賛成派の人はとにかくワクチンを良いと思わせるものしか選ばないし、ワクチン反対派の人はマイナスだと思わせることしか選ばない。
その時に書き込んでいる人の心の中はというと・・・・・
読み手に対し、とにかくワクチンは良いものだと印象づけたい、とにかくワクチンは悪いものだと印象づけたい、という思いで心の中がほぼ埋まってしまっている。
それを自身が自覚してるのか自覚していないかはわからないけど。日本将棋連盟が3月13日で対局中のマスク着用義務を廃止するようだ。
理由は、政府がマスクの着用ルールを個人の判断に任せるという方針を打ち出したからで、
政府のお墨付きがあれば何かクレームが来ても、政府の印籠を見せれば大丈夫ということなのだろう。それにしても・・・・
発熱があって検査したらコロナの陽性となったとしたら対局は延期になるのかはやはり気になる。
普通に考えれば将棋会館内にコロナの菌をまかれても困るし、棋士に感染させられても困るから延期だろうけど、
日常の中によりコロナが浸透しそうな現状なので、延期が多くなりすぎてトーナメント戦が大混乱ということも考えられるし。 -
作成者投稿