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「驚いた!!(角落ち)」
2回目の将棋連盟杯のトーナメントが終わったばかりですが、上にも書いた第一回将棋連盟杯記念対局の角落ち戦、
鈴木大介九段が指したのですがその初手に驚きました。
平手では絶対に起こらない初手、考えてみれば当然あり得る手なんですけど私はこれまで見たことがなかったです。
いきなり本来は角がいる位置、すなわち向飛車の位置に飛車を振ったのですね。
角落ち戦といえば上手が攻めて行って下手がどう凌ぐか、そういう作りの将棋ばかり見ていたような気がして、
いきなりの向飛車には驚きました。リーダーが大変なのは容易に察しがつきます。
チーム内においても相手チームに対しても、イベント全体においても責任がありますからね。
それが気心が知れてるチームならばまだしも、接点がなかった人達との集まりならなおさらです。
チーム戦ならではの喜びがある一方で、団体戦であるがゆえの不満も起こるわけで、
そのどちらがより強いかでチーム数の増減が進行していくのだと思います。
チーム数が減ったのは、マイナス面の方を強く感じた人の方が多かったということなのでしょうね。
それに比べると個人戦は、共に喜ぶことはなくても気楽であり、参加者にしてみれば気楽が一番ですからね。東京都だと・・・・・・
毎日100人の新規感染者が出たとして、その人達が2週間入院するとして1400のベットが必要。
そして、毎日100人の新規感染者が出、毎日100人が退院するとベット数は1400で変わらない。
それを余裕を見て1600と仮定して現在3300を確保しているから使用率はそれでも約50%。コロナと共存するということは、医療崩壊させることなくコロナと上手く付き合うこと。
10が10倍になっても100だが100が10倍になると一挙に1000になる、
よって数字が大きくなれば大きくなるほど爆発度が大きくなり心配の種は尽きないが、
医療崩壊を起さない、重症患者を極力少なくするのが大切で、そこをみながらやっていくしかない。もちろん都民に対し、自粛お願いね!!、だけではどうしようもないわけで、
攻めの手も積極的に繰り出していかなくてはならないが。24イベント掲示板に専用のトピックが用意されているので、そちらに書き込むのが良いかと思います。
先日将棋倶楽部24で行われた山本四段の指導将棋を見たが面白かった(R2200台相手に飛香落ち)
そういえば鈴木大介九段との記念駒落ち対局はR2000台と角落ち、山口女流二段はR2100近くに角落ちでした。山本四段の手合いがこの中では一番きびしい、それが手にも表れており、終始厳しく攻め立てて勝ち。
(実力からみると山口女流二段のとの手合いの比較はむずかしいが)
山口女流二段も実力を発揮して勝ち。
鈴木大介九段の手合いがこの中では一番楽で、下手にもそれなりに指させてあげたのちに勝ち。手合いの印象は三者三様、基準がないのがよくわかる。
北九州市、東京都、そして他国だが韓国、いずれも不安な数字が出てきている。
東京都はほっと一息つくまもなく二桁台が続き数字も増える傾向にあり心配だ。
現在が新しい日常だとして、首都はそのスタイルで感染者人数を一定に抑えることが出来るのか。
仮に増える傾向になってしまうとそれは地方の危機にまでつながるわけで、
市中感染者が増えると、それまで対応出来ていたものがそれでは通用しなくなることもあり心配だ。韓国も昨日は79人だったか、急増してふたたび自粛要請が出た。上手く封じ込めているとはいわれているが、
一時に大量に発生しそのつど自粛要請というように、上手く行ってるとはとても思えない。
検査も日本に比べたら圧倒的に多く、規制もきびしく接触のアプリがあっても安心は出来ない。
そんな新型コロナの恐ろしさを教えてくれている。東京都も不安だが北九州市も第2波の入り口が懸念されかなり怖い状況になっている。
何より経路不明者が多いこと、そしてそれらが市内に散らばっていることが危機感をつのらせる。
長い期間感染者ゼロだったのがここに来て急増したわけだが、その理由がよくわからない。
外から感染者が入ったのなら一部だけで感染が広がるはずだ。
どこかに出かけ感染し戻って来たとしても一部だけで感染が広がるはずだ。
それが一時に異なる数箇所で同時に発生したというのはどういうことなんだろう?
市中に感染者がある程度いて、自粛緩和で活発に活動するようになったのが原因とみるのが自然なのか。第1波に比べ第2波以降が怖いと思うのは・・・・・
既に市中感染者が一定割合いる状態なので、長い期間感染者ゼロだったものが緩和で一挙に増える可能性がある。
経済のダメージが大きいので、これまでのような低い数字での規制はかけにくく、結果多くの感染者を出す可能性がある。両方を守ろうとすると結局のところ新しい生活スタイルとなるわけだが果たしてどれくらい通用するのか?
もちろん100%の人が守れば大丈夫なのだろう、しかし常に守って生きていくというのも至難の技、
時にははめを外したい人が常に一定数はいるわけで、果たしてその状態でどうなるのか?
結果は今後リアルで体験しながら知ることになる。今夏予定されていた新棋戦はコロナの影響で準備が間に合わず来年に延期とのこと。
コロナの影響でネット将棋が重宝され、今までにない使われ方をしています。
特に将棋倶楽部24は日本将棋連盟の公式サイトですので、こんな時だからこそより一層日本将棋連盟の要望に貢献したいだろうし、日本将棋連盟としても最大限に活用したいところだと思います。
ですのでそちらに比重がかかってくるのは当然のこと、それで新しい棋戦にまで手が回らないとなれば来年に延期というのは自然ですね。>日本の死者数が世界の国々と比べて桁違いに少ないのはなんででしょうかね。
少ないのはその通りなんだけど、数字はそのまま信じない方が良いかと思う。
数字に比べ芸能人の死者の割合が多いのではないかとは言われている。
芸能人や力士はやはり必然と発表されることになるので、ここの数字は信用出来る。
そのような業種の人って全体の何パーセントくらいいるの?
そのパーセントから算出したら一般人はどれくらいになるの?ってことだよね。亡くなってからPCR検査したらコロナにかかってたという人が25人くらいいたと思うけど、
PCR検査自体が少ないから、実はコロナが原因でというのが、
検査されていないだけでかなりいるのではないかともいわれている。
この辺りの数値は検査が少ないわけだから全然わからない。確かに!!(早指し3はPCだけだった)
手軽に今までとは違う刺激で楽しむのであれば、早指し3(フィッシャールール)の大会なんかは良さそう。
枠は24名人戦と同じで構わない上に、15分で秒読み1分と、5分で1手5秒追加のフィッシャールールでは将棋そのものが全く違うから新しい感覚で楽しめる。予想できないけど楽しみではあります。
レーティング差と駒落ち手合い
駒落ち対局のほとんどは片方が手合いを提案し、相手が合意すればそれで成立というもの、
ですからそこにシビアなものは求められていないのが通常です。
しかし稀ですが駒落ちの大会もあるわけで、その時は棋力差により手合いが決められます。
その場合レーティングのように点数があればハンデは明確につけやすいですが、実際はむずかしいですね。まず現在のレーティングがどれくらい信じられるのか?ですよね。
レーティングは300点くらいの幅があり、その幅の中で推移しますからね。
この幅というのはモチベーションがとても関係していて、集中している方が勝ちやすい。
集中して対局するものもあれば惰性での対局もあるわけですが、大会となれば集中力は当然あがる。
するとどうなるかというとレーティング幅の上の方の力を出すのですね。
だから現時点のレーティング点ではないのですよ、レーティング幅の上の部分を参考にしないと。
もっとも現時点の点数ならば誰がみても明確であり、レーティング幅の上の方を参考にするというのは
互角を目指すには良くても不透明な部分が多くなりますからね、そこはリスクとなりますのでお勧めではないですけどね。残りも緊急事態宣言が解除されたが、このタイミングを逃したら感染者が再び増えてしまい解除できない可能性があるから。
増える危険があるのならもう少し待つというのが当然の考え方だが、増える可能性を踏まえた上で、より危険性が高まる緩和措置を行うのだから切ないし怖い。
それでも緩和しなくてはならないのは、それだけ経済が追い詰められているわけで、ハイリスクは承知の上だ。街に人が増えないと経済がまわらない。
しかし多くの人出をみるとやはり心配になる。
また自粛に戻るとまた不便になるし、街に感染者が増えればそれだけ自分の身も危険になる。
それだけ用心しなければいけない度合いが増すわけで心配は尽きない。ソフトによるだろうが、定跡が入っていれば定跡に沿ってくる。
駒落ちはあまりやったことはないが、平手で仕掛けの局面から指すことがよくあるが、
いつも定跡通りの進行なので勉強にならなくて困ったりもする(ちなみにソフトは激指)突っ込みどころは多そうなので、パッと目についた部分だけに留めるが・・・・
>仮に、先手勝率が55%迄伸びたとして
これはプロの公式戦の勝率のことをいってるのか、それともアマチュアも含めた勝率のことをいってるのか。
まずはこれが凄く重要であり、プロの公式戦の勝率をいってるのなら、プロの公式戦でのみ使うべきもので、アマチュアは対象外となる。
アマチュアも含めての勝率ならば当然ながらプロ・アマチュアの区別はなくなる。レーティング差の勝率が載っている。
これに関してはプロの公式戦は関係ないだろう、プロは、より強い人が勝ち、より強い人が富を得る、
それを棋力差があるからと互角になるようにセッティングされたのではたまらない。
よってプロの公式戦は対象外となる。
アマチュアにおいても強い方が勝つゲーム、それを駒落ち戦のようなシステムにされたのではたまらない。
もちろん駒落ち戦には駒落ち戦の良いところがあるわけで、それはそれで今までどおりやれば良いけど。
(駒落ち戦は通常の平手戦とは異なる、この棋力差による調整も通常の対局とは異なる)引き分けは後手の勝ち
これは表現がおかしい(引き分けは引き分け)
引き分けは千日手や持将棋をさすかと思うが、先手が負けるとなれば当然先手は回避するから実際には起こらない。
(連続王手の千日手が起こらないのと同じ)
このルール変更はとても危険な要素を含んでいる。
後手はとくかく待機作戦を狙う、それで手詰まりで千日手模様になれば大きく勝ちに近づく。
無理して打開してきたらそこを咎めれば良いわけで、将棋そのものが大きく変わる。
(角換わり腰掛け銀の後手手待ち作戦のような将棋が極端に増える可能性がある)
すると先手の攻め、後手の受けというように、手番だけで戦い方が極端に変わってしまう危険性がある。新型コロナで私の日常もかなり変わったが、軽いところでは・・・・・
毎朝楽しみにしている朝刊のチラシが7~8割減になっており淋しい限りである、
チラシを見たいが為に新聞を取っているようなものなのに。よく言われる言葉に「正しく恐れる」がある、
必要以上に恐れることはなく正しく恐れることが重要だ、みたいな。
では新型コロナはどれくらい怖いものなのか?
国や県の出しているものを守りさえすれば大体で大丈夫で、それ以上の心配は無用なのか?
それにしても恐怖心を植えつけられたものだ、これだけ植えつけられたら大丈夫だと言われても無理だろう。
それは本当は、必要以上の恐れ方なのか、それともそのくらい恐れるのが正しい恐れ方なのか。自粛の規制を弱めれば第2波へのリクスは高まる(実際に多くの国で起こっている)
しかしここで、大丈夫、そんなには増えていないという実績が作れたら、国民の不安も弱まるし、それは経済の活発化につながる。
東京都の感染者数は昨日はたしか2人、ゴールデンウィークが終わり心配ではあったが、ここまでは想像を超える上出来さだと思う。
感染者が減れば安心が大きくなり増えれば不安は広がる、ここからは自粛緩和の中で、いかに感染者数の少ない実績を積み上げていくのかだと思う。
日本人の習慣がどれくらい新型コロナを押さえ込むことが出来るのか、そこも大きなポイントとなろう。だからといって1勝1敗の引き分けに持ち込めることには全く変わりないですけどね。
可能性だけなら普通に指してアマチュアが勝つ可能性だってある、少なくと寿命が尽きるまで1手も差さない可能性よりもはるかにある。
(可能性だけならまだ他にも山ほどある)
非現実的だなと思うことは多々あるけど、この前提は凄い。あと、持ち時間が有限だということなら、持ち時間規定無しという設定はどうかと思う。
それならば、持ち時間は有限の場合もあれば持ち時間規定無しの場合もある、という前提でないと。ちょっと道にそれるが、2面差しが導入されると、初心者でも羽生九段相手に1勝1敗の引き分けに持ち込む裏技がある。
これは羽生九段自身が将棋年間のアンケートで「宇宙人を相手に地球をかけて戦うとしたら」みたいな質問に答えていた方法だが・・・・まず対局は2面同時に行う(お互いが先手番と後手番のひとつづつを持つ)
これで必ず1勝1敗に持ち込む方法。
相手は先手番の方で必ず最初に初手を指す。
そうしたらそれと全く同じ手を自分が先手の方で指す。
すると自分が差した初手に対して相手は2手目を指す。
そうしたらそれと全く同じ手を自分の2手目として指す。
それを繰り返せば指している手番が異なるだけで全く同じ手順の棋譜が2つ出来る。
結果は当然1勝1敗、これだったらどんなに棋力差があっても引き分けに持ち込める。現在は少しずつだが活動が戻りつつある。
ただし新型コロナの恐怖は常につきまとう中で、将棋道場などはどういう対策で客の安全をアピールするのか?前後左右の距離を取ることは可能だろう、
ただ問題は対戦相手との距離だ、近い上に真正面にいる。
そして両者が同じ駒に触れるというのも心配の要素だ。
これに関しては、自分があるいは対戦相手が感染者でなければ問題なく、対象者はたったの2人なのだが。よく体温チェックをしているが、無症状の人の方が感染力が強く、発症後はかなり感染力が落ちるという信じられないようなデータもある。
となると本当に怖いのは無症状の人で、そうなると本人もその時点では自覚がないだろうから困ったものだ。将棋道場などのコロナ対策はどういうスタイルが定着していくのだろうか?
土曜日の夜はAbemaTVトーナメントが楽しみだ。
いよいよ今週からは予選Cリーグが始まる、チーム康光とチーム糸谷の戦いだ。
チーム康光には谷川九段がおりチーム糸谷には谷川九段の唯一の弟子都成六段がいる。
組み合わせによっては師弟3番勝負が見られるかも知れない。町道場の級位者と有段者という大雑把な分け方をした時に
級位者への一番人気は浦野先生の詰将棋、有段者は塚田先生の詰将棋という気がします。
詰将棋はやはり解けないと面白くありませんが、両先生のは程良い難易度で、そこが人気のある理由だと思います。
おまけに塚田先生のは実戦形が多く安心感がありますし。ちなみに実戦を考えるのなら北浜先生のもお勧めです。
たぶん同じ手数でも難易度がいくつかに別れていると思うのですが、やさしいのは詰め将棋というより詰み将棋に近く、実戦を想定して頭の中で詰みまで動かすのにとても役立ちます。相居飛車戦は一時期角換わり腰掛け銀が多かった、それが現在は相掛かりが増えている。
角換わり腰掛け銀は研究が生きる将棋で、後手もやれるということで多かった。
それが相掛かりが増えてきたわけだが、こちらは逆に研究が進んでおらず手将棋になりやすく後手にとってはそこが魅力だ。戦法は先手も後手も勝ちやすいものを選択するわけで、双方がぶつかったものが戦型となる。
先手がいくら「松尾流穴熊に組めれば勝率80%」だといって目指しても相手が振り飛車にしてくれないことにはどうしようもなく、先手と後手の想いがそれぞれ交じっての先手勝率というのが現実である。前置きが長くなったが本題。
角換わり腰掛け銀は研究将棋だがそこで重要になってくるのがソフト。
ソフトがどういう手を指すのかが重要だが、角換わり腰掛け銀の後手の有力策は千日手大歓迎の待機策。
これは最先端のソフトも後手は待機策で先手はそこをどう崩すのか?ということなのだろうか?
これで先手が仮に崩せなければ千日手で、後手が角換わり腰掛け銀に誘導できる(他の戦型になった場合は同等以上の勝率がのぞめる)場合は、あくまで現時点でだが将棋は千日手という結論になるのだが。先手後手の勝率差はあれど現システムで仕方がないと思っている人はそれ以上突っ込まない。
対して不満がある人はああだこうだという。
(傾向を言ってるだけで、どちらのタイプの人が良く、どちらのタイプの人が悪いということではない)先手後手の勝率差が気になるなら、将棋は常に二面指しで行うことにすれば良い。
これなら文句はないはずだ。
ただしこれだと勝率差は解消されるものの、まずいことが色々起きてくる。これは新型コロナの医療と経済に似ている。
先手後手の勝率差だけを考えるなら二面指しで問題ないが、それでは他のことがまずくなる。現状の方法は、総合的に見てベストだと判断されているから長年変わらずに行われている。
これを先手勝率のみにスポットをあてて公平にするなら二面指し。
しかしあまりにも現実的ではないから現実とのバランスを取るとすると、先手勝率の公平性は落ちてくるが、現実性は上がって来る。
そのような現実性とのバランスを考える必要があるというのなら、先手勝率だけではなく、現在行われている方法に比べ負担がどれくらい増えるのかも考えトータルで考えなくてはいけない。ちなみに究極の先手勝率は100%か0%、もしくは何度先後入れ替えても引き分け再試合の3つのうちのどれかにしかならない。
(どんなに調整しても究極の結論はそうなる)
それが究極の強さならば、一番弱いのは将棋を始めたばかりの人で、棋力により先手勝率は異なる。
そして先手・後手にちょうどいいハンデというのは色んなパターンで検証しないとわからない。
しかしこの手のデータというのは出てこない。
出てこないのは調べてないから、調べてないのは必要ないから、
必要ないのは現状に不満を持っている人がほとんどいないから、ということなのでしょう。「第二波に備えて(個人的)」
我が市は公民館を用いた講座活動が盛んで、たぶん1000くらいの講座が存在する(将棋も5つくらいの講座がある)
その講座活動がコロナの影響で3月に市からストップがかかったわけだが、ギター講座の方から日曜日に6月から再開との連絡が来た。
(ちなみにギター講座は、自粛、自粛延長、再開など、そのつどしっかり連絡がなされているが、将棋で加入している2つの講座はこれまで1回も連絡が来たことがなく困ったものだ)そんなわけで6月から再開予定だが、ギター講座の講師の立場として早急にやっておかなばならないことがあると思っており、それが第二波に備えてある。
再開されたとていつまた自粛になっても全く不思議ではない状態である以上、第二波への備えは絶対である。
その備えは、題して「自宅でギターを10倍楽しむ方法」
例えばだが、CDを鳴らしながら演奏すれば、自宅にいながら合奏(アンサンブル)が楽しめるわけで、ただ単にギターを弾くだけでなく、そのようなスタイルの演奏にも喜びを感じられるようになれば自宅での楽しさも増す。
ですので今は、いつまた自粛要請が来ても良いように、その為の備えが最重要課題です。ちなみに将棋講座の方も特別のことがない限り6月から再開されるはず。
(といっても全く連絡が来ていないので何とも言えないが)
仮に再開されたとしてどうするかは未だに悩んでいるところ。
一応早々には顔を出すつもりだが、コロナを心配しつつ指してどれくらい楽しく対局出来るかは微妙。
ネット将棋もあるし自宅での将棋の楽しみ方には事欠かないので、それらも踏まえてどうするかというところである。「新型コロナと車の運転」
車の運転に危険は付き物だが運転さえしなければ事故を起すことはない。
新型コロナも怖いが、自宅に閉じこもってさえいればほとんど大丈夫。ならば危険だから極力車の運転はしないようにするかといえばそんなことはない、
安全運転さえしていればたぶん大丈夫だろうということで運転している。では新型コロナの場合は?
不要不急の外出はしないをずっと続けるのか。
車運転の考え方に沿えば、安全対策しつつ普段の生活に戻すということになるのだろうが。10万人当たりの1週間の感染者が0.5人以下というのが解除の基準だが、解除されている地域の場合どれくらい危険なのだろう?
10万人当たり、仮に10倍の感染者がいたとして5人、100倍いたとして50人
自分がこの人達と遭遇して感染してしまう確率はどれくらいあるのだろう?
将棋道場で対局したとして、その中に感染者がいる確率は?そして自分が感染してしまう確率は?
確率だけでみればほとんど心配しなくて良いのだが・・・・・「格上と格下・・・ある対局前のひとこま」
ある対局でのこと、I棋士は今日は下座に着くと決めて入室し下座に着いた。
(格上ではあるが先輩に敬意を払った)T棋士は下座側から部屋に入ったが、少し戸惑った表情で上座に着いた。
上座に着いた棋士が駒箱を開けるというのが通例だが、T棋士は駒箱をI棋士の方に近づけ、駒箱を開けてほしいという意思表示をした。
I棋士は押し出された駒箱を恐縮しながら押し返した。
するとT棋士は駒箱を開け、駒を盤上に散らしながら玉将を取った。
I棋士は「失礼します」と言って王将を取り対局が始まった。
「2:6:2」
対象は全ての人ではなく日本人だと思うが2:6:2で分類していたのを見たことがある。
2割が自らを規制できる人、
6割が言われれば規制を守る人
2割が規制もどこ吹く風の自由人新しい生活様式が必要な中で、自由人がどれくらい自由な生活行動をしてしまうのか、そこは大きなポイントです。
500人で3人ですと1000人ならば6人です、ですから0.6%になります。
(6%でも0.06%でもありません)緊急事態宣言の解除で街に出る人が増えてきており、それを心配する声は多い。
心配は当然のことではあるが、それを「気のゆるみ」という言葉で表現されているのにはかなりの抵抗がある。
多くの人は気が緩んで街に出ているわけではないと思う。
その人なりに用心しつつも街に出ているというのが大半なわけで、これがこれからのスタイルになっていく。
その上でどうなるのかで、そのスタイルを続けられるのか、また家に引きこもらなければいけないのということになる。6月から1万人規模の抗体検査を行うとのことだが、発表と同時期に確か東京のだと思ったが500人を調べて陽性が3人(0.6%)だったという数字には驚いた。
(もちろんサンプル数が少ないので信用度では全く足りていないのだが)
個人的には一桁違っていても不思議ではないと思っていたが、罰則がなくても規制を守る、あるいは衛生面を重視するという国民性が想像以上にコロナを押さえ込んでいたのだと推測出来る。
日本におけるコロナの死者の少なさは奇跡といわれているが、その要因は国民性にあるのだろう。
国民は頑張ったし、これからもその時々で状況に応じた頑張りが出来るであろう国民性に期待したい。>たまに仕方なく居飛車になってしまったり、中飛車で妥協せざるを得ない序盤になりますが、ほとんど勝てません。
四間飛車は相振り飛車は嫌だとか選り好みをしなければ、四間飛車一本で構わないという戦法です。
>やっぱりそれでも勝てるようにしないとダメでしょうか?
これからも使うのであれば勝てるようにしていかないとダメですが、
一方で、ほとんど勝てない戦法をあえて選ぶという必要はありません。戦法選択には、実践的に勝ちやすいからという理由で選ぶものと、
自分が指してみたいからという理由で選ぶものの、大きく分けて二つがあります。
それらも考慮して選べば良いのではないですかね。5月17日(日) NHK杯将棋トーナメント
コロナの影響で新しい対局が見れないのは残念なところだが・・・
番組表を見たところ、明日放送されるのは、伝説の一手が生まれたあの加藤VS羽生戦。伝説になった大きな理由は、NHK放送だったこと、
そしてもうひとつは解説が米長先生だったこと だったと思っています。この将棋、角換わり棒銀が定跡に近い形で進んでいったので興味深々で見ていた記憶があります。
(当時は角換わり棒銀が得意戦法のひとつだったので)「同じ発音でも意味が全く異なる二つのしゅうそく」
テレビ等でしゅうそくという言葉をよく耳にするが、どういう意味で使っているのかがわからないのが多い。
収束・・・・・収まる
終息・・・・・終わる私は多くを終息という意味で捉えていたが、長い付き合いになるとも言ってるわけで、
どう考えてもコロナ騒動が短期で終わるとは思えない。
しかし、コロナが収束しつつある、すなわち収まる傾向にあると言ってるのならわかる。広島県のホームページを見たら警戒レベルが4段階に分かれており、警戒レベルごとに解除される対象が書かれていた。
商売関係がきついのは元よりだが、娯楽だってずっと抑えられていたらきつい。
自粛、規制解除の繰り返しでも良いから、将棋を指したり、集まって楽器を鳴らして構わない状態も作ってほしいというのが、個人的な思いである。二枚落ち限定で語るトピックにみたいに見えるけど違ったのですね。
読み方が難しいというよりも私には絶対読めない。遠大な構想というからにはかなり前の段階からイメージしていたということになるけど・・・
下手が桂馬で金を取らなければ飛車の移動は実現しないですからね、早い段階でそこまで見越してイメージしてたとはとても思えない。
手の流れの一変化として起こったようにしか見えないけど。詰将棋の本を買った最初の頃のが清野静男八段のものだった記憶があります(別に作者で選んだわけではなかったけど)
その清野静男八段について面白い記事を見つけました。
(きよの)と呼ばれていたとのことです・・・東京の方ではそう読むとの事、
新潟の出身で、何かで新潟では(せいの)と読むのが正しいとの事で先生に直接聞いたら(せいの)と読むとのことでした。
ただ「そんなことはどっちでも良いんだ」とも言ってたそうです。
これは十六世名人でもある中原先生にインタビューしたもので「変わった先生はいましたか?」という質問に最初に出てきていますからかなり変わっていたのでしょう。
面白いのはこちらの方でして・・・・
対局中ふらふらと出てしまって、外から電話で投了を告げたことがあったとのことでこれにはビックリです。>せっかく今凄い経験をしてるのだから無駄にはしたくないです。
自粛を強いられている毎日ですが、どんな一日であっても貴重な一日であることには変わりないので大切に使っていかないと。
そんなに苦しくない人には言いたい言葉です(かなり苦しい思いをしている人にはとても言えないけど)今回のことがあって良かった、は珍しい意見ではあります。
「結局〇〇なだけの話」、これに沿えば、例えば将棋道場に行きたくなければ行きたくないと言えばいいだけの話となるし、働きたくなければ働かなければいいだけの話となるけど、これらに関してはそんな簡単な話ではないということなのでしょう。
ただ、その割には簡単な話ということで一刀両断にしているのもあったりして、凄い差だなあというのは感じました。テレビで宮城県の例をあげていましたが、それによると今日から再開しても構わない中にカラオケ店もライブハウスも入っていました。
当然店側も対策をほどこしますし、客の方も用心しますから以前のようなことはありません。
しかしそれでも以前とは違うすごく怖いことがあります。
それは市中感染率で、以前でしたら密集していてもその中に感染者がいる確率は低かったです。
しかしそれに比べると現在は桁違いに多くなっていると思われるわけで、感染者との遭遇率は何十倍も上がっていると思われますから。
そして感染者のコメントには「用心していたのに」というのもありますから、用心は当然大切ですけど、それで大丈夫というわけではないですからね。>カラオケ店やライブハウスが営業再開したらです。
それですと、6月末頃にはカラオケ店やライブハウスが営業再開されるのではないかと見ていることになりますね。
50人以下の集まりというキーワードが出ているので、早い県では5月の段階でカラオケ店やライブハウスが営業再開が認められていても不思議ではない状況ですよ。
営業再開がなされたとしても、規制緩和ですぐに次の波が来てまた営業禁止に戻ることも予想されるので、
個人的にはカラオケ店やライブハウスが営業再開されたからといって、とても終息したとは判断できないですけどね。終息といっても、どんな状態を終息だと捉えているのかはバラバラである。
(バラバラというのは個々の捉え方だから仕方がない)バラバラゆえに、どういう状態を終息だと捉えてるかが書かれてないと読み手はさっぱりわからない。
そこが書かれていてはじめて、その時期ではまだ無理とか大丈夫とか、終息の捉え方そのものが甘すぎるとか厳しすぎるということになってくる。気分を害したということはありません、
私の方こそ気を使わせてしまい、強く書き過ぎたと反省しております。>判定機能を用いる時に選択肢の真横に書くよりも、他の場所に書いた方が「(それが一番わかりやすいから)」というご見識なのでしょうか?
「例外も一緒に書くものです」と書いているのに、どのような読み方をしたらそのような質問になるのか!!
>自分の勝ち(千日手・持将棋中断の場合はこの判定をしないで下さい)
>私が気にしているのは、運用上の勝ち負けではなく、中断判定を行う上での『(自分の勝ち)「除く 持将棋 千日手」』です。明示してあるからには24のルールでしょう。(2020/05/02 01:39)
これは24独自のルールではないです。
千日手・持将棋は勝ち負けでいえば引き分けとなるのが将棋のルールで、24ではその方針に沿っているだけです。
ただしその対局を終わらせるためには、ネット将棋の場合は片方が通信を切らないといけません。
ですのでその場合の対処法が書かれているだけです。上にも書きましたが持将棋は引き分けです。 2020/04/30 10:16 (千日手もですが)
ただし持将棋も千日手も両者合意したものがそうであり、仮に条件を満たしていたとしても対局が続けば対局が優先されるわけで、対局途中のものは仮に条件を満たしていたとしても持将棋や千日手が成立したとはいえません、それはあくまでも対局途中のものという扱いです。これも上の同じところに書きましたが今回のケースは持将棋ではないです。
判定機能を用いる場合、どんなものが例外に当たるのかがきちんと明示されていれば、例外に該当するケースの場合は当然例外の方の指示にしがうことになりますね。
ただ、通常はすべての会員にゆだねると同じ場所に、但しといって例外も一緒に書くものです(それが一番わかりやすいから)
でも少なくともそこには例外は書かれてないですね。ルールである以上明確な決まりが必要ですが、今回のケースに置いての24のルールというのはないと思います。
そもそもが明確なルールがないから尋ねているわけでもありますし。それから「判定を下してはならないのではないか」に関しては明らかに間違っていると思います。
そうなのであれば中断のままが当然であり、権利を与えているシステムそのものが不自然です。
あえて権利を与えるシステムにしながら判定を下してはならないとなると、
では何故判定を与えるシステムにしているのかの説明がつきません。
24のルールということでいうなれば90秒経てば判定を下す権利を得られるというのが明確なルール、
(それは判定を下して構わないということを意味しています)
判定を下してはならないのではないかに関しては、個々の考えであり24のルールにはなってないです。判定する権利を得た人は好きなように判定して構いません。
好きに判定して良いわけですから勝勢を理由に勝ち判定するのも問題ありません。
対局放棄と捉えるなら如何なる局面でも勝ちでありこれも問題ない。
不慮の事故でも90秒経っても戻らないことを理由に勝ちとするのも問題ない。
ただし中断局面と捉えるならまだ対局の途中、終わった局面と捉えるなら決着つかずが自然。
(勝勢を理由に勝ち判定するのも問題はないけど、これでいえば不自然な判定の仕方だとはいえます)将棋倶楽部24には判定があるけど通常は将棋に判定はない(持将棋のようにルールがはっきりしているのはあるけど)
普通は対局途中の局面で勝ち負けを決めることはない、途中で終わった場合は局面に関係なく無勝負。①「持将棋」で相手が24点未満の時でも・・・・持将棋は必ず引き分けですが、このケースは点数が足りず持将棋ではないです。
②相入玉で自分の方が圧倒的に点数が多い場合、相手の合意を得ないで勝手に勝ちにすることが出来るのか?
入玉宣言法のルールに該当する局面まで持っていって宣言しない限り駄目なんじゃないかなあ。③今回のように相手が対局放棄をした場合、90秒経っても戻らなければどんな局面であろうとも
対局放棄を理由に勝ち判定にすることが出来る、と思います。今回のケース、引き分け拒否は問題なく、どのように判定するかは、自分の好きなように判定すれば良いんじゃないですか。
「1年は覚悟」と「2022年」はワクチンや特効薬が出来る出来ないの前提が違うだけ。
最悪は、ワクチンや特効薬が中々出来ず免疫も一年程度しか効かない場合で、これは同じことの繰り返しでとても長くなる。「ゲームとハンデ」
将棋大会は棋力別にクラス分けされることが多いが同じクラスでも上と下ではかなり棋力が違う。
だからといって同じクラス内で駒落ちで戦うということはまずない。
将棋を始めてからの年数も同じで、初めて1年と初めて10年とでもクラスが同じならハンデなし。
そういう世界で損だ得だと言っても仕方がない。
ゲームというものはそもそもが強い方が勝つものであり、それを互角になるようにハンデ調整をしたのちに戦うものではない。
それをハンデ調整する場合は、それをしないと始めから勝負にならない時であり、互角になるように微調整するということはまずない。 -
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