フォーラムの返信が作成されました
-
作成者投稿
-
将棋人生でも20手を超える王手をかけた記憶はほとんどありません。
(長いと思っても調べると10手台だったりする)「ふなりは成なの?それとも成らないの?」
これは厳密にいえば「成」ですが紛らわしく間違いやすいですね。
ふなりは漢字で書くと「歩成」
「不成」は「ふなり」とは読まず「ならず」と読みます。「眠れないのは・・・」
昔は大会がある日となると眠りが浅く、早く目が覚めてとにかく寝不足で体調が悪かった。
これはアマチュアだとよくあることだろうがプロはどうなんだろう。
通常と変わらないという人は少ないと思うがよくわからない。
それよりも対局が終わった後・・・・・
アマチュアはぐっすり眠れるがプロは興奮して眠れないという。
ここに関してはプロとアマの差がはっきり出ているように思う。「負けたらプラス1品」
私が毎週リアルの対局で通っているところはトーナメント方式、
4~5対局で決勝まで行き、途中で負けたら負けたもの同士の自由対局。
帰りはスーパーに立ち寄るが、優勝したりすると自分へご褒美で少し買い物量が多くなったりする。
これが大会だと賞品がついたりするが、個人的には勝った人は気分が良いのだからそれで十分で商品はいらないだろうと思ったりしている。NHKで某大物棋士先生のドキュメントが流れた中で確か対局が終わって家に着くと缶ビールを2本飲むのが日課というようなことを言っていた。
負けた日はそれにワインが付くようなことを。
勝ったこと自体がご褒美であとは何もいらない、しかし負けたら何かプラスしなくてはとてもやっていられない。
プロの厳しさが伺われる。「大山先生の大盤解説」
といってもほとんどがNHK杯での聞き手の永井英明さんとのやりとりだが・・・
とにかく次の一手が当たる、的中率が格段に高かったという印象を持っています。
加藤一二三先生は盤上最善手と挙げる、
米長先生は対局者の傾向と将棋指しの哲学をミックスしたような視点から挙げる。
それに比べると大山先生のは大局観か、棋士だったら次はこう指す、みたいな感じ。
大山先生の将棋は1度目のチャンスは見送るとか、終盤が2度あるといわれていた。
相手が指すだろう手の予測的中率が高かったから高い受けの技術を発揮し続けていたのだろう。「一手ずつ解説する棋書シリーズ」
5年くらい前か「一手ずつ解説する棋書」が出て爆発的な人気を得てそれから20冊くらいは同じようなのが作られてきているんじゃないかな。
詰将棋に置いても同じだけどとにかく手数の短いのに人気がある。
それは、棋書としてそれくらいのレベルがベストだと思う人がそれだけ多くいるということを意味していることでもあるのですが。そういえば私が有益としているギターのYouTobeですがそんなに登録者数が多くありません。
それに比べるとかなり落ちると感じるところがその10倍近い登録者数がいたりして。
そして普通の動画だと思うのに高評価がのコメントが沢山あって・・・・・将棋の場合YouTubeだとそのレベルを対象としたのってないね、矢倉や美濃の囲い方を教えるようなレベルのやつ。
#30206 詰将棋
5手目の2択がポイントでそこから景色がガラッと変わった印象を受けます。
音楽でいうと、長調から短調に変わるとかハ長調から二長調に転調する感じ。
収束も上手く決まっていて、これまでの中でもトップクラスの出来なんじゃないですか。個人的には・・・・3三の桂馬が持ち駒というのが好みかな。
>「打」も「不成」も分かりやすいから良いかも・・・( ˶’ᵕ’˶ ) まぁ、よろしいのではないでしょうか。
「不成」の表記は絶対に必要なもので全くの別物ではあるのですけどね。
どちらかを選べる状態にある時に何も表記がないと「成」なのか「不成」なのか判断は出来ず表記としてはありえません。
表記として”何も書かれていない”と「成」に分かれていれば良いけど、”何も書かれていない”という表記方法は使われていず、「成」「不成」の2つしかないですからね。「練習曲(エチュード」と「指定局面対局」
練習曲はその名の通りその技術を磨く練習目的で作られた曲。
技術そのものは曲にしなくても単独の練習で習得できることがほとんどですので、技術を習得する一方で応用という面も強い。将棋でこれに似たものをと考えた時に指定局面からの対局が浮かんでくる。
指定局面からの対局自体は「実際に戦ったらどちらが勝ちやすいか」を何局も指すことで検証するという意味合いが強いが、定跡、戦法を単に覚えるだけでなく、実際に対局することで実戦経験を積むのにも適しており、それが練習曲に似ているように思う。「おもしろ詰将棋216」
二上先生の詰将棋501問やっとすべて打ち込み終わりまして、いま打ち込んでいるのは神吉先生の双玉の詰将棋です。
この本は10年ほど前に古書店で700円ほどで売られていましてかなり悩んだ記憶があります。
そうこうしているうちに古書店はなくなりそれきりでしたが、こちらもかなり悩んだ末にネットで購入しました。
(おかげでかなり割高になりましたが)>「盤上の駒をそのまま動かすとき」に「7五金」・・・「打」を書かない って場合分けされてるんですよね
私が書いたのと同じ意味でした(汗)
>細かいルールはマニアの世界です
これは詰将棋を解く人に対してのルールですね。
詰将棋そのものがそれで支障がないように作られている、細かいルールはそのような詰将棋を作り出すためのルールだと思います。
詰将棋を解く人は沢山いますが自分で作ることも並行してやっている人はその10分の1もいないでしょう。
それからすると詰将棋を作ること自体完全なマニアの世界ですけど。>「持ち駒を盤上に打つとき」に「8六金打」・・・「打」を書く
棋譜も詰将棋の答えも同じですが持ち駒を使う時も「打」は使いません。
棋譜の読み上げでも「打」はほとんど耳にしていないかと思います。
唯一例外は区別がつかない時で、この時は付け加えます。例えば玉型が5一玉、攻め方の持ち駒が金だとして、5三にいる攻めゴマが銀だったら5二金までの一手詰、
5三にいる攻めゴマが金だったら5二金打までの一手詰です。
(これを5二金の表記だと盤上の駒を動かしたことになり同玉とされ詰まなくなります)「いかにも詰将棋」
これぞ詰将棋という見本のような詰将棋
「まいにち詰将棋」日本将棋連盟 6月25日出題 7手詰
↑
「多数決」100人いて100の事柄についていずれも賛成派51人、反対派49人だったら・・・・
51の事柄が賛成、49の事柄が反対になるのがバランスとしては良いと思うが、そうはならず100の事柄すべてが賛成となり可決される。
多数決は一見すると平等なようだが100回やっても少数派の意見が採用されることは1回もない。
フジHD株主総会も結果は同じで全勝と全敗で明暗がはっきり分かれた。
↑は詰将棋ではないとだけ書きましたが、それ以外に何か書くとヒントとなりすぐ意図がわかってしまうので控えました。
一見するとどうみても詰将棋
chibi-marukoさんも書かれていますが初手3一角成は打ち歩詰めなので回避の3一角不成が手筋で5手詰。
ところがこの問題そんなに簡単ではなく詰まないのです。
ですのであえて名前をつければ「逃れ将棋」(森信雄先生命名)で受け手側はどうやって詰みを逃れるかというものです。
(逃れる問題を解いて欲しいのではなく、逃れる妙手を見て欲しいのですが)初手3一角成は打ち歩詰めになるので初手は3一角不成とするしかありません。
そこで受け手側は3二に合駒をするのが妙手となるのですが桂馬以外はすぐ詰んでしまうので2手目は3二桂です。
3手目はそれを飛車で取るのですが飛成としたのではまた打ち歩詰めになってしまうので3二飛不成とします。
4手目1一玉に5手目1二歩としますが6手目2一玉と逃げて詰みません。
3一角不成 3二桂 同飛不成 1一玉 1二歩 2一玉までで逃れています。これ実は二上先生の詰将棋でして、本当はそのまま出したいのですがそうも行かないのでわざと詰まなくして出したのです。
実際の詰将棋には2四の銀がありません。
ですので逃れている局面から1三桂 同金 2二角成で詰みとなるわけですが。打ち歩詰め打開で一件落着と思わせ実は3二桂の罠を用意しておく。
そしてその桂馬を使って詰ます、その中に大駒2回の不成も入っていてコンパクトながら上手いなあと思った次第です。一見すると詰将棋にみえますが詰将棋ではありません。
>簡単だ!
それは良かった。
「詰めチャレ」
詰めチャレを始めて一週間とちょっと、レーティングは上がっているが正解率は1割ほど落ちてきた。
当たり前だがレーティング方式なので上がれば上がるほど難易度も上がるので正解率は下がっていく。
最終的には正解率5割、レーティング数値も変わらずのところに行くはず・・・・・そういえば・・・
指しながら詰ましに行くようになって不正解が多くなった。
失敗しても実戦なので詰むこともあるが、ほとんどの場合間違えたら詰まない。
これを我慢して20秒までは考えるのみにしたら正解率が復活してきた。↑の局面から3七金と桂馬を取りに行った手に対し9九馬としていますが、人間的には2八桂成でしょう。
この2手の交換でせっかく攻めのターンが回って来たのにまた玉への心配事ができてしまったように思います。>・・・実戦では、相手が3六桂♪☆と、金取りに桂を手放してくれたので「桂を入手できれば寄せられる」と思い、3七金から桂を取りに行きました。
そうですか、桂馬が入手できれば寄せ切れると思い取りに行きましたか。
↓の局面ですよね。
私はこれだけ持ち駒があれば十分だと思うのでとりあえずは3二飛と打って次に6一飛成をねらいますけどね。
自玉は現状危ないところは何もなさそうですし。
1手違いの速度計算とあるけど私ならそんな危険な順ではなく安全勝ちを考えますけど。イランの核施設にアメリカ軍が攻撃
大きなニュースが入ってきた、
「リアル対局で結構見るマナー的に?な行為」
一言でいうと駒の手離れが悪い人、
指してはやめ指してはやめが多い。
私も指す直前に気が変わって駒を戻すこともたまにあるので、そういうのが時々起こるのは仕方がないと思っている。
しかし1対局で5回も6回もするのはいただけない。「ネット対局に置けるマナー」
飲酒しながら対局する
寝転がって対局をする
相手が長時間指さない時は対局以外のことをしている(長時間といっても3分以上で指す気配がない時)
テレビを見ながら対局する個人個人で異なるとは思いますが、私はこれらの行為はマナー的に大丈夫だと思っているけどどんなもんだろう?
ちなみに・・・・
リアル対局で相手が少し考えるとすぐスマホを出して画面を見ているどうしようもない奴が私の身近に一人いる。>自玉側から一番遠い端の香車を1つだけ浮くかなぁ。
なるほど
こちらはどうすれば良いのかよくわからないけど相手の攻め方は大体でわかります。
2四歩、2五歩、3三桂、1三角、2一飛で飛車の大転換
形は右玉だけどこんな感じで相振り飛車で戦うのがこの戦型の大きな戦い方の一つなんだよね。マナーとしては良くないけど、こちらはじっと待つしかありません。
確かに相手はマナーは良くない、でもだからといって自分の手番でもないのに勝手に投了して立ち去る行為はどうなんだ?
相手の事なんてどうでもよい、大事なのは自分自身の行動。
私は「それを試されている」といつも思ってます。QQminoriさん
コメントありがとうございます。
こちらの振り飛車に対し相手の方が採用したのは「対振り右玉」という戦法です。
右玉自体は昔からある戦法ですが相居飛車戦で採用されるもので振り飛車に採用されることはありませんでした。
そんな中で例外としてあったのが糸谷流右玉でこれは振り飛車に対しての戦法です。
ただしこういう戦法があるというだけのことでアマチュアでもほとんど採用されてこなかったように思います。
それが5年くらい前に「スリル&ロマン 対振り飛車右玉 」という棋書が出てから静かなブームが起こり、それから毎年棋書も出続けており、プロ、アマ問わず採用が広がっているように思います。さて局面ですが昔の右玉とは玉と金の位置が逆で、玉をt囲うというよりも中央に置いて、全体のバランスで指すというのが現代感覚に沿った駒組となっています。
この駒組ですが実は居飛車戦でも使えるのが特徴で、6月8日のNHK戦で高田五段が相居飛車戦で採用していました。
(高田五段は「右玉新時代」という棋書も出している)
ただし対振り飛車で採用するのと対居飛車で採用するのでは若干駒組の異なる部分があります。
そのひとつが左側にある金で、居飛車戦の場合は角頭が狙われるので3二金が必要となります。
しかし今回は相手が振り飛車ですので角の頭を攻められることはありません。
ゆえに対振り右玉では5二金と玉の守りに使いたいところです。
そんなことから、形は何となくわかるが詳しい知識は持ち合わせていないなということが推測されるところです。結果ですが私の負けとなりました。
全体的には激戦で最終付近で相手の桂馬を取る手がありました。
その桂馬が増えることで相手の玉が即詰みになっていれば私の勝ち、なってなければ私の負け。
それで残り時間を使って3分以上考えたと思います。
結果詰まないと判断し他の延命策を取ったのですが、それではほとんど勝ち目なしということでほどなく投了しました。
考え方として詰まないけれど、もしも相手が逃げ方を間違えてくれればチャンスがある、というのがあります。
延命で勝てそうもないのならそちらに命運を託すというのも選択肢のひとつですが「相手が間違えるような局面ではない」との判断もあり延命が選んだのでありそれは仕方のないところです。ただ・・・・・
両者とも詰まないと思っていたのですが感想戦中に即詰みの手順を発見しました。
それもそんなに難しくない、詰将棋ならひと目というような手順でして・・・
それが3分も考えて発見できなかった。
そこに関しては大きな課題を残しました。
(これくらいのレベルの難易度なら確実に詰みを発見できないと・・・)「嬉しいような悲しいような」
あるシークレットな戦型だが丸々書かれている棋書は私は1冊しか知らない。
(複数描かれている中には取り扱われているのもあるが)そんな棋書だが私が一番重要視している部分は10ページにも満たない。
なのでほとんど書かれていないわけでその点に置いてはがっかり。しかし何故取り扱われていないのかについては・・・
「こうなれば既に片方が良く、ゆえにこうはならない」ということでほとんど触れられていない。
ということでこの局面が既に良いというのは大きな追い風でありそれは大いに嬉しい。プロレベルではならないのだろうが、アマチュアだと8割方この形になるんだよなあ。
「勝つと〇からが怖い」
自分より強い人に勝つと・・・・・・
私もそうだが「次は絶対に負けない」と本気を出してくる。
それが一回だけなら良いが・・・・・
当分は本気モードが続く。
勝つと次からが怖い。
昨日のリアル対局より
週二回通っている将棋同好会だがメンバーは40人くらいで常時20人ほどが集まり、私と同じくらいの棋力の人が多いので面白い。
そんな中での昨日の対局。
相手の人はいつもこんな感じの組方で私は中飛車から三間飛車に組み替えて石田流を目指した。
すると大体でこんな感じになる。こちらは美濃囲いでイメージとしては玉が遠い感じ、
それに対して相手玉は中住まいに近いのでどこかを崩せれば玉は近い。
ただし銀2枚が強力でどう攻略すれば良いのかが一番の悩みどころ。
あとは後手の角のラインが不気味で後手としては狙いのひとつだろう。
桂馬が跳ねればそこは緩和されるが飛車が余りにも狭くなるので一長一短。MUSICIAN(伊勢正三)
https://www.youtube.com/watch?v=bouUQ9WxudQ
この中に好きな人生の戒めにもなっている歌詞がある。
ミュージシャンが演奏で「良いフレーズが弾けたと感じ、そのことを相手に伝える」
(この場合の良いフレーズというのはたぶんアドリブのフレーズだと思う)
しかしその話を聞いた相手は、それがどんなに素晴らしいことなのかはさっぱりわからない。こんなに素晴らしいのに相手はその素晴らしさが全くわからない。
そこには相手との決定的な差があるわけで「わからない相手に言っても仕方がない」みたいな高低の差が生まれる。その一方で「今日作ったポテトサラダはまた少し改良してあって」みたいなことを細かく説明されるが、説明を聞いても味わっても違いがさっぱりわからない。
「何でこの素晴らしさがわからないんだ!!」と思うけど、実は自分も同じで素晴らしさがわからない状態にあったりする。
「詰将棋の持ち駒ルール」
少し前に羽生九段が子供の頃作った詰将棋に飛車が3つあったことを書いたが、指し将棋と同じく飛車は2枚と決まっている。
これに関してはルールを決める段階の候補としては無制限もあるわけで、その方が作品の可能性は広がる。
しかし広がれば良いというものではなく、駒数は指し将棋と同じがベストだろうということで現在のルールになったのではないかと推測する。
いくら芸術性とはいえ現実離れしたものに対しては「如何なものか?」と反発を買うのは当然の事かと思う。では受け手側の持ち駒ルールは?
中途半端は駄目だろうから、残り全部にするか持ち駒はなしにするかどちらかにするしかないと思うが・・・
やはりここで考えるのは「どちらの方がより自然か」ということで。
残りの駒全部が受けて側の持ち駒ということはまずありえず、それに比べれば持ち駒を持っていない方がはるかに自然である。
しかし・・・・・・
現実離れしたありえない不自然な方を選んだんだよね。受け手側に持ち駒がないと原則合駒は出来ない。
しかし攻め手側の駒を取ればそれを合駒として使えるわけで、その辺りを含みにした作品も結構作られていただろうとは思う。今日大谷が二刀流復帰ということで関連動画がテレビから流れている。
練習風景では選手がスローモーションでひとつひとつの動作を確認しながら行っている。
一流選手がスローモーションで動作を確認するというのはよく目撃する光景だが、それを将棋で例えるとどうなる?
「スローモーションで駒を持ち、それをゆっくり打ち付ける」なんてことはないだろうから・・・・
将棋における確認作業って何なのだろう?実戦では3回くらい確認してから指すのを5回とか7回とかじっくりゆっくり確認してから結論付けるみたいな練習かな。
終盤の即詰み問題はよく見かけるけど、最短で詰ますとか最長で逃げるとかの要素は出てこないので新ジャンルですね。
パドレスVSドジャース
今日はBSではなく地上波だが二刀流で急遽変更か?「正解手順の書かれ方」
厳密にいえば最終手余詰めだったり、最終手から2手前の変化により複数の詰め手順が発生しているということがよくある。
その場合、解説でその辺りに触れていることもあれば触れてないこともあるが、触れていないからといって特に問題はない。
ただし正解手順の書かれ方は決まっている。
それらにより複数の詰め手順が存在していても正解手順として書かれるのは1手順のみ。
正解手順の項目に複数の手順が書かれていることはない。>作意手順と正解手順は別物なのカナ~(^▽^;) 同じだと思ってた(^▽^;)
これは同じだし、同じでないと困ると思います。
変化同手数で「3つの正解手順がある」というくだりが出てくるけど、作意手順と正解手順が同じだとしたら「3つの作意手順がある」ということになる。
作意手順が複数あるというのはまずいわけで、それでいくと3つとも正解手順という考え方はまずい。
それに従えば正解手順(作意手順)はあくまでひとつ、残り2つは正解手順(作意手順)ではないという扱いになる。そうした時に・・・・・
2手変長駒余りは正解手順(作意手順)がありそれ以外に2手手数が伸び駒が余る手順があるわけで正解手順は明解。
ところが変化同手数はどの手順も遜色がなく、その中でひとつを正解手順(作意手順)だと言われても解く側は納得できない。
複数の作意手順があるのはまずいし、さりとて1つに絞ることも出来ない。ちょっと長くなりましたが・・・・
「作意手順は1つです」「正解手順は3つです」となったら作意手順=正解手順とはならない。
作意手順=正解手順(正解手順=作意手順)だとするならばどちらも1つなわけで、正解手順が3つという考え方は成り立たないように思います。「詰めチャレ」
先日のNHK将棋フォーカスで紹介していたので取り入れることにして今日が2日目
実戦で現れた詰みのある局面を30秒で詰ます、というのが主は目的。
実際はたぶん5秒を切ると指しさえすれば残り5秒になるので秒読み5秒付きだが。
これが結構きつい!!
まず相手の王様の位置を探して自分の持ち駒を見て出来れば相手の持ち駒も見て、攻めゴマがどのように利いているのか、受けゴマがどのように利いているのかを確認する。
とまあここまででかなりの時間を取られる。
それから詰みを探し、詰みを読み切ってから初手を指すのが理想だが、私の現状だと半分は見切り発車で初手を指している。
結果として何とか詰みに持っていけることもあれば逃げられて詰ますことが出来ないこともある。見切り発車した問題に関しては詰ましていたとしても逃がしたとしてもすぐに確認するようにしている。
こちらは時間無制限なので、頭の中で詰ましてから駒を動かすことが出来るので復習はしやすい。詰めチャレの売りのひとつはレーティング方式を採用しているので、解いて行けば自然と自分のレベルにあった問題と向き合えるようになる。
昨日と今日ここまでで約150問に挑戦したが、レーティングはまだ上向きなのでもう少しレベルの高い問題と向き合うことになりそうだ。
レーティングの数値はどうでもよいが、早く自分にあった問題だけを解くことで効率を良くしたい。詰将棋だと絶対詰まない攻め方が相手の持ち駒の関係で詰む問題が時折出てくる。
詰将棋では絶対詰まない筋なので、この種類の問題が出た時はかなりのパニックになる。私も時々詰将棋を作ろうかなと思うようになったわけで、前作から3回くらいはそうなったと思うが結果として形ではなく影すら出来なかったというのが現実だったりする。
それは余詰めとかキズではなく本当に影すら作れないという難しさがあったりする。何故この作品を作りたいと思ったのか?
すなわち作意だが作意手順とは全く異なるもので、この部分を伝えたいからこの作品を作ったのだというのが私の場合は明確にある。
その作意だが、現在は手筋というか気に入った詰まし方を見つけるとその部分を皆に紹介したくなるわけで、それが詰将棋を作ろうとする動機だったりする。
本当は見つけた詰将棋をそのまま紹介出来れば楽で一件落着なのだが、そうも行かないので自分で作ろうとするわけだが。中には私の詰将棋の筋を見て喜んでくれる人もいるが、その詰まし方は私が考えたわけではない、良いなと思ったのを再現しているだけに過ぎない。
とはいえ、99%の詰将棋は「私がこのアイデアを発見しました」というものではなく、作意といえど、何らかの前例をヒントとして作られていると思っているが。それで仕方がなく自分の作品としてその筋を紹介するわけだがこれが難しい。
元の作品にちょっとだけ手を加えて「完成」は楽だが、それを見た時に自分が作ったものだと言えるのか?
そこが問題で、自分が作ったものだといえるようにするのは大変なこと。
それが「試みはするものの影すら作れていない」の正体だったりする。いずれにしても詰将棋作りは難しく、自分が気に入った作品が生まれるまでには多くの時間を要す。
作成時間は上手下手によって全く違うわけで、作り始めてまだ5つくらいだもの、それゃあ時間がかかるに決まっているけど。知らなかったが続編も出ていた
「詰将棋における紛れ」
紛れるの意味は、入りまじって区別がつかなくなる。また、はっきりしなくなる。
なので詰将棋における”紛れ”も紛らわしいことが対象なんだろうなあ、と思いがちだが・・・・
詰将棋における紛れは、正解手以外の手を意味する。
例えば5つの王手があればそのうちの1つは正解手で残り4つは紛れ、
この王手では絶対に詰まないと一目でわかる手でも紛れという。紛らわしい手という意味ではないとは・・・
う~~ん、紛らわしい。「本日のジャイアンツ対ドジャース戦(逆もまた真なり)」
ドジャースの大量リードでジャイアンツは途中からピッチャーを温存して野手がマウンドに。
そして普通に投げたのでは打たれやすいので超スローボールを投げるというのは見慣れた光景。
ところが・・・・
大量リードしているドジャースも何点か取られても問題ないということでこちらも野手がマウンドに。
そして、超スローボール対決が始まった。>イスラエルとイランではそれぞれの歴史と宗教が異なる。
歴史や宗教の違いが根本にあるのは確かだが、それをいったらどうしようもない。
だから歴史や宗教の違いの垣根を越えて相互理解をということで、歴史や宗教の違いはあるが「それはそれとして」ということだと思う。イスラエルがイランに対し空爆を行い、イランがその報復をした。
また心配なことが起こりました。
何と愚かなと思うけど、武力と武力で均衡を保つしか方法はないのか。
身を守るために武力を高めるが、それが他国にとっては脅威となる。
核の拡大と阻止だがその阻止に武力を使う。武力に対抗するには武力しかない、はたまた人は戦闘民族という面があり今日までずっと争いは繰り返されているのだが、何か終わらせる方法はないのか。
>キズなの?
>☆あんまり気にしないでどんどん作ってください☆でもその一方で、「それってキズですよね」「完全ではないですよね」って言われたりしちゃうから世の中は厳しいです。
詰将棋作成は確かに難しいところはある、しかしそれはどれも同じように思う。
例えば絵画や音楽、これらに置いて「これは絵画ではない、音楽ではない」と言われることはない。
しかし・・・・
音楽の大家はバッハ、モーツァルト、ベートーベンだが、バッハは当時全く評価されていなかった。
それが死後80年くらい経ってからだと思ったがメンデルスゾーンが楽譜を発掘し、それでバッハは凄いということになった。
クラシックの世界では30年も40年もかけて作られた素晴らしい交響曲があったりするが、人々の間では30分ほどで作られた曲の方が人気があったりする。
何とも理不尽なことだがこれが世の中で「ルールがないから羨ましい」とは中々ならない。
これが勝負だと勝った方が上で分かりやすくて良いが、上には上がいるという現実が待っている。まあタイプは違うが大変なのはどれも同じ・・・・かな。
詰将棋のルールは確かに難しいし、人により解釈が違うというのもいかがなものかと思う。
指し将棋には例外はなくルールは絶対なのですが、詰将棋は絶対のルールにおいてはあまりにも例外が多いから。
(詰将棋の最大の売りが正解手順はひとつなのに、最終手余詰め、非限定など「ひとつじゃないじゃん」というのがあまりに多い)
どうせなら正解手順はひとつといううたい文句をやめればと思うけど、それでは詰将棋ではないということになるのでしょう、きっと。詰将棋には必ずしも正解がひとつではないものがある。
最終手余詰めも最終2手前の変化も、無駄合の非限定も許されているし、キズ扱いにもならず、入っていることを承知で作っていたりする。
しかしこれ以外に「キズはあるが詰将棋として認める」というのもあって、これはどちらかというと発表してしまったものへの評価として付けられるものであって、キズを承知で発表するというタイプのものではないように思う。 -
作成者投稿