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2人と書いたつもりが3人になってました(汗)
kannjuさん
3人と戦ったことがあるとは凄いですね。
全国でも強豪中の強豪で、私からすると本の中の伝説の人達、はるか雲の上の人達です。私が戦ったことがある強豪は県アマ名人経験者3人(その時県名人だったかは定かでない)
2人は大会で、1人は練習将棋だったと思います(3つともふっとばされました)昔は初段だったら段持ちということでかなり強かったらしいですね。
(昔というのがいつ頃を指すのか知りませんが)昭和40年代の終わりか50年代の始め頃だと思うのですが、
東京で、四段の人に7割くらいの勝率で指していた人が大阪で指したそうです。
そうしたら見物していた人から
「えらい強いな、ひょっとしたら1級くらいで指すわ」といわれたそうです。四段と1級では全く違いますがカラクリは簡単で、
大阪では道場での段級認定システムというのは取り入れてなく自分がどれくらいかはわからない、
そんな中で全国強豪が四段ぐらいのイメージだったのでしょう。
そこから推測して1級くらいという位置付けになったのだと思います。このあと東京から来た人は1級だといわれた人と指すことになります。
「無理かも知れないがこれで指そう」といわれ飛車を落とされ完敗。
無理だといったので、あなたの実力では勝てないだろうという意味だったのです。
そして次の相手と飛車落ちで負け、また次の相手と飛車落ちで負け、
真剣の手合いなら「飛香落ち、飛香落ち、二枚落ち」の三番勝負というランク付けになりました。ちなみに1級と言ったのは鬼加賀と恐れられた加賀敬治
2番目に戦ったのは近代将棋に裏番付西の横綱として載っていた三崎巌
最後に戦ったのはこちらも横綱の太田学
そして東京から来た四段は闇太郎こと「放浪の真剣師」の著者 宮崎国夫
(心の中では「さん」または「氏」付けです)「将棋の公式」(加藤治朗) 1967年
加藤治朗先生といえば「将棋は歩から」上中下巻が名著となりますが、
この本も凄いです、現在でも画期的、それが作られたのは上の年ですから。
復刻版ながら手に入れての感想です。(まえがきからの抜粋)
ある数学の教科書に「将棋や碁は純然たる数学である、
ただし複雑にして難解な数学である」と定義されてあった。
となると我々プロ棋士は勝負師というより、むしろ一種の数学者であるといえる。
数学に公式があるように、将棋にもこれと同じ公式があるはずである。
いや、事実存在している。
実はプロ棋士が強いのは、この公式を数多く知り、これらを時に応じて活用し、
組み合わせる術に長けているからである。
(この後もためになることが書かれているがカット)こんな発想から生まれ
1年間NHKで初心者コーナーをやった時のテキストが元になっている。公式は「大型公式」「中型公式」「小型公式」に分けられている。
大型公式・・・・将棋の根幹をなす
中型公式・・・・形勢判断など
小型公式・・・・駒の部分的な手筋など長くなったので冒頭の六枚落ちの説明のみ書きます。
六枚落ちが教えるのは数の公式
数の攻めで端をやぶるわけで、数の公式は将棋全体に通じる大型公式です。
端を破られた上手が常套手段として使うのが、かわしの公式です。
ちなみに端を破る時に行われる、成香、竜、と金作りなどは中型公式となっています。
また定跡中、上手の銀が1手早くかわして紛れを求める指し方がありますが、
このかわしの公式も中型公式です。
またこの本では手順中作られる、と金のおそろしさにも触れられており、
「世にもおそろしいと金の作り方、攻め方を、あらゆる公式の基礎となる”数の公式”とともに
六枚落ちの定跡は教えている」
というふうに結ばれ、四枚落ちへと続いています。伊藤果八段と杉本七段とのテレビでのやりとりは29連勝に向ってあと数局あるいは連勝が終わってすぐ後くらい、いずれにしても世の中が藤井フィーバーに沸いていた時でした。
杉本七段が、奨励会時代は禁止していたが、四段に昇段したことだしもう良いだろうということで解禁したという言葉を受けての助言でした。詰将棋とは関係ないですが、古くは芹沢九段、そして先崎九段、屋敷九段などは若くして良い成績を残していたので、
自分を天才だと思い努力を怠ったのでその後に繋がったようなことを自身でも言ってます。
確かに若くして天才だったことはその通りでしょうが、天才であっても大事な時に努力を怠れば沈みますし、
後で気付いて研鑽を積んでもそこは中々むずかしいです。藤井七段の詰将棋は作る方でも有名ですし名人にもなれそうです。
ですから谷川九段としても自分に続いて献上図式を作ってもらいたいという思いは大いにあるでしょう。
ただし谷川九段はトップのレベルを離れてからかなり経ってから月下推敲を発表しました。
谷川九段も詰将棋を作ることが好きなのは有名ですが(月下推敲を作るくらいですから超好きなのは当然ですが)
月下推敲以前に出した詰将棋の本は平成20年に出した光速の詰将棋だけだと思います。
谷川九段は若い頃から沢山の本を出しており、その中でも一番出したかったのが詰将棋の本だと思います。
ですが40歳を越えるまでは出さなかった、それはかなりのセーブを心がけた結果だと思います。いずれは献上図式のような後世に残る詰将棋を発表してもらいたいにしても、
若いうちはセーブして、将棋の方に専念してほしいというのが実際の気持ちだと思いますけどね(あくまで推測ですが)反対的意見になってしまいますが(私の意見ではありません)
藤井七段の詰将棋関係で、プロ棋士兼詰将棋作家では第一人者の伊藤果八段がテレビに呼ばれたと思うのですが、
同じく呼ばれていた藤井七段の師匠である杉本七段との詰将棋談義で伊藤八段は
「いますぐ詰将棋作りを禁止し、その後はそのつど理由をつけてとにかく詰将棋を作らせないことが大切だ」と師匠にアドバイスしていました。中学生プロ棋士はいずれも棋界を代表するプロ棋士になっています。
高校生プロ棋士とは雲泥の差が出来ており、そこのわずか数年がいかに大きな違いになっているかがわかります。
それくらいこの年齢の1年というものの価値は大きく、後になって悔やんでも遅いです。
A級までのぼった棋士でも、もう3年早く将棋と本格的に出会えていたらと嘆く人は多く、
そこがA級でもただのA級とタイトルをいくつも取れるA級の違いだといったりします。詰将棋もお手軽なものを作るタイプなら良いのでしょうが、本当に作るのが好きな人にとっては魔の世界です。
その魅力に取り付かれたら当然本業に影響を及ぼします。
藤井七段は既に輝かしい実績を持ち、将来は四人の中学生プロ棋士と同等の活躍をすることは間違いないでしょうが、
同じくらいで終わってしまうのか、それともその四人とも別格な存在となるのか。
それはここ数年の頑張り次第で将来が違ってくるのだと思います。藤井七段は将棋界の宝です、だから伊藤果八段は詰将棋作りの悪魔の魅力を心配して、作らせないように師匠にアドバイスしたのだと思います。
「先手、戦法選択と勝率」
何気なく手に取ったのが昨年12月号の「将棋世界」
そしてめくった先には、羽生永世七冠が誕生した竜王戦第1局の記事がありました。
局面を浮かべながら観戦記を読んでいくと、何故先手になった羽生さんが相掛かりを選択したかが書かれていました。
「まだわからないところがたくさんあるので選んでみました」いかにも羽生さんらしい答えだと思いますが、同時に不思議さも感じました。
続いて観戦記には「実は最近この形が流行している」という現在の将棋事情が書かれています。
矢倉は後手の急戦がうるさい、角換りは雁木への対応が面倒という背景から消去法での相掛かりです。どんな戦型になったとしても先手が有利で、ゆえに後手番は戦法選択になやむ。
これが一般的な捉え方だと思いますが、先手番の方が戦法選択に苦しんで、消去法で結論が出てない戦法を選ぶ。
なのに勝率は先手番の方が高い。これはいったいどんなカラクリになっているのだろう
随分昔によく投稿していたトピックですが、久しぶりに書き込んでみました。
(「将棋便利ツール」というトピック)陽が当たる期間は限られていると思いますが、面白そうなのがあったら是非試してみて下さい。
将棋倶楽部24で使われているKIFファイルの紹介です。
自分の指した棋譜をソフトに読み込ませ再現させることがあると思いますが、
メモ帳などに表示させれば、そこから編集も可能です(コメントを付けるなど)どういう構成で作られているのかが詳しく載ってますので大事と思うところだけでも覚えておくと便利です。
「トピック」の意味を調べると”話題””議題”と出てきます。
私は「mixi」というサイトで趣味等10個くらいのコミュニティに参加しており、
そこでのコミニュケーションの取り方はここと同じ掲示板でのやりとりです。
そしてトピックごとに書き込む場所が分かれてるのも同じですが、新しいトピックが立つことはほとんどありません。管理人がきっちり仕切っているところは、トピックを作ったとしても管理人の許可が下りなければアップされない。
トピック内の会話でも話が別の方向に行くと管理人が出てきて「それは○○にトピックがありますからそちらに移ってやって下さい」となります。
将棋倶楽部24ですと、いきなりコメントが消され、管理人の、書込み禁止をうながす言葉が出たりしますが、それと同じです。
それがトピック作成時のチェックだったり話題がトピックのテーマとずれた時のチェックというレベルで規制が行われているだけです。書き込む側としてはそれで不満ということはありませんし、それによって使いやすい、見やすい、書き込みやすい掲示板が出来ます。
もしも将棋倶楽部24の掲示板がトピックごとにきれいに分かれていたらどんなに使いやすいかと思います。たとえばPCのトラブル、これがひとつのトピックに収められていたら、
そこに書き込まれている以前のトラブルを参考にするだけで対処の方法がわかるかもしれません。
PCのトラブルひとつみても、以前はトピックがありそこにまとめられていたように思いますが、
無数のトピックの乱立で表面上からは姿を消してしまいました。
その結果PCトラブルが起こることに新しいトピックが作成され現在に至っています。
これではこれまでのトラブル内容をまとめて見ることは出来ません。トピックのある掲示板の最大のメリットだと思うのは、初めて掲示板を訪れた人でも、
自分の興味のあるテーマのトピックを読めばそこから沢山の情報が得られることです。
私はこの方法で、掲示板には参加しませんでしたが、
多くの情報を効率的に集めてきましたし、これからも大いに活用するつもりでいます。将棋倶楽部24の掲示板に目を移すと、例えば「将棋の本」だとか「フリートーク」だとか「歌」だとか、トピックを守ってその中にしっかり収めているものもあります。
(書き込む人がいるから浮上しているだけでもあるが)
その反面トピックの乱立は目を覆うばかりで、「それを掲示板を見ている人達で話題にするの?議論にするの?」との思いもあります。これがもしも「プロ棋士に関するトピック」「プロ棋士公式戦に関するトピック」「詰将棋に関するトピック」「将棋の本に関するトピック」「その他のフリートーク」みたいに、
10個か15個くらいに分かれているだけだったら、どんなに書きやすく、見やすく、使いやすい掲示板になるだろうかと思います。これまで掲示板には色んなことが書かれて来ました。それはとてつもない財産ですが、選別されていなければそれはただのゴミです。
トピック乱立で書き散らかしている、以前はそれなりにトピック内に収まっておりそのまま使えるものも現状は埋まったまま。
正直掲示板としてはひどい状態だなあと思うし、未来ということで考えると、中には良い情報も出てくるだろうに、それもただ埋まっていくだけでもったいないなあと思います。kannjuさん
わざと角を成らせて封じ込める作戦、笑える方法を思いつきました。
まず初手△3二金▲7六歩だとこの時点で角は成れません。
それなのに△3四歩と突いて角を成らせてあげるわけですから
「おいでおいで」と言ってるようでいかにも怪しいです。
これでは成るのに躊躇しそうです。
そこで・・・・・・・初手△3四歩、これは平手でしたら角道を開ける普通の手ですが大悪手、
▲7六歩と角道を開けられると、何ともう角成が受かりません。
普通の手だと思って指したのにもう角成が受からず困りました。
そこで「困ったなあ、仕方がないなあ」と言いつつ△3二金
下手は「ありがとさん」と言って▲1一角成
上手は「待ってました」と△2二銀
馬は取れないけど使えないように封じ込めればかなりの成果だと思います。土曜日は公民館講座でのトーナメント戦。
そこに3ヶ月くらい前に小学4年生(だと思う)の超初心者の子が来て・・・・対局スタイルはトーナメント戦なのでその子との対局はすべて八枚落ち、ただし勝っても負けても上手の勝ちとなる。
(初戦で負けると敗者戦のトーナメントが組まれており、そのトーナメントでも負けると自由対局)
その子に関しては3連勝すると手合いが更新するみたいで、1ヶ月くらい前に六枚落ちに昇格したとの告知があった。八枚落ちと六枚落ちでは全く違う、ゆえに相当苦戦するはずだが、すんなりと有利になる将棋が多く、これでは手合い違いだとボヤく人ばかりである。
それもそのはず、私が時間が空いた時しっかりと六枚落ちの手順を教え込んだから。
といってもしっかり教えたが長々とではない、子供だから飲み込みが早い。ただし・・・・・
端をやぶり竜や馬が出来、断然有利なのにもかかわらず、結果としては中々勝ちまで持っていけてない。
理由は簡単で、教えた部分については指せるが、将棋を戦うという点では力がない。
初めて3ヶ月、週1回数局指すだけなので仕方がなく、経験を積み重ね力が付くのを待つしかない状態なのだが・・・端を破ってからの良い指し方があれば良いのだが、考えてもこれが結構難しい。
攻めは駒を交換することから始まるから、竜や馬が前線に行くわけには行かず、何らかの駒の後方支援をするわけだが、後方支援する駒がない。
あって成香、それ以外となると、と金を作っての攻めだがこれは時間がかかる。
普通は時間がかかっても上手の戦力が皆無だからそれで十分なんだけど、手数が伸びるとなんだかんだと上手が無理にやってくる。
無理無理の指し方なんだが、悲しいかな六枚落ちの力の差、手にされてしまう。今は負けて覚えていくしかないか。
毎週公民館講座(30万人くらいのエリアか)に行って4局くらい指しますが・・・・・
5月から、自分と同等もしくは上の棋力の人との成績のみ付けるようにしました。
すると、そこそこは成績を意識するようになり、勉強にも熱が入ったりします。
ただ・・・・・・・・
勉強は本当に苦痛です。詰将棋は1000以上パソコンに入れてますし、「次の一手」もPDFで8冊、その他も色々・・・
それらをテレビを見つつ頭の中で解いているのですが本当に苦痛です。
(それでいて効果が表れない)
でも楽して上達する方法が見つけられないので仕方がないです。
(上達とかではなくその行為そのものが楽しいと思えれば良いのですが、これは難しい)そんな中で上達とは関係なしに接してるなあと思うのは2つあります。
ひとつはテレビやネットでのプロの将棋対局で、これは勉強と思っては見てないですね。
そしてもうひとつは実戦、ネットでもリアルでもですが、指したいから指しているだけで、上達の為ではないですね。
勉強って苦痛を伴いがちですが、この二つは勉強だとは思ってないので苦痛は感じないですね。hiropyon44さん
>24で毎日多数の実戦をこなすというのも、大事な練習方法だと思いますが
実戦が上達の為の練習の一環だと捉えると、24で毎日多数の実戦をこなすのが大切な練習方法かといえばそうだとは思えないし、
私はむしろそれは避けた方が賢明な練習方法だと思っています。理由は次でのべます。>特に今月の棋譜は大会を想定して真剣に指しているので
特に今月は真剣に指しているというのは、先月までとは真剣度が違いますよということでしょ。
毎日多数実戦をやっていれば真剣度が薄れるのは当たり前のことですし、その状態で日々多くの対局をしていることが良い状態だとはとても思えませんから(ここが理由です)
それは対局過多だとレーティングの点数が落ちるとかいう表面的なことではなく、
将棋の上達を考えた時の接し方としてはいかがなものか?ということです。ネット将棋は対局が気楽に楽しめます、だから気楽に沢山指すのも自由であり全く問題ないと思います。
それはリアル対局であっても同じで、全く勉強せずに今ある技術で将棋を楽しむというのも問題ないと思います。
ただし、そこに上達というものが絡んだ場合の将棋への接し方ということならば、
24で毎日多数の実戦をこなすというのは大事な練習方法ではなく、むしろ避けた方が賢明な練習方法だと思います。
ネット将棋は上達する上でとても有効なものですが、使い過ぎには注意が必要だと思います。つい先頃「将棋指定局面バトル 居飛車編」という本が出た。
以前はネットで指定局面での検討は盛んに行われ、そこからの対局というのもやっていたと思うが、本でやったというのは自分としては記憶がない。
指定局面は現在課題とされており、少ないとはいえそれなりに登場する局面でなくては意味がない。
実際にそのような局面を選んでそこから指し、その内容を本としたのだが、私には企画自体に少し疑問が残る。
指定局面から指したとて1局増えるだけ、徹底討論の方が価値としては高いと思うが。振れ幅があり、現在は振れ幅内の上の方に位置しているということでしょう。
レーティング点に関しては±255のところで、数字は出しているものの数字はあまり重要視してはおらず、
楽しければよいというのを重要視しているようなことが書かれています。
しかしこれを見るとかなり数字に影響されており、色んな心が浮かび上がっては消えていることを想像させます。
またレーティングで指すことの長所や短所も交錯しており、色んな心が浮かび上がっては消えていることを想像させます。
正解、不正解はなく、決めるのは自分自身ですので、お好きにどうぞという感じですかね。>日本人で言うなら【田中】という名前で登録した・・・・以下略
名前が少し違うというのは本題とは全く関係ないと思いますよ。
いま見たら同じような名前が50人くらい並んでいて、そこから推測するにどれもが同一人物なのでしょう。
何が目的なのかかは知りませんが、ひとりでそんなに沢山ゲストエントリーするのはいかがなものか?ということでしょ。小学生の急激な成長をみせる「ライオンのグータッチ」という番組が好きでいつも見てます。
ずっと勝ったことのないチーム、上位を目指すも中々成績が上がらない子に、
元オリンピック選手などが2~3月間特訓して目標をかなえる手助けをするものです。
対象がスポーツなのでほとんどに指導者がいると思われる。
にもかかわらず結果が出てないのに、2~3月の間に劇的に上達させられたのではとも思うのだが、変えてもらえるならこれ以上の喜びはないのだろう。今放送されてるのは女の子がゴルフで80を切るというもの。
指導者のプロ選手は彼女を見て、飛距離の短い弱点をなくそうと、通常の毎日500球ボールを打つ他にほうきでのフルスイング素振り100回を付け加えました。
そして2週間ほどして2回目の練習がありまたチェック。
しかしその顔は曇り、ほうきでの素振りをやったかを尋ねました。
すると彼女はやったといいましたが、やっていればもっとスイングが違っているはずだと講師は言いました。
確かに毎日100回やってはいたのですが、回数をこなすことで良しとし全力でのスイングではなかったのですね。
回数は当然ながら大事、しかしやりさえすれば効果が出るというわけではなく、中身が伴ってこそなんですね。
結果としてここから30メートル近く飛距離をのばしていくことになります。そんな何度目かの練習でグリーンに行き、残りの距離がどれくらいかをたずねます。
すると「大体で○○くらい」というのですが、いつも大体でやってるのか?といいます。
見た目の距離はその時々で変わるからと靴を使って正確に距離を測らせます。
そして距離ごとにボールを置いて、そこから距離と打ち加減を身体に染み込ませます。残りの距離を正確に計りなさいというのは、将棋でも起こりそうですね。
重要局面でも漠然と次の1手を指しているのと、駒の損得、玉の囲いなど形勢判断をしてから指すのでは違いますものね。
大体でと言ったら、いつも形勢判断もしないで指しているのかといわれてしまいますね。上達する事柄に置いては共通することが多く、役立つ情報がてんこもりです。
将棋の勝負に身体の大きさは関係なく腕力も俊敏さも関係ない、また年齢も関係ない。
例えば将棋歴30年の大人と将棋歴1年の子供が戦ったとしても、同じ階級で戦う以上は対等の勝負である。
方や30年、もう片方は1年、これは大変なハンデではあるが、もし子供が負けたとしても負けた理由としては通用しない。
同じ土俵で戦う以上は五分と五分であり、片方が将棋を始めて5年、もう片方は将棋を始めて20年などという比較でみることはない。
年数だけではない、仕事が忙しくて将棋を指す機会はほとんどないのですと言ったとしても、だからどうした、ということになる。
色んな事柄に置いて本当に言い訳の出来ないのが将棋である。
入玉戦法とまでは言えませんが、最初から入玉をも視野にいれた戦い方というのはあります。
入玉しやすい一番の条件は上にあがって行った時に敵の囲いがないことで、戦法としては相矢倉が一番の好条件だと思われます。
無理やり入玉しようとしても無理なので、その前準備として角の転換から飛車をいじめるなどして、その中で桂馬、香車をもらっておきます。
そうすると上に行った時に敵駒がおらず、代わりに味方の駒がいるので入玉がしやすくなります。そういえば「入玉の極意」という棋書が9月12日に出ます。
将棋は格言を覚えるのが効率的ですが、棋書の場合は目次を見るのが効率的です(目次にはエキスがいっぱい詰まってますから)
中に書かれている具体例をみればよりしっかり学べるかもしれませんが、例えば「上部の駒を取ってから入玉しろ」とあれば、その言葉を覚えるだけでもかなりの成果です。
目次読みは、棋書を本格的に読むのが苦手な人にはお薦めな方法です。好きな名言
「敗局は師なり」
「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」by松浦静山
トピックの主旨とは少し異なるかも知れませんが、それは絶対ないだろうと、思い出すと今でも笑ってしまう入玉将棋を・・・・
今でも良く指す棋友との将棋で10年くらい前に指した入玉将棋でのこと。
将棋も終盤、棋友の攻めに対して私も上部に必死に逃れ、長い戦いの末に私の玉が入玉決定した後の棋友の一言。
「まだやるのか!!」
まだやるのかって、ここまで一生懸命逃げてきて、やっと逃げ延びてこれから攻めるという時に、「負けました」といって投了する人がいるわけないじゃん。
もしもその言葉を使うのなら私の方でしょ「まだやるんですか?」って。
当然そのようなことは言いませんでしたが、この先入玉を果たして点数勝負に行くしか勝ち目のない棋友は、これからまだ指し続ける気力もなく、あきらめてすぐ投了しましたけどね。
入玉されて手も足も出なくなった方が「まだやるのか」と言うなんて、絶対にないパターンですよね。
誤:これも変に日本語だなと思ったりします
正:これも変な日本語だなと思ったりします。
定跡も将棋道場の二~三段くらいになると、これから先どうしようかと悩みの種になったりします。
定跡も将棋道場の三段くらいまでは知っていたとしても知識は浅く、どうにかなったりします。
しかし四段以上となるとそこは勉強している人が多いですから。定跡手順は片方のみ知っていても出現しません、お互いが知っていてこそ出現するわけで、
定跡どおり進んだら、相手も当然知っているということになります。定跡は日々進化、変化し、はたまた新しいものも登場します。
それらを絶えず取り入れて、知っているもの同士で戦い、定跡の知識、はたまたその先の独自の研究手順で序盤の優劣を争うのか、
そのような序盤の勉強合戦は大変だから、本筋戦法とは少し離れたB級戦法のようなもので独自路線を行くのか。序盤知識で四段以上に立ち向かっても、中途半端な序盤知識はお客さんで、研究手順の餌食になったりするので、それならばと本線をリタイアする人が多そうですが・・・・
「定跡が整備されていない」
相振り飛車は定跡が整備されていないと言ったりしますが・・・・
定跡とはの意味として” 将棋などで、昔から研究されてきて最善とされる、きまった指し方”というのがあります。
最善とされるきまった手が定跡手で、それらがつらなったものが定跡手順。
ということで定跡は指し手が決まってるんです。
それが「定跡が整備されていない」というのは、定跡と呼ばれるような決まった指し手順はまだ出来ていないということです。
ならば当然定跡ではないわけで、それを「定跡が・・・」という言い回しをするのは変です(定跡ではないのだから)
(「定跡が出来ていない」ならそのままだから構わないけど)時々変な日本語が定着することがありますが、これも変に日本語だなと思ったりします。
配慮・・・・・
本当は言いたかったんだけれどもこれまで言えなかった。
何故言えなかったかというと、そこに心配り、すなわち配慮が存在したからで、
言わないで置いた方が良いだろうという結論に至っていたからです。そんな事柄に対して「思い切って配慮という心の殻を破って語ってしまおうではありませんか」というのが、このタイトルのトピックが立った場合の主旨になると思われます。
で、「そうはいっても書くに当たっては当然配慮というものが必要で、そこはしっかり配慮しないと・・・」ですから、その境がどこなのか難しいですね。
将棋の大会に行くと多くがクラス分けになっており、
自分で選択可能な時は大体で毎回同じクラスを選択しますね。
A、B、Cが一般的なクラス分けとして、時にDクラス、時にAよりも強いSクラスがあったりします。ではこんな感じで将棋倶楽部24を大雑把にクラス分けしたらどんな感じでしょう。
500点ごとに区切って 0~500点 501~1000点 1001点~1500点・・・・・・なんてのはどうでしょう。
もし自分自身を対象とするなら、振れ幅はあるもののR点の中心を探し出して、上に250点、下に250点のクラスを作るというのはどうでしょう。
例えば中心のRが1250点でしたら上が1500点、下が1000点という範囲です。
250点上は自分よりR点が上であることは確かですが、自分のRが高い時は結構近づいてたりもしてて、1番勝負でしたらどうなるかわからない相手です。
逆に250点下も、自分のRが低い時はこれまた結構近づいていて、これも1番勝負でしたらどうなるかわかりません。
よってこれくらいの幅が自分と実力があまり変わらない範囲、ゆえに同じクラスという捉え方ですけど。
ちなみに同じクラスだからといって1500点と1000点が戦うということではありません。戦うのはあくまで自分です。
(もっとも自分が対象ではないクラス分けは最大500点差で、ネット将棋ですと人数が多いからもっと細かく出来ますが、リアルの大会ではこのくらいの差は普通に起こってますからね)将棋上達トレーニングは色々ありますが・・・・
有効だとは思われているでしょうが、やってる人が少なそうなのをいくつかやっています。
そのひとつが棋譜の再現。
リアル将棋の感想戦ですと急所の局面まで戻して感想戦を行い、これはよくあることですが1手目から再現するということはほとんどありません。
(これが常時再現できたらどれくらいの実力なのか?)
急所の局面からの再現は出来ても初手からの忠実な再現は私には結構難しく、ネット将棋を再現するのですが、ネット将棋だと1手ずつが浅いのでリアル将棋よりもより難しく・・・・
それが昨日は54手と短い将棋でしたが最後の最後に間違え「あ~~~~!!」という感じでした。しかしまあまあです。
ところが先ほどの将棋、手将棋で再現は難しいのですが8手目くらいで間違え、次にまた間違えもうボロボロでした。(手順前後が厳しい)
対局中に常に頭の中で再現を繰り返せば結構行けるんですよね、でも対局中に頭の中で再現を繰り返すなんて不自然ですからね。
行ったとしても「どこで間違えたかなあ」と失敗したと思う場面を振り返るくらいのものですから。
局面を再現出来るほどに1手ずつに重みを込めてという意味合いも含んでいるのですが、このトレーニングはこれからも続けて行くつもりでいます。
格上、格下・・・・・・
数日で250点落ちたということでわかりやすく1500点→1250点になったとして、
また数日1400点まで戻ったということで1250点→1400点として・・・例えば1350点の人と戦った場合、この人は格上という扱いなのか格下という扱いなのか?
昨日は1400点で戦ったから格下で、今戦えば1300点だから格上という扱いなのか?
(自分が1級の時なら2級は格下で、3級の時だと2級は格上)私は自分の振れ幅だったら同格だと思うし、5回やったら少なくとも1勝4敗以上のはっきりした差があるのが格上で、4勝1敗以上のはっきりした差があるのが格下で、
それが2勝3敗だったり3勝2敗だったらほぼ互角なわけで・・・・・例えば「本気を出せば1800点の人と互角に戦えるんです」という人がいたとして、
いつも沢山対局をするから1局にそそぐエネルギーをそこそこにして、結果1500点くらいで指していたとして、
「1800点の人が相手だから本気を出そうかなあ」と思って指し、互角の成績を上げていたとしたら1800点の相手は格上なのか同格なのか?
互角の成績を収めてしまうことが出来る格上とはいったい何なのかと思います。スポーツ中継で1つでもランキングが上だと格上扱いをしたりもするから一概には言えないけど、
格の違いにはもっと歴然とした違いがあるように思います。戦法が消える理由も色々あるが・・・・・
消えた戦法としてはこれまた有名なのが、必勝法があればこれだろうとも言われていたひねり飛車。
詳しくは知らないですが、良い構え方が生まれてそれを中々攻略出来なかったのですかね。消えるのには欠点ではなく優秀ゆえにという理由もあります。
消えるまでには行きませんでしたが相矢倉、4六銀3七桂型が優秀で相矢倉にすると後手がどうしても守勢になってしまう。
守勢でも角換り腰掛け銀みたいに千日手含みで待ち、先手から打開して下さいと言えれば良いが、相矢倉にはそれがない。
結果後手は少しずつ敬遠するようになり、角換り腰掛け銀、横歩取りに王座の場を奪われることになりました。それが息を吹き返したのが数年前、後手からの4五歩が発見されたから(元々あった手だが新しい命を吹き込んだ)
これで後手も行けるとなり、再び相矢倉戦に火が付くかと思われたが・・・・・・
「そんなことするより左美濃にしてどんどん攻めたらいいだべさ」という新しい指し方が出て、結果先手で矢倉を目指す人がいなくなってしまった。
優秀過ぎて使いたくても中々使わせてもらえなかった矢倉が、復活の兆しを見せたばかりに欠陥ありと葬られてしまった、皮肉なものです。
優秀と思われていたものが一転して欠陥商品扱いとなるわけで、何が正しくて何が間違いなのか、いやいや正しいとか間違いだという見方をしてること自体が遅れているのか。
将棋は少しずつモデルチェンジをするが、時として突然のエンドという恐ろしいことが起こったりする。
その例として有名なのは1年くらい前のことか「矢倉は終わった」発言が有名だろう。
これから先のことはわからないが、事実相矢倉は左美濃からの急戦に絶滅状態である。
矢倉を構築するのに何手もかかるのに対し、左美濃は5手もかければ囲いが完成しその分を攻撃に回せる、おまけには跳ねた桂馬が銀に当たるのも痛い。
代わりに出てきたのが雁木(ツノ銀雁木が多いか)だが、この雁木も恐ろしい特徴を持っている。
相居飛車戦において雁木を目指せば、それを阻止することは出来ない、ゆえに相居飛車戦は雁木さえ知っていれば良いということになる。
相掛かり、横歩取りは相手の合意がなければ出来ない、相手が雁木を目指せば出来ない。
角換りは早めに無理やり交換すれば角換りになるが、角換りでも雁木に囲えるので阻止することは出来ない。
矢倉は囲えるには囲えるが、相手の形を見ずに囲えば矢倉崩しの餌食になったりするし左美濃も雁木も待っている。
ということで相矢倉は消えたが横歩取りもかなり減ったように思う、代わりに増えたのが雁木そして相掛かり、そして相変わらず人気なのが角換り。
これはプロでのことだが、相矢倉が消え雁木が増えたのはアマチュアでも同じ、矢倉でも目指そうものなら左美濃から急戦を狙われるのもアマチュアでは同じ。
アマチュアには横歩取りや角換りが人気がない分、雁木が便利ゆえに使用頻度が高いのはわかる。
しかし相雁木という相矢倉とは全く違うスリリングな戦いがあり、これはこれで頭が痛い。
将棋の純文学だといわれていたものがある日突然消え、相居飛車戦全てに使えますとある日突然出てきたりする。
一寸先のことはわからない。
私が将棋を趣味としたのは昭和の終わり頃、厳密には谷川名人が誕生した翌年でした。
趣味のきっかけとなった将棋大会後、どこで聞いたのか憶えていないが将棋の支部があることを知り、
支部に入ることはありませんでしたが半日500円で指させてもらえ、毎週日曜日に行ってました。
そのうちに近くに将棋道場が出来そちらに移動、それも日曜日の午後のことでした。そこで空いてる人を見つけ2局ほど、そして対戦相手を替えまた2局ほど計4局というのが一般的なところでした。
1局が終わると「ではもう1局」で、負けた方がリベンジのチャンスが与えられるわけですが、
2局で1組が今では考えられず、そこには将棋仲間同士ならではの、ほのぼのとしたものがあったようにも思います。そんな休日のみ支部や道場に行って将棋を楽しむ人というのはリアルでは多いのではないですかね。
そんな人達の平日は将棋と切りはなれたもので、ほとんど将棋の勉強はやらず、たまに本を開くくらいという人が大半だと思います。それに比べるとネット将棋では毎日のように指している人もいますね。
対局も一週間で4局とは桁違い、それだけ将棋漬けならばさぞかし上達も早いだろうと推測しがちですが、
現実は厳しいですね、何も指さなくても弱くならない代わりに、沢山指したからといって上達するわけでもなかったりもします。リアル将棋にしろネット将棋にしろ上達のストップには壁というものがあるわけですが、
その壁に関しては、リアルの一週間に4局もネットで毎日指す将棋漬けもほとんど変わらないということなんですかね。その友達との勝負は長年友達の1勝2敗ペース。
それが昨年の上半期は1勝1敗ペースとのことで、それは暗に実力が上がった気がするとのことだった。
ただし1年を通じると1勝2敗ペースで、下半期はそうなるペースだったということになる。それが今年になって勝ちがなく十○連敗だと言ったのが6月くらいのこと。
その後は友達の1勝2敗ペースで現在まで来ている。1勝1敗になったとか、十○連敗だとかいうが、戦っていて変化は感じられない、
たまたま1勝1敗ペースになり、たまたま負けが重なっただけのこと。
力の差の変化が出たらはっきりわかる、ああだこうだと言っても1年後に振り返ってみたら何も変わってなかったということがよくある。「ある日の友達との対局風景」
友達は切れ負け設定が苦手で、負けの半分くらいは時間切れ負け、
不利になれば時間を使うのは仕方がないが、負けの3分の1くらいは局面そのものは互角だったりするからもったいない。
また時間が使うのを知ってる相手は攻めてこなかったりする、指していれば自然に相手の時間が切れるのを知ってるからだ。そんな友達とお互いの家に行って時々指すのだが、最初は30分切れ負けで戦ってた。
それがそれでは慌しいということで25分切れたら1手30秒になり、それでも慌しいということで25分切れたら1手1分になった。
お好きな時間でどうぞと対局前に相手の望む時間を尋ねるのだが、正直1手1分なら持ち時間はいらないなと思っていた。将棋はというと相手の25分が切れた頃に私の持ち時間の半分が切れる、そして対局が終わる頃に私の持ち時間も終わる感じだ。
だからこちらが25分、相手が50分使う感じになる。そんなある日、1手1分があったらどれくらい時間を使えるかを試してみた。
序盤から時間を使い私の持ち時間25分が切れたのはまだ駒組みの段階、相手はまだ2分しか使ってなかった。
そこから私は1手に1分ずつ時間を使い、結果3時間の対局となった(私が2時間くらい、相手が1時間くらい)
アマチュアの将棋では1時間くらいで指すのが理想ですが、この設定だと時間を使おうと思えばかなり使えるんですよね。
これが時間設定がなければ、もう少し早く指してくれとも言えますが、設定時間内に指している以上文句も言えませんですし。この対局で友達は「こんなにゆっくり指されたのではたまらない」と思ったのでしょう、次の対局から25分切れたら30秒に戻った。
こちらは特に意識しているわけではないけど25分くらいで終わるから秒読みは関係なく、相手のみ秒読み付きの感じ。
それで計50分くらい使うわけだから、25分切れ負けの不得意が直らないのは仕方がないです。
ただ友達としては普段切れ負けのストレスのある将棋だから、自分で時間設定を決められる時くらいは自分の得意とする時間設定でやりたいのでしょう。私としてはそれらも含めて「お好きにどうぞ」ということなんですけど。
「将棋倶楽部24と世間一般の段級レベル比較」
色んな人がレベル比較を自身のケースを例に出し、将棋倶楽部24ではR○○○○点で、どこそこでは△△段級だと言ったりする。
そこには似たような傾向が出る一方で結構違ったりするバラツキもあり、レーティングの確かさを不確かと取るか、
同じくらいの実力でも、場所によって段級が結構異バラツキがあると捉えるかは、それぞれにお任せするところである。上の題名で将棋倶楽部24のホームページに比較が載っている。
「結果は上達への道しるべ」
上達のためにこんな勉強をしています、こんな努力をしています、こんなトレーニングが有効なんですと言ったりする。
私も有効だろうと思うトレーニングは色々あるが、結果を大事にします。
「そのトレーニングで頑張った結果上達したのですか?」と自分自身に問うわけです。
それで上達したのならそのまま続ければよく、効果が出ていないのなら「効果がないんじゃないですか、取り組み方が甘いんじゃないですか」となる。結果が全てで結果から今後の取り組み方を考える。
練習はうそをつかないというが「結果はうそをつかない」「壁を乗り越えさらに強くなる人の特徴、壁を前にずっと停滞している人の特徴」
将棋が好きで始め順調に上達を重ねても、いつか壁を感じる時が来るわけで、
その壁を誰もが乗り越えようとするものの、乗り越えられる人と、乗り越えられない人がいる。上達の為の方法は沢山ありどれも有効であるにもかかわらず、続けたからといって必ず上達するというわけではないのが問題、
取り組み方が悪いのか、何が悪いのかは人それぞれに寄るだろうが、上達する人もいればそのままの人もいる。ただ、人それぞれではあるが、これだったら上達するだろうと思われる取り組み方をしているしている人もいれば、
このやり方では上達はむずかしいだろうなあと思われる接し方をしている人もいる。この二つの違いを明確にし、上達の得になるものは実行し、そうでないものは避けるのが上達には有効のように思う。
「居合道昇段で金銭授受 八段審査で数百万円・・・・」
こんなニュースが飛び込んで来た。
八段は段位でいえば最高段位、その試験といえば既に皆の目標となっている地位にいる人達が受験するもの。
そんな手本となるべき人達が受ける試験で、普通に金銭の授受が行われてたってどういうこと。そんなことをしてる一方で、居合道を通じて後輩や弟子に人の道を教えるのか。
将棋ではそんな話は聞かないけど、高段者は皆の手本とならないとな。
とがめるような手は指してこないだろうとの推測の元に指した手ですか。
感想戦でその時の気持ちを言い合わなければお互いの気持ちはわからないわけですが、
もし相手がどのような気持ちで指したかがわかったらこの局面でどう指しますかねえ。
次に同じ局面になったら何と答えるのか、楽しみなところです。ざっと棋譜をみさせてもらいましたが・・・・
私が気になったのは6手目△3二金、7手目▲2六歩です。
使用時間は4秒と7秒、トータルもここまでで11秒ずつですから、取り立ててどうということがない自然に近い進行なのでしょう。ただ6手目△3二金は過激ならば挑発とも捉えられる手で、先手に対し「私の挑発を受けるのですか?それとも拒むのですか?」との問いの手でもあります。
というのはどういうことかといいますと・・・・・
△3二金に対しては▲6六歩と角道を止め振り飛車にするのが有力で、
先手に振り飛車にされると△3二金とした手が形を決めすぎで、玉の囲いがかなり制限されてしまいます。
これで後手が不利というわけではありませんがマイナスの可能性があるわけですから、後手にその分の見返りがないと指せません。
その見返りですが・・・・・・
居飛車しかやらない相手に使い「振れるんですか?隙を作ったから振ってみなさいよ」と挑発して、指しなれていない振り飛車を指させることでマイナスがカバー出来ると考えているのです。それに対して先手は「当然受けるに決まってるじゃないですか」か
「怖くて振る勇気はありません」もしくは「あなたの挑発には乗りません、冷静に私は私の将棋を指します」なのですが。とまあこのような無言の駆引きがあるところなのですが、単なるマイナスの手とそれをとがめない手に見えてしまうところが気になりました。
昔は将棋を覚えると、頭が良くなる、礼儀が良くなると言われていた。
しかしネット将棋のマナーの悪さに、将棋をすれば自然と礼儀が良くなるわけではないことを知った。
ゆえに看板に偽りがあったと思っていたが、実はそうではないことを悟った。将棋をすることで人と人が交流し、集団行動もする。そんな中には礼儀に厳しい人もおり自然と礼儀が身につく。
このような意味だったのを、私は将棋という素材だけで、将棋を指すという行為だけで自然と礼儀が身につくものだとばかり思っていたんですね。
確かに素材だけで礼儀を見に付ける人も多いだろうが、それだけでは完全ではなく、リアルでの交流が重要なんですね。将棋は相手との戦いですけど、自分との戦いという部分もかなりありますね。
数手先に相手の好手があり局面が悪くなる、ゆえにそれを回避する為に苦しみながらあれやこれや手を考える。
感想戦でそのことを相手に言うと、全く気付いてなかった、全く考えていなかったと言う。
そこには相手は存在せず、自分と自分が戦っている姿があります。半分は相手との戦いだけど、もう半分は自分自身との戦いかな。
将棋には良い部分が沢山ありますが、扱う人からすると料理人と食材の関係のようにも思います。
将棋のどの部分の良さに注目してどんな料理に仕上げ皆に振舞うのか、
料理人の腕でもありますが、どの部分の良さにに関しては、料理人の将棋への想いが自然と出てくるようにも思います。羽生先生の△6二銀の価値というと今年行われた名人戦第六局のことですかね。
2手目△6二銀は初手▲7六歩に対しての方が圧倒的に多く、羽生さんは少なくとも4局は公式戦で指してます。
初手▲2六歩に対しては本当に数が少ないですが、そのうち羽生さんが2局は指しています。
ただし1994年に指した将棋は飛車先を切らせてのちに銀冠を目指すというよくあるパターンの将棋で、今年の名人戦のものとは作意が全く違います。最近は相掛りで、1歩を取らせてもその分手得出来バランスが取れているいうことで1歩を取らせる将棋が増えています。
名人戦での△6二銀はそれを前提としての作戦で、▲2六歩に対しての△6二銀には英春流19手定跡もあれば銀冠を目指すのもあり、全く違う将棋になるので2手だけを見て評価するのは難しいようにも思います。今は初手7八飛もあれば後手角頭歩もある時代、すぐに結論づけようとするのではなく、色んな可能性があるとした上で見ているのではないですかね。
今日は久しぶりに親父と将棋を指した。
私がまだ将棋を趣味としてなかった時代、親父とたまに指す将棋は私の3勝1敗くらいの並びだった。
そんな親父だが本当に将棋が好きだったようで、大会に出かけ「何で勝っても勝ちは勝ち」と相手の反則で勝った1勝を大いに喜んでいたのが思い出される。今日の将棋は昔の親父をそのままに、こちらは今指している将棋をぶつけてみた。
途中で指し分けにするつもりだったが力強い金出に気がつけばこちらの飛車が詰んでしまっている。
そこであえなく投了、何となく昔より少し強くなっている気がする。私の将棋は親父の死と大きくかかわりを持つ。
親父が亡くなった時、2年ほど疎遠になっていた友達が葬式に来てくれた。
その少し後に電話があり「将棋大会にいかないか?」という。
友達はひとりでいく勇気がなくて私を誘ったのだ。
その将棋大会に出たのがきっかけで将棋の虜になったわけだが、それがなかったら将棋が趣味にはなっていなかっただろう。
結果として親父の後を私が引き継いだ形になった。そんな親父も早いもので明日にはもう帰る。
対局は終わったが二人でもう少し将棋談義でもするか。団体がそういうものを贈るとしたら、そこに「感謝」の意があるわけで、感謝を感じるものがなければ人は感謝しませんからねえ。
功績→誰かの将棋連盟への推薦→将棋連盟の判断 こんな流れでしょうがまずは功績がないと。
それから感謝の品物が欲しくてそこにたずさわっているわけではなく、その功績こそが尊いわけでね。
個人的に欲しいと思う物欲に関しては、購入するというのが一般的です。
お金がと思うのであれば将棋指導でお金を稼いで、それを充てたらどうですかね、これでしたら普及にもつながります。
私は毎週リアルでトーナメント戦を楽しんでいますが、稀に見たことのない新入会員でいきなり良い成績を取る人がいます。
またBクラストップの常連の人が入ってきて、これまたいきなり良い成績を取っていたこともありました。
ただし2ヶ月もすると共通して並みの成績となりました。それは何故かですが、新鮮な気持ちで参加していたのが2ヶ月もすると慣れてくるんですね、慣れると成績は落ちます。
Bクラストップだった人は、毎週のトーナメントでは楽しんで気楽に指しても大会は別物で本気だといってましたが、その大会でもほとんど上位に顔を出さなくなってしまいました。
毎週のトーナメントが悪かったのですね、大会では切り替えてるつもりでも身についた気楽さが出るようになってしまい、用心深さが保てなくなってしまいました。リアルの対局でさえ対局に慣れてしまうことは怖いです。
これがネットで早指し将棋で目についた手を善悪の判断もそこそこにバンバン指していて、リアル大会での影響はどうか?
気をつけている人は、ネット指しはしても、時々、またはほどほどにを心がけているんではないですかね。将棋の実力はどこで判断するのか?
私は本気モードの一番勝負、ここで判断します。
本気モードの一番勝負で戦ったらいくつのRの人と互角に戦えるのか?その時に互角に戦えると判断したRがその人の実力です。ただしレーティングは1番だけで表わされることはありません、
でも通常ならそれでも構わないのです、レーティングは結果で、リアルの大会の本気モードの一番勝負がつらなったものだったからです。
しかし将棋倶楽部24のように、日々レーティング戦を行うとなると、そのつど本気モードというわけにはいかず、全てがカウントされますから、レーティングはかなり落ちます。
結果として、一生懸命が続いた時はRが高く推移し、一生懸命さが崩れるとRも落ちる、その幅の中で戦いを繰り返しているだけです。持続力を伴うRと、本気を出した1番勝負での実力、24のレーティング戦では持続力ですが、リアルの将棋大会では本気を出しての1番勝負でしょうね。
それにしても、レーティングは結果であり実力を映す鏡だと思うのですが、鏡の数値をメインで捉えている人が結構いるのですね、
私などは近代将棋道場の時はいきなり300点くらいもらい段位が大幅アップしたし、81道場では点数はそのままに1段下げられていたけど、何も感じなかったですけどね。
それで強くなったわけでも弱くなったわけでもありませんから。最初に戻りますが、私は本気モードの一番勝負を大切にします。
ここでイメージする互角のR、これが上がれば強くなったということ、これが変わらないうちは実際のレーティングが上がろうが下がろうが実力に変化なし。R9-032さん
マナーの悪さはネット将棋ゆえの自分への甘えで、自己中心的な部分があるとそれが顕著に出ます。
わがままを求めればいくらでもわがままが叶ってしまうネット将棋の中で自分はどうするのか?
試されていると感じることも時々あります。
他人はどうであれ自分はマナーを守る、それが大切で、趣味として将棋に接する上で、将棋に対して恥じない姿に思います。
(他の人達は全く違うでしょうが、私個人はね)人と人が交われば衝突も起きるものでして、
書いた結果として良いことがあったかといえばそのような経験は少なく、
むしろ逆の嫌な印象の方が強かったので、そのようなかかわりを持たずに書き込める
「思ったことを気軽につぶやく」はとても便利な場所でした。
しかしながらここも気楽には書けなくなってしまったので区切りを付けようと思います。24の掲示板の魅力は愛棋家が沢山集まっているところで、その分多くの人の目に触れるところ。
今にして思えば、思ったことを気軽につぶやくにしても、愛棋家の役に立つ内容のものを
もっと積極的に書いて行けば良かったです。
引き出し的にはそういうものを結構もっていただけに、何も皆さんの役に立てなかったのが残念です。では、ひとりごととか、愚痴とか、その日の日記とか、気軽に書き込みたいというようにテーマが定まってないものを書く時は、
「ひとりごと(棋書)」「ひとりごと(ソフト)」「ひとりごと(戦法)」「ひとりごと(プロ棋士)」というふうに、テーマ別に分けてトピックを作った方が良いということですか?
それとも、ひとりごととか、愚痴とか、その日の日記とか、気軽に書き込みたいような場合でも、そういうのは内容がバラバラなんだから、それをテーマと捉えてひとまとめにするのは良くないということですか。例えば今回なら、ソフト関係のトピックへ行って、「気軽に書き込みたいだけなのでこれまでのトピックの内容とは直接関係ないですが」と前置きしてから書いた方が良いですか。
(そんなこれまでとは関係ない流れの書き込みがあったら読み手は分けて考えなくてはならないでしょうが)私は「野球なら野球」「サッカーならサッカー」「ひとりごとならひとりごと」「気楽なものなら気楽なもの」で、
ひとかたまりになっていた方が、細かくトピックを立てるより、読み手には余程親切だと思っています。
しかしながら、こういうまとめ方が読み手に不親切だと思うのなら、
閣下だとか、所有物などといくら書いても何の役にも立たないものしか書かないんじゃなくて、
気楽なものとして、ひとりごととして、その日の日記として、テーマがそのつど変わるものは、
どういうような書き方をすれば、書き手にそして読み手に親切になるのか案を書いてくださいよ。 -
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