フォーラムの返信が作成されました
-
作成者投稿
-
touma1さん
色んなテーマが同時進行で飛びかう、あの人とあの人が会話をし、違う人とまた違う人が別の話をしている。
これはどこの掲示板でも普通に起こっており、誰に向けられて書かれたものかは、このケースのように冒頭に相手の名前を書くことでわかるようにしているのも普通に行われている手段です。
(もっとも場所が管理人のホームページ内の掲示板だったりブログだったりする場合は、話すのはほとんど管理人相手とになりますが)この件に関しては私の考えは全く変わりませんが、touma1さんがそう思うのなら思った通りにやれば良いのではないですか。
私としてもこれ以上は強く言えませんし、強く言うようなことでもありませんので。touma1さん
今の書き込みは何の事についてはよく分からないとのことですが、
相入玉のルールについて書かれている部分については何についてかわかると思うので、
私がtouma1さんに向けて書いた内容がわからないということで良いのですかね。そのように推測して改めて書き直します。
touma1さんの言ってることは、touma1さんが月曜日にテーマを出して、
それについての話し合いは日曜日までと制限を設けて、月曜日にtouma1さんが新たなテーマを発表する。
それを繰り返す中で、何かしらの理由でtouma1さんが新たなテーマを発表出来ない時に限っては、そのテーマの話し合いを続けても構わないし、誰かが新たなテーマを出してそれについて話し合っても構わないということですよね。
(書かれてことをそのまま書いたつもりですけど、ここまではあってますかね)それに対しては、touma1さんが月曜日ごとにテーマを出すのは自由だし、そこは全く問題ないと思います。
ただしそれ以外の人の書き込みに関しては、テーマへの話し合いに期間制限を設けて日曜日までというのは変な話で、期間を限らず当人達が話し合いを続けたければ好きなだけ話し合って構わないものだと思います。
また例えば以前のテーマについて書きたいことがあった場合、それも自由に書き込んで構わないものだとも思います。
(これはテーマについて話し合う期限が決められているということに直結していますが)そしてテーマを出すことに関しても、touma1さんが出せない時に誰かが代わりに出して良いではなくて、誰もがテーマを出したい時に出しても構わないものなのではないかとも思います。
例えば「しりとり」みたいに共通のルールを作らないと上手くいかない場合があります。
(例えば「冷たい雨」は「め」および「雨」がOKとか)
でもこのトピックの場合は、誰もが自由にテーマを出して、好きなだけ話し合って、それで問題はないと思うのですよね。
確かにtouma1さんの方式に沿って行えば、テーマが複数同時進行することもなく、綺麗に、わかりやすくは進んでいきます。
でもそれだと皆が自由に書き込め、平等だという精神とは違うものになってしまいます。
このような誰もが自由に書き込める掲示板では、自由というのがまずはベースラインにあるのではないですかね。その後に書いた一ヶ月も経てば的なことは主題とは異なるので割愛します。
「今日の対局」
今日は相手の早石田のような三間飛車に対し、久しぶりに英春流右四間飛車を使ってみた。
たぶん使ったのは数年ぶりだと思うが、指していて以前とは安定感があり指せているなと感じた。
もっともすぐ相手に悪手が出、こちらが安心さを感じながら指せていたのが要因で、互角の進行ならこちらも多々不安を感じたであろうけれども。
結果は37手で投了、上手く行き過ぎた。プロ棋戦の場合はそんな感じで、宣言するしないは自由に選べます。
それから相入玉までいかなくても、その前段階でどちらかが持将棋を申し出て、もう片方が同意すれば持将棋が成立することになっていたと思います。
以前相入玉で片方が24点に満たない可能性もあった時点で、もう片方が持将棋を提案して持将棋が成立したこともあったと思います。アマチュアの場合はどう組み合わさるかはバラバラですが、
その前に時間切れで決着が着くことがほとんどだと思います。
起こるとすれば秒読みがあり、一定時間を越えてもまだ秒読みの対局が可能な場合で、
かなり強い人が集まるクラスの対局でそれも大きな大会なら起こる可能性はありますかね。
それとネット対局で秒読みがある場合で、将棋倶楽部24はまさにそれに該当しますが。アマチュアの大会では宣言法の使用が行われたと聞いたことがありますが、プロの公式戦で用いられた事があったのかなかったのか。
昨年春でしたか400手越えの最長手数の対局がありましたが、それでもまだ宣言出来るような局面までにはならなかったのでしょうね。
(1点をめぐる戦いで結局は点数を満たし持将棋成立)
いずれにしてもほとんど使われることのない遭遇率の低いルールではあります。「宣言という言い方について」
上の書き込みで私は、ルールなのだから宣言するまでもないと書きました。
でも現行の宣言法はルール化されているにもかかわらず宣言をしますし宣言しないと何も始まりません。
そうなると私が書いた、ルールなのだから宣言するまでもないというのは間違いだとなってしまいます。
それを考えると、書き方がまずかったかなとも思うのですが少し説明させていただきます。現行の宣言法は、局面をサッと見ただけでは宣言する権利があるのかないのかわかりません。
そんな中で駒数をしっかり数え、条件に合うことを確認した上で宣言することになります。
そのようなしっかりした準備があるからこそ、宣言という言葉が出てきたのだと思います。
(条件にあっていない場合は負けというペナルティーも同時に発生もしている)
これがもし二歩の反則のようにひと目で判断出来るものならば、二歩の反則であることを宣言するとは言わないと思います、ただの指摘です。
これと同じく、双方の玉が3段目内にはいった状態はひと目で判断がつきます。
ですのでこれは指摘であって、宣言のような下準備をちゃんとないと出来ないような大掛かりな行動ではありません。
したがってそういう背景もあっての「ルールですから宣言するまでもありません」ということです。女性棋士さん
宣言方式というのは現在ルール化されている宣言法とは全く違うものを指していると思いますが、
相変わらず内容についてはさっぱりわかりません。
【双方入王後手勝ち】となれば、もうそれはルールですから宣言するまでもありません。
(私が書いた案では双方の玉が3段目内にはいった時点で自動決着)
どんな局面になった時に、先手後手のどちらが何と宣言するといってるの?touma1さん
touma1さんがどのようなタイミングでテーマを出そうが自由です。
ただし誰がどのタイミングでテーマを出すか、それに答えるかも自由です。
touma1さんが出したテーマへのやりとりに関して願望を伝えるのは良いですが、
やりとりが一週間を超える場合もあれば、過去のテーマに対して発言したいと思う場合もあるわけで、基本的に書き込みは自由です。
(願望を書き込めば願望への配慮というのは当然起こるとは思いますが)また想像していただければすぐにわかると思いますが、トピック内容を読む時に誰もが最初から読んでいるわけではありません。
時々掲示板を覗く人達に関しては、今現在の部分だけを読むと思った方が良いでしょう。
そうした時に、途中で規則を書いたとして、その規則を誰もが読むかといえば、
一ヶ月も経てばほとんどの人は書かれた部分を読むことはないと思います。
ということはこの時期にこの部分を読んだ人しかこの規則の存在は知らないということになります。
このような規則を伝えたい時はトピックを作った一番最初に書き込むというのが常套手段ですが、
この掲示板はその重要な一番最初の書き込みも、書き込みの量により目に届かない位置に追いやられてしまいます。
よって規則を作って全ての人に読むだけは読んでもらおうと思っても、この掲示板の仕様では難しいですので、
そこは知っておいた方が良いと思います。女性棋士さん
後手だけ有効というのは何を言おうとしているのかわかりません(何が有効なのかわからない)
入札に関しては、対局結果が当事者以外にも影響を与える可能性がある場合は、
当事者同士で条件交換し独自なルールで戦うということはありえないほどのルールです。
これが、二歩ありでも待ったありでも、当事者同士だけで楽しみ他に影響を与えないなら好きなルールでやってもらって構いませんが。「達成感」
現代の将棋は、アマチュア同士の対局でもほとんどが持ち時間の規制の中にある。
もちろん時計を使うことには賛成なのだが、時間に追われ満足に考えることが出来ない状態が頻繁に起こる持ち時間は非常に残念なことだと思っている。
個人的には持ち時間が各2時間、双方で4時間あれば、勝つにしろ負けるにしろ達成感は得られる気がする。
ただし相手が指すのを待つ立場としてもかなりの苦痛で、とてもこのような持ち時間設定が出来るはずもない。
これが出来るとしたらソフト相手か。今日私の入っているサイトでトピックを整理するとの告知がありました。
トピックの乱立は誰もが気軽にトピックを立てられるのが大きな要因。
自由度に置いては申し分ないですが、ほとんどのトピックが光を見ず消えてしまうのが難点です。そういえば以前の掲示板はツリー式で、自由にトピックは立てられるものの、立てるのには使い勝手がイマイチなので、結果的には乱立ではあってもかなり抑止が利いていたと思います。
おまけにツリー式なので、テーマが分かれても枝葉が分かれるだけでひとつのトピックで済んでいましたし。わかりにくかったかと思う部分があるので追加説明。
250手くらいとした手数での判断は現行ルールにプラスしての将棋倶楽部24用の特別ルール、
(機能として自動的に行われるのがのぞましい)
すぐ上に書いたのは、現行の相入玉ルールそのものの変更。相入玉の将棋は、延々と続くのと点数制という本来の指将棋とは別の要素で決着を着けているのが難点です。
相入玉で苦しまないために・・・・
両者の玉が敵陣3段目内にいた場合、最初に3段目に入った玉側の負けとする。
(これだと最初に入玉すると相入玉は負けだから入玉はしにくくなる)
もしくは両者の玉が敵陣3段目内にいる時点で引き分けとする(アマチュアなら後手の勝ちでも良い)千日手は、どんなに優劣が離れていても同一局面4回で千日手指し直し。
相入玉も、どんなに優劣が離れていても両者の玉が敵陣3段目内に入っている時点で結論を出せばよい。
なのに相入玉は両者の王様が詰まないとわかってもまだ延々と優劣にこだわって戦い続けている。s789456123さん
あくまで私個人のことですが・・・・
当時のことは当時のこと、終わったことは終わったことで、また当時に戻って見つめなおす気力はないです。
(いまやってるように今の気持ちを書くだけなら出来ますが)
ということで、あくまで私はですが以前のものを読み直すのはパスです。入玉宣言法についてはプロ棋士はルールを知ってるからそこでトラブルになることはまずない。
アマチュアの場合は宣言する人は当然知っているとして、相手が知らなくても支部主催の大会クラスなら審査員に当たる人がいるからそこにまかせれば大体で大丈夫。
ただ将棋倶楽部24だと人間同士が対話の中でやるだけなので(審査員がいない)相手がルールについて知らないとトラブルになりやすい。
ちなみに将棋倶楽部24では入玉について何も決めてないから当然日本将棋連盟のルールが採用がされているということになる。
それを主張するのと、そんなルールは知らないというケースでトラブルになるわけだが。将棋倶楽部24の入玉ならソフト同士の対局と同じように手数制限がわかりやすい決着の付け方で良いんじゃないですか。
手数をソフトに合わせる必要はないので250手くらいを越したら引き分け、もしくは点数が多い方が勝ちで。上のリンク先を見たらソフト同士でのことが発端でしたね。
(入玉に関してはリンク先以外でも色々あったと思う、前掲示板も合わせて)私も結構書いていて、中は読まないけどたぶん同じようなことを書いているのだと思います。
入玉宣言法についてひとつ将棋らしくないなあと思う部分があります。
将棋はほとんどがルール化されていますが、入玉を言い出すタイミングとかは決められておらずそこは人間らしいですが。
でもルール化されていながら、このルールは余りにも人間的で変だと思うのが・・・
入玉宣言法って条件にあってなく失敗するとその時点で負けになるのですよ。
宣言さえしなければまだ勝負が続く局面なのにですよ、将棋の局面ではなく宣言が規定に該当していなかったから負けだというのは凄く人間的で、将棋らしくないルールです。入玉の決着の付け方に置いての議論というものがどういう前提のものだったかは知りませんが、
リアルの将棋大会でしたら対局前のルール説明で「日本将棋連盟のルールに基づく」とした時点で、入玉宣言法は使えます。
またそう言わない場合も、特に入玉について何も言わない場合も、通常は日本将棋連盟のルールに則って行われるので入玉宣言法は使えると思って良いかと思います。
ただしプロの公式戦、アマの大会に置いてそれが使えるような局面にならない場合もあるわけで、公式戦ですと引き分け再試合、アマチュアですと点数の多い方が勝ち、同じだったら後手の勝ちとなったりもします。
この辺りは、入玉宣言法が取り入れられたから全て解決というわけではなく、どんな決着の付け方が良いのかは頭の痛いところかと思います。アマの大会では入玉宣言法が既に取り入れられているとして、将棋倶楽部24でということなら、
二歩の反則は起きないし、いけない場所に行くことも成ってはいけない場所で駒が成ることも起こらない。
このような反則はアマチュアではよくあることで、そちらが1000回くらい起こり反則で決着が着いたとして、入玉宣言法で決着が着くのは比率としては1回くらいのものでしょう。
1000回に対応していない状態で1回に目を向けてもとは思います。ひとつ訂正
電脳の存在はいつも「待ち」だけを表示する画面で見ているのですが、
2種類あったのがいつのまにか1種類しか見なくなったと思っていました。
それが今見たら2種類揃っていており、私の勘違いだったのか、はたまたメンデナンスを機に再登場となったのか、自分としてはちょっと驚いているところです。
そんなわけで1台を前提とした計算は事実と異なってくるので、電脳と戦える人数は2倍ということになり、ここに訂正いたします。確かに何度も繰り返し対局を行う身勝手な人はいます。
ただ、だからといってすぐルール化というのは私には疑問で、
まずはそれが迷惑行為になることを伝え、やらないでほしいと呼びかけるのが筋だと思います。
そういう試みを全くやらないで、いきなり制限を設けるのはどうかなと思います。
(例えば電脳に挑戦すると連続対局自粛のメッセージが流れるとか)それから混み合う時といえば19時から22時の3時間くらいのものでしょう。
その間に一人20分ずつ対局したとして9人しか対局出来ません。
3回まで出来るのなら最悪3人しか出来ません。
これではいくら回数制限を設けても、混み合う時間帯しか対局出来ない人には厳しいです。
それを解消するのなら、電脳を5台くらいに増やしてもらうのが良いように思います。詰将棋も作る側からすると、自分が作りたいものを作るというのが理想ですが、
私達がよく目にする詰将棋は、解き手が好むようなものという要素を重視して作られたものが多いように思います。
特に短手数の詰め手筋を紹介しているようなものは強く感じます。
詰将棋を多く作っている人は、当然そのような詰将棋の他に自分の作りたいものを作っているわけですが、
そういうのは難易度が高めになってしまって、解き手からすると敬遠してしまう傾向にあるように思います。
ここ2週間ほど音楽の演奏があり終わってほっとしているところですが、
自分が演奏したい曲と聴いた人が喜ぶ曲はかなり異なるのでいつも選曲には苦労します。
巷に流れているヒット曲も、聴いた人が支持しやすい曲重視で作られていることが多く、作者が作りたいものとは違うし、歌い手が歌いたい曲とは違うというのがむしろ普通です。
それと同じで詰将棋の世界も、作り手が作りたいものと、解き手が解きたいものとがかなり違うように思います。
私はほとんど詰将棋は作ったことはありませんが、そんな私でも、ただ詰め手筋を紹介しているだけのものは味気ないので作る気がしません。
(指将棋からすると、こういう詰将棋こそ上達に役立つのですが)ルールというのは不自由なもので、出来るならばそんなものがない自由な世界がのぞましい。
しかしそれだと迷惑を受ける人が出るから、そこにルールを作るのだと思う。
迷惑を受ける人がほとんどいないならルール化しない方が望ましく、それがルール化されるのは逆に迷惑になるだけ。
(ほとんどいなくても迷惑を受ける内容の度合いで話は変わってくるけれど)迷惑にも自己防衛出来るものと出来ないものがある。
例えば不愉快なチャットならばブラックリストもあれば、手帳にメモしておいてその人とは戦わないという予防方法がある。
(遭遇率は少ないので対戦相手を記憶しておくのも可能)
また最悪遭遇してしまったら対局をすぐ中断することも出来る。
こういう自己防衛が出来るものはルール化しなくても何とかなる。しかしこちらが手番の時に投了することや、一目瞭然の王手を放置する故意の反則などはネット将棋をしている限り防ぎようがない。
(投了ボタンは押せなく出来ても通信を切ることは防げないし、故意の王手放置か、気付かない王手放置なのかの判断が出来ないのでシステム的にも防げない)
(もっとも二歩が機械的に出来ないように、王手放置も機械的に出来ないようにすればそれは可能か)
こういうものにこそルールが必要で、注意があっても改善する様子がなかったら最悪永久追放でも良いかと思う。
(永久追放は重い処分ですが、他にも色々ネット対局する場所はありますから)
ちなみに悪質チャットはこの対象になってると思うし、この掲示板への書き込みも同じになってると思う。冒頭に戻りますが、ルールは必要だから、ないと困るから作るというのが基本。
必要のないルールはない方が望ましい。>「電脳への対局は1日に3局まで」
何の為に制限を設けるのかがわからない。
理由については書くまでもなくわかるものもあるが、
これは何故それが望ましいのか、理由が書かれていないのでわからないし、
あっさり過ぎてテーマへの熱意が感じられない。
ルールでも機械的な制限でも自分の思ったことは自由に書き込めば良いけど、
これくらいの熱度で討論を望むのは虫が良すぎると思う。まだこの上に書かれている「批判的なことは全く言いません。いわば討論会みたいなかんじです」も的外れで、賛否があって討論が起こるわけで、批判的な意見も当然予想されます。
touma1さんはそのようなことは書き込まないかもしれない、しかし他の人についてはわからない。
よって、批判的なことを言われることは全くありませんから安心して書き込んで下さいとは言えないし、保障も出来ない。いきなり本題とは離れてしまいましたが、ここからは今回のルールについて。
言ってることに2つの可能性があるが、どちらを提案しているのかわからない(当然ながらわかるような書込みである必要がある)
A:機械的なシステムに制限をかけて強制的に1日に3局までしか指せないようにしたらどうか。
B:システムの変更とかではなく、1日3回までというルールを作り、みんなに守ってもらったらどうか。
(勝手に機械的な制限だとばかり受け止めていたが、考えてみたらどちらとも受け取れる)①私はフリーで対局しているが大体で電脳が空いてる、
そのような現状で制限は必要なのか?
②1日3回までというルールを作るとどの辺りがどれくらい改善されるのか?
③対局者より強いソフトも手に入れようとすれば比較的簡単に手に入り、望めば好きな時に好きなだけソフトと対局出来る時代。
その時代で人間の対局者に困らない状態で、電脳と戦いたいけどいつも戦えないで困っている人がどれくらいいるのかと思うし、仮にいたとしても1日3回までというルールで何か変わるかといったら変わるようには思えない。画像の貼り方は知っているけど、自分が教えるのはためらいがあるので、尋ねられても答えないようにしている。
ただしネットで検索すれば沢山出てくると思うので、知りたかったら検索してみたら良いと思う。ためらう理由でもあるが、ネットにアップして良い画像、法律違反となる禁止されている画像(著作権、肖像権など)、アップして構わないのかアップしてはいけないのかわからないグレーゾーンの画像がある。
ですので画像をアップしたいと思うのなら、そこも合わせて読み、知っておく必要がある。また画像のアップは自己責任の下に行われるが(文章を載せるのも自己責任だけど)
この掲示板のように自分が管理しているところではない場所に貼る場合は、管理者に迷惑がかかる場合もありえるので、そこも頭に入れておく必要があるかと思う。最後になりますが、このためらいごとはtouma1さんに対してではありません。
ここに貼り方を書いたとして、それを読んで自分もやってみようと思ったとして、実行する不特定多数の全ての人に対してです。>「ブラックリストに入れられる人数を100人から150人程度にする」
増やせるものなら無制限が望ましいし、それが無理なら十分に入るだけの人数が望ましい。
100人が満杯になり、古いものから削除していって新たに登録しているのに、
対象者が全く減らない状況で50人増やしたからといってすぐ満杯になるのは目に見えている。もっとも・・・・
ゴミのポイ捨てで街の美化が損なわれたら、清掃員を増やすのではなく、ポイ捨てをしている人を取り締まり減らしていかないと。
不愉快行為をしている人に目を向けずに、そちらで頑張ってもとは思う。「六枚落ちお誘いの不思議」
つい先ほど六枚落ちのお誘いを受けた。
年に3回くらいか、今まで誘いを断ることはなかったが、もう遊びは終わりだとばかりに断った。
そうしたらすぐに時間を変更して六枚落ちのお誘いが。
これも断ったが、ここまでは意味がわかるし、起こっても何の不思議もないのだが・・・・
そうしたらまたすぐに六枚落ちのお誘いが。
ただし名前が全く違っていた。
年に3回くらいしかないのに、違う人から続けてお誘いを受けることはないだろう。
これが違う人ならこんな不思議なことはないけど、同一人物だと思うのが普通かなあ。トピックのテーマは、
将棋に於いて【半人前】あるいは【1人前】というのは貴方にとってどのくらいの棋力ですか?
ですが・・・・現在、1の問いに答えられる人はいないように思う。
(いればコンピューターに解かせ既に発表しているだろう)
それほどの高レベルで半人前と一人前の線引きを捉えている人からすると、
このトピックへの答えは、将棋に於いて一人前の人はいないので、
このテーマそのものが馬鹿馬鹿しいものだとなるかと思う。この2つが別人からなら、考え方は人それぞれで個々に違いますからとなるけど、
これが同一人物からだと意味がさっぱりわかりません。
今回示した4つのラインを線引きとして、半人前、一人前のテーマを出してきたわけではないだろうということは想像出来ますけど。もう亡くなってしまいましたが、私の好きな音楽アーティストで、受けないギャグを好んで話す人がいました。
受けないと知りつつ、その受けなさ感が快感なのでしょうね、ライブでは定番のように毎回話されていました。私は最近ノーマル四間飛車を勉強し指し始めています。
わかっていたとはいえノーマルで構え「どんな戦法にも受けて立ちますよ」というのはハイリスク。
結果序盤は大体が4対6、3対7で不利になります。
ただこの不利になった局面が結構快感で、「さてこれからどうしようか」とか「力を付けるのに良いチャンス」とか思ったりするんですよね。
結果は、引き離されまいと必死にくらいつくものの、リードすることのないまま終わることがほとんどなんですけどね。「急所」
終盤は相手玉を守っている金を狙うのが急所になることが多いですね。
ユーチューブの対局配信では話しながらのものが多いですが、
上で紹介したプロ棋士も「この形は○○から攻めるのが急所」と言いながら指してくれます。
読みの速さは、身につけた知識の活用と、身につけたことにより、それ以外のいらない部分の切捨てによることが大きいですね。
理屈としてはわかっていましたが、目の前で見せられると、やはりそうなんだと思うと同時に圧倒されます。手筋+急所の把握、この辺りがポイントです。
「凄いなと思ったこと」
ネット将棋では持ち時間の短い将棋が好まれており、
24でも10分くらいで終わってしまう対局もかなりの比率あるんじゃないですかね。
その短時間でどれくらいのパホーマンスが出来るかですが・・・・・詰将棋も手数の長さと難易度は結構違ったりするが、
比較的考えやすそうな形の良い7手があったとして・・・
24の初段なら平均して1分あれば、5級なら3分あれば
10級なら5分あれば、12級ならば10分あれば
三段以上なら10秒あればくらいかな。
これだけの差があると、乗り物で言えば自転車と列車ほどに進んだ距離が違ってきます。先日ユーチューブの対局配信を見ていましたが凄かったですね。
10分切れ負けで配信していたのはプロ棋士、
序盤中盤と互角のような進展で残り2分くらい、
戦いはやっと終盤に入ろうかというところで残り時間が2分くらい。
「時間が迫ってきました、急がないと危ないですね」と言いつつ余裕。
それは1分を切っても同じで、何事もなかったように勝ち、そんな対局が何局もありました。私なんかは残り2分ともなればパニック状態で満足な読みが出来ません。
それに比べるとプロの残り2分は余裕なんですね(1分切れ負けなんかも沢山経験しているからなのかなあ)
とにかく凄いわ。私の場合はブラックリストがあって大変役立っています。
入れても入れても対象者がおり、満杯になると最初の方の30人くらいを対象から外してまたスペースを作ります。
多くはこちらの手番の時に勝手に投了して去ってしまう人、
フリー対局をよく用いる人にはわかると思いますが、ブラックリストに入れても入れても対象者が現われます。
これが一番軽度な対象者ですが、リアルな対局ではほとんど行われることのない失礼な行為です。
将棋に対し、対戦相手に対し、そのような接し方をしている人とは対局を遠慮したいので、即ブラックリスト行きです。一時期再戦を望む好印象の人を目印としてブラックリストに入れてたのですが、
余りに悪印象の人が多過ぎて短期で一般的な使い方に戻しました。>個人個人が特定個人をブラックリストに入れて文字を非表示にする機能では不十分ですか?
機能としては、この現在の機能で問題ないと思いましよ。
同じ文章でも不快と感ずるか不快と感じないかは人それぞれであり、
それを一律に線引きすれば、上手く行かない部分が当然ながら出てきます。
しかし、不快と感じる、あるいは不快と感じない側が、非表示か表示かを選択できれば、必ずその人にあった設定になりますからね。このことに限らず色んなことに通じますが、
総じて、このような良い機能があっても知らない人が多いですね。
それは対局することは好きでも、将棋倶楽部24のサイトに書いてある色々なことには興味がなく読まないというケースが多いかな。
それは会員側の問題なのか、興味がなくても自然と目に入るようになっていないサイトの作りがイマイチなのかはわかりませんが。>「暴言など、不快なチャットは表示されないようにする」
考え方としてポイントがズレていると思う。
暴言や不快なチャットは禁止、これが現状のルールで、
席主への通報によりケースによっては永久追放もある。ルールを守るべきものだとするのなら、前回の3回も今回の提案もルールとは少し違う。
ルールを作るんじゃなくて、ルールを守る意思がなくても機械の方で勝手に後処理をしてくれるシステム作りみたいな感じがする。「寄せの手筋168」「凌ぎの手筋186」は、上達したい人は絶対にお薦めの本です。
当時のものは手に入れるのが大変でも、後年新たに問題を追加して出しておりそちらは手に入りやすいと思いますので興味のある方はどうぞ。この本には前身として将棋ジャーナルでの付録時代がありまして、付録目当てにシリーズを買ったものです。
同じシリーズで美濃崩しもありまして、そちらは屋敷さんの方で「美濃崩し180」で出ていまして、当時3冊ともすぐに買い、現在もかなりの頻度で問題にトライしています。このトピックの主旨はタイトル通り、気楽に書ける場所作りであり、
女性棋士さんも触れていますが、新たにトピックを立てるまでもないというのが重要ポイントです。このようなタイトルのトピックは珍しいかとは思いますが、どこにでもある「雑談コーナー」であり名前を変えただけです。
私自身便利に使わさせていただいておりますが、
結果として長く愛用されており、皆さんに感謝です。m(_ _)m
引き続き気軽に書き込んでいただければ幸せです。>最後ににげかたによつてどうしても 2て変長駒余りになる時があります。
私は図でアップした5手詰が、最後の対応により、7手詰み、歩余りがそれに当たるのかと思って挙げたのですが、もしかしたらkannjuさんが言わんとしていたのと違っていたかも知れません。
指し将棋にも詰将棋にもルールがあります。
その上で詰将棋はルールにがんじがらめにされたものではなく、曖昧な部分もあるのは確かです。
ただし曖昧な部分もあるけど、絶対に守らなければいけない部分もあります。
例えば連続した王手でなければいけないとかはそうであり、絶対である以上その部分に置いてはかたぐるしい規定だといえます。
(絶対的ルールにも、かたぐるしいと感ずるものと感じないものとあるとなると、そこは感じ方次第なので困るけど)指し将棋にはルールがありますが、アマチュアの人達に対してはどこもルールを決めていません。
日本将棋連盟がプロ棋士の対局用に決めたものを、アマチュアが勝手にアマチュア用に少しアレンジして使っているだけです。
でもそれでほぼ全国共通のルールになっているので特に問題はありません。
それに対して詰将棋はプロもアマもありませんし、ここで決めたルールは絶対というのもないので、そうである以上、捉え方の違いによる曖昧さというのはずっと続くように思います。日本の法律も将棋連盟が新しく打ち出すルールも、そのルールだった方が良いのか、他のルールの方が良いかは人によって意見が異なるところです。
ただそこで決められたことが絶対ならば、従う方としてはわかりやすいですね。
色んな考え方があり、特にこうだとは決まっていないというのは、どう考えたら良いのか、やっかいではあります。もうひとつ違和感を覚えるのがあって・・・・
受け手側の最終手で合駒をする場面、
持駒は山ほどあるが、それを使って受けると駒余りで不正解、
取られそうな駒をかわしつつ移動合するのが正解で、これだと攻め手側に持ち駒が残りません。
これなども、受け手側が駒が余らないようにしてはいるのですがしっくりしません。
山ほど駒があるのに、それを使って受けると不正解なんて、パズルを成立させるためだけの行為ですからね。指し将棋と詰将棋はかなり異なる部分がありますが、詰将棋というルールを逆用したトリックで、結構違和感を覚えるんですよね。
その詰将棋作品が作られた時代はOKでも、現在では駄目というのは起こりえることですね。
その場合、現在は現在の基準で作るとして、当時は当時の基準で見てあげたいものです。
ただ線引き云々ではなくて、当時と現在とで価値観が変わってしまうと、現在の価値感に合わない作品は、その部分がマイナスとなり、ワンランク落として見られてしまう傾向にはなるのでしょうね。さてさて2手変長駒余り作品ですが、私は解いていて不信感をいだくタイプです。
(ルールとして変なのではないかと)(あえて作者名は出しませんが)
正解は▲3一角△3三玉▲3五飛△4三玉▲5三角成の5手詰め
しかし△4三玉と逃げるところで△3四歩と合駒をすると、▲同角成△3二玉▲4二とで7手詰め(歩余り)となり5手では詰みません。
受け手側は最長手数で逃げるのを最善としていますが、攻め手側に持ち駒が残るような逃げ方は駄目ともなっています。
この二つがぶつかった時にどちらを優先するかですが、後ろの方を優先してるのですね。
(間違っていたら申し訳ないが、2手までは駒余りで手数が伸びるのは許されていたのかな)で、この作品だと実際には5手では詰まないのに、受け手側が、駒が余らない方に逃げて5手詰めなんですよね。
いくら手数が伸びるからといって無駄合で駒を捨てて手数を伸ばすのは論外ですが、私は実際には5手では詰まないものを5手詰めだとするのは、ルールが原則から外れているんじゃないかと思うのですけどね。逆に今度は自分の将棋。
好調に攻め自玉は安泰で後はどう決めるかだけ。
決め方は色々あったと思うが、ほとんど時間を使わず指した手がかなりの悪い手。
それに対しての相手の対応が悪く、ほどなく投了となったが指した瞬間青くなった(それでもリードはまだしていたと思うが)
大事なところではもっと腰を落として読まないと・・・・
反省である。友達の将棋を見ていたら、終盤戦1手違いだが7対3あるいは8対2で勝てそうな局面。
そこで友達が選んだのは駒を取りつつ相手玉に迫る確実な手。
結果として何事もなく勝ちましたが、少し無理そうだが即詰みを狙えそうな局面だったので感想戦で言って見た。
そしたら友達は「それはわかっていたがもし詰まし損ねたら逆転負けなので早々に読みを打ち切った」と言った。
相手に駒を与えながら玉を追うので確かに詰まし損ねたらアウトなのだが・・・・
私はもっと深く読んでから結論を出しても良かった、もっと強くいえばもっと深く読んでから結論を出すべきだったと思った。
その結果として詰みを見切れば詰ませば良いし、読み切れなかったり詰まないと判断したら止めればよい。
そして最悪詰みだと思って踏み込んだが見落としがあり負けたとしても、それはそれで勉強になるかと思う。
それに比べるとあまり読まずに切り捨てるのは、それが勝敗に置いて安全ではあっても、実戦で読みを鍛える良いチャンスを自分から手放したことになり私は損だと思いました。「盤上のフロンティア」は確かに多いですね、新たな可能性ということもあり良い対象なのでしょう。
双玉に関しては通常の詰将棋とは違うものとして区別している人も多いですね、
詰将棋も、端に桂香がある実戦形は好きだが、中段玉は嫌いという人は結構いるでしょうし
○○さんの作風は好きで△△さんの作風は苦手というのもあるでしょう。
詰将棋の定義を詳しいところまで知っているわけではないので断言は出来ませんが、
双玉の問題も好き嫌いの部分が大きくて、別物ということではないと思うのですけどね。
(別物というのは「これは詰将棋ではない、詰将棋とは違うもの」という意味ですけど)ブラックリストバージョンアップ版という言い方は誤解を生じかねないので、自動挑戦拒否機能と訂正しておきます。
こちらは希望するR点より離れている人とは戦いませんよとか、希望する持ち時間以外では戦いませんよという時に使います。それからバージョンアップ版の方も。
忘れていましたがPC以外でブラックリスト機能が導入されているのかいないのかは知りません。
(私はPCなので活用していますが、それ以外は使ったことがないので)touma1さん
まず、挑戦を受けるのも断るのも自由ですよ、故意で断るのはだめなんてものはないです。
(挑戦拒否しても繰り返し挑戦してくるということは故意で断ってるってことだし)6回やってて東京棋譜で検索すればわかるというけれど、嫌だったら受けなくて済むことは誰でも知っていることです。
現在のシステムは1回すら戦わないで済むシステムになっています、戦いたくなかったらブラックリストに入れわかるようにして置くのが賢明です。
これで相手からの挑戦は自動的に拒否されますし、目印がつきますからこちらからの挑戦も避けることが出来ます。ついでにもうひとつ・・・『盤上のフロンティア』の”まえがき”を読んでというのをネットで見つけたので。
紹介ついでに「盤上のフロンティア」1番を・・・・
先手の玉がいなければ▲2六馬の1手詰だが双玉問題であり、馬が動いたと同時に玉が取られてしまう。
どうしたらそれが実現するかだが、ここまでのヒントと5手詰めというヒントを加えれば8割方は見えたと思う。
ちなみに答えは同じページにある。先日図書館で「盤上のフロンティア」(若島 正 詰将棋作品集)を借り、パソコンに全て打ち込んだ。
局面を打ち込みソフトに答えさせるが、いくつか難点があり手数があった時点でOKとしている。
答えをチェックしているわけではないが9割以上は同一手順だと思うので、それで良しとしている。ところでこの作品集は結構面白い、その面白いという部分は解説を読んでというところが大きいので返却するまでに一通り解説を読みつつ動かしたいと思っている。
それとは別に興味深い部分がある。
それは前作の「盤上のファンタジア」とはかなり作風が異なる点でして、
新たな発想で新しいものを作ろうとした結果が作風の変化となった。
別に作風を変えようと思ったわけではなく、必然とそうなったということです。
氏がまえがきで書いているが、「詰将棋は行きづまった」「新しいアイデアは発掘され尽した」と幾度となくささやかれてきたとある。
同時に、それは単にそうささやく人が行きづまっているだけのことだとも書かれている。詰将棋作家にも色んなスタイルの人がいる(指し将棋に置いても同じ)
これが自分のスタイルだと、そこに終生のこだわりを持つのもそれはそれでありだが、常に新しい可能性というものに目を向けるスタイルも魅力的で良いかと思う。「同じ人との対局は1日3回まで」というルールは私は設けない方が良いと思います。
以下理由を書きます。1日に同じ人と4回以上指すというのは、通常はないことです。
そこから、ほとんどの人はこのルールがあろうがなかろうが関係ないし、3回以内で収まっているということになります。では4回以上やることも結構あるとよという人にとっては・・・・
多いのは、気のあった友達とフリー対局をする、あるいは指導対局をするような感じでしょうか。
そういう人達にとっては設けないでほしいルールでしょうね。
だったらレーティング戦で起こる場合は・・・・
同じ人から何度も挑戦をされ、それを受けた場合起こりますね。
この場合受けたいから受けたわけで、嫌だったら受けなくて済むわけですからね、お互いの合意の下に対局がなされており、無制限だから困っているということはありません。以上のように思うわけで、ルールがあってもなくても影響がない、あるいはそういうルールが出来ると困るというのはあっても、ルールを作ったことによるデメリットを越すようなメリットというのは私には浮かんで来ません。
よってこのルールは設けない方が良いのではと思う次第です。「一目瞭然なのに・・・・・」
大会のB級で平均して真ん中くらいの成績のAさんと、
大会のB級でいつもトップ争いをしているBさんとでよく練習将棋をしている。
そしてAさんの言うことには「Bさんとの練習将棋の成績は互角」だと、
二人の棋力の差はほとんどないという認識の言葉を吐く。
しかし私の目からすると明らかに棋力の差があるわけだがそれに気付かない。
もしも棋力がほとんど同じなら大会でいつもトップ争いと真ん中とには分かれない。
馴れ合いということで練習将棋をBさんが遊び感覚で指しているから成績が互角なだけなのに。「強い 弱い」
強いや弱いを自分の棋力を軸に捉えている人って多いですね。
それは確かに自分から見たら強い人かも知れませんし弱い人かも知れません。
でもそれはあくまで自分を中心として見た場合ですからね。
そんな感じで話す限り、同じ棋力の人同士では話が合っても、他の棋力の人とは合いません。
「それって自分を中心に強い弱いを分けているだけでしょ」と言われるだけです。「自分の指したい手を指せ」
この格言は遥か昔に私が考えたもの(80%くらいがブラックユーモアだが)
ベースは安易に想像出来るかと思うが「相手の打ちたいところへ打て」今は対局中に口を出す人はほとんどいなくなったが昔はかなりいた。
横から口を出す人は対局者より少しばかり強いのだろう、ああ指せだのこう指せだのと口を出す。
それに負けて言いなりの手を指す人に一言。
「自分の指したい手を指せ」 -
作成者投稿