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「自己防衛本能」
棋友がよく「自分の周りの人達は誰も上達していない」と言う。
確かにその通り、同年代の人達が30年間、この人は上達したという人がいない。
それは壁に当たってからの上達がいかに難しいかを表わしているのだが。ただし棋友が何故そのようなことをいうのか?本心は別のところにある。
本心は・・・・
自分は30年間対局もしたしそこそこ勉強もした、だけど上達しなかった。
その上達しなかったという答えが「自分の周りも・・・・」で、それは上達しなかった自分を肯定したいからわざわざ言うんですね。
本当は「上達しないレベルの努力しかしてこなかった」というだけのことなんだけどね。ちなみに私も周りの中のひとりで「上達しないレベルの努力しかしてこなかった」は頭は痛くとも「その通り」で、返す言葉もないのですが。
1手詰めの本が人気で増刷したとあった。
そういえば1手ずつ全てに解説が書かれたいる本が出たのが半年だったか1年くらい前。
それがかなり人気のようで、振り飛車のとか藤井二冠のとかテーマを絞って沢山出てきている。
こういうのを待ち望んでいた棋力レベルの人がいかに多いかということなのでしょう。1割、良くて2割、自分の趣味になれば良いと思い、挫折せずに自分の趣味に出来る人の割合はそんなものでしょう。
そんなまだ趣味レベルまで行ってない人に役立つのが、1手詰めとか、1手ずつ全てに解説が書かれたいる本。
そういう人達に寄り添っているということで人気があるのでしょう。「自己満足」
将棋は相手との戦いではあるが自分との戦いでもある。
私の場合は、全力でさえ戦えれば勝敗に限らず充実感を得られるがまだまだの感が強い。今日も15分切れたら1分の勝負、終盤でこちらがかなり優勢という局面になり相手は長考(と言っても5分くらいか)
その時に「相手が指すまで手元の本でもちょっと読んでいようか」という悪魔のささやきが入ってきた。
「そのような対局姿勢ではとても上達は叶わない」と振り払いはしたが、実際のところそんな悪魔のささやきが入って来るようでは、とても充実した将棋など夢のまた夢。上達とか充実とか細かなことは沢山あるが、ざっくり言えば自己満足。
私の場合自己満足するためには全力で指す事が必要なんだが、当たり前のようでいて中々出来ていない。wwwだけでは何を言おうとしてるのかわからない。
それがわかるのは書いた本人で、次に近い推測が出来るのが書かれた側の対局者(どういう対局だったのかで少しは推測が出来る)
一番判断出来ないのがこの書き込みを読んだだけの人(これだけの情報ではどういう意味で書かれたものかはわからない、20個くらい可能性を思い浮かべれば、当たっている意味がその中にあるかもしれないけど)ゆえにどうおもうか?と問われても・・・・・
答えることが出来る人がいたとしても、ほとんど見当ちがいの推測を元にしての答えになっていそう。「街頭インタビュー」
不要不急の外出自粛が呼びかけられている中、街頭でインタビューされる人はきつい。
「こんな時に街に繰り出すなんてけしからん」と言えれば良いのだが、自身がそうなのでそのように言うと自分の行動を否定することになってしまう。
結果として苦しい言い訳をして自分の行動を正当化させるのだが。そのVTRがテレビから流れる、こんな人がいて、だから街行く人の数が中々減らないんですとばかりに。
これを正義と悪で捉えると、街中を歩く人は悪で、それを放送する側は正義。
しかし・・・・・・不要不急の外出自粛なのに、インタビューしてる人もカメラマンも仕事と称して街に繰り出しているわけで、会社はそれを命じているわけで、感染リスクを高めていることに関してはインタビューしている側もされている側も全く同じ。
ゆえに悪なわけだが、悪だと思えばわざわざ街中に繰り出してインタビューはしないだろう。人出は固定カメラで判断出来る。
なのにわざわざ街中に出向いてほんの数人の意見を聞くことにどれだけの意味があるのか?
そう考えると、街頭インタビューをして来いと命ずるのは正義ではなく悪なのだろう。正義のつもりで書き込んだものが、基本に反しており悪とみなされ消去される。
正義のつもりの街頭インタビューが実は自身も街に繰り出し感染リスクを高める悪の行動だった。
どちらも正義だとは思っていても、自身が悪の行動を取っていることには気付かない。>新型コロナウィルスはPCR検査を知らないはずなのに、一体どこで学習したのか全く不思議です。
それは、大物つりを趣味としている人が「良いバトルだった」と、勝手に魚との格闘を美化しているのと同じ。
魚にことわりもなく一方的に釣ってるのに(現状のPCR検査が対応していないだけなのに)
「将棋に憑かれた男」
将棋は読み物も好きで、ネットで安くなったものをよく買って読んでいる。
戦法書ほどには古さも気にならないのがメリットか。先日もちょっと目線の違う人のものを読みたいと思い「なぜか将棋人生」を購入した。
書き手が無名(当時)、対象が地味ということで単行本にしてもらうのに苦労したそうで個人的には期待通り。その中で特にインパクトが強かったのが「将棋に憑かれた男」
西村馨七段の話だが将棋ペンクラブにほとんど全文といって良いほどの記事が載っていたので紹介する。日本が1月に緊急事態宣言を出した時は、東京都の場合ですが毎週3割減ペースと言われていました。
(今も宣言が続いている中、200台、300台から中々下らず、逆に微増傾向にありますが)イギリスのペースは毎週4割減といったところでしょうか。
30000 18000 10800 6480
↑の画像「Microsoft Edge」だと見れないなあ、「Firefox」「Internet Explorer」は見れるけど。
「Microsoft Edge」でも表示されてるのもあれば駄目なのもあって違いがわからない。ちなみに↑の画像
http://kura4.photozou.jp/pub/728/3052728/photo/267639920_624.v1615344590.png「鎖国」
将棋と相撲は似てる部分が多いと思っている。
相撲の場合、自分の方が強いと思ったら何もせずに相手を捕まえてしまうのが一番安全、
将棋でいえば相手の様子を見ながらまずはじっくり囲う。
これが、立ち合いから思い切り突っ込んでいったり、囲うことなく攻め一辺倒を試みると思わぬ負けの目をみる危険が生じる。
土俵際まで追い込んで勝ちだと思い安易に出ての逆転負け、詰みだと勘違いし大量に駒を渡しての逆転負けも似ている。でもここだけは違っていると思うのが鎖国。
相撲は今や外国人がいっぱいでトップは長年海外からの力士に占領されている。
それに比べ将棋は・・・・・・
相撲レベルにまで国籍を広げれば今頃相撲のようになっていたかもしれない。
日本レベルと世界を巻き込んでのレベルではやはり違うわけで、そこらへんは見たかった気もする。calvaryさん
あと2年半は嫌ですね、でもどうなるかわからないので頭の片隅には入れておく必要があるのでしょう。
これは世の中の雰囲気次第ですけど、ひとつも目安はマスクを外せる日かなあ。「実戦」
今度「将棋・終盤完全ガイド 基本編 」が出るということで楽しみだが・・・
でもこういう棋書に書かれているものと実戦はかなり違う。
詰将棋だと、必ず詰み、詰み手順は1つのみ、持駒は全て使う。
必至問題は絶対に即詰みはない、しかし必ず必至がかかる。終盤の考え方だが・・・・
①相手玉に詰みがあるかを考え詰みがあれば詰ます
②詰みがない場合は自玉に詰みがあるかを考え詰みがある場合は受ける
③自玉に詰みがない場合は相手玉に詰めろをかける
④・・・・いか略理屈では確かにそうだが実戦はかなり違う。
簡単に詰みが発見できれば詰ませば良いが発見できない場合はどうする?
詰むのか詰まないのか、全ての時間を費やして考えるのか?
それが許されるのは時間無制限で行うパズルの時だけで、実戦の終盤は他にも色々考えなければいけないことがある。
その中でも持ち時間はとても大事で、ネット将棋だと30秒、1分、まとめて読めたとしても3分くらいを想定して置いた方が良いだろう。
実戦は読み切れない中での考え方もとても重要なわけだが①~④へはあくまで全てを読み切っての順序だ。終盤もこのような理屈の順序は色んなところに書かれているが、実践的な勝ちやすさの選択のし方が書かれているのは見たことがない。
終盤の手筋のような感じで理屈が書かれていると、よく「詰むのか詰まないのかがわかれば苦労はしない」と思う。
保険をかける、安全勝ち、勝負に辛い
これらは少なくとも①~④へと順番に読み進めての指し方ではない。
終盤も、わからない中でどう指すかが結構大きかったりする。calvaryさん
>それに比べ日本は・・・・
言いたいことはわかるが・・・・
これが飲食店や医療関係にのみ配られる給付金だったら賛成か反対か
(例えば飲食店はどこも困ってるのだから時短営業を要請している店舗だけでなく全国一律に大判ぶるまい)これでも、日本の政治家は心が広い、飲食店が助かる、飲食店が助かるなら税金をどんどん投入してください、その分は私達が税金として余分に納めますから。
と思えれば日本の政治家は心が広くて万々歳。しかし、自分がもらえるか、自分には入らず税金で払う額が多くなるだけかで判断するのなら、政治家の心の広さ云々とは全く別の話で、どちらなのかで全く変わってくる。
「ヒロエ 相馬康幸さん作」
詰将棋には初形や詰め上がりに文字や図形となる曲詰というのがある
この「ヒロエ」というのは初形が「ヒ」途中で「ロ」詰め上がりが「エ」という3つの文字からなっており中井広恵さんの女流名人就位式にてプレゼントされた作品(のちに看寿賞受賞)
曲詰ということで強引に曲と結びつけると1975年フォークブームで素人集団がこぞって曲を作っていた時代に、1番2番という概念ではなく3つのメロディからなる組曲という形で発表された素晴らしい作品があった。
替え歌といえば現在一番作られているのはヒット中の「うっせぇわ」でしょう。
曲自体が替え歌にしてみたいと思わせるもので、「同じ作り方で○○作ってみました」という感じで替え歌が作られている。
たとえ替え歌でも自分が伝えたい歌詞内容であることは当然として「歌ってみたいな」と思わせる歌詞であることが大切感想もないので歌詞を作るに当たって参考になりそうな曲を二つ・・・・
「線香花火 さだまさし」
123とする数え歌は多いがこれみたいに気付かれないように10で終わって曲を他に知らない(落ちてジュ)「あゝ青春 吉田拓郎」
こちらは数え歌のよくあるパターンコロナの時代になってから一年、去年の今頃は夏には収まっているだろうと思っていたが」・・・
コロナというとすぐに思い出す曲がある
ちなみにこの曲を作っていた時にこの車が通ったと理由でこのタイトルがついた。緊急事態宣言の2週間延長が先ほど決まったが、結果が反映されるまでの期間を考えると2週間ではほとんど反映されないわけだからわからない。
ゆえにここで解除しても解除しなくても2週間の間に発表される感染者数はかわらない。そんな中で減少が予想されるのは医療機関の負担で、2週間経ては負担もかなり軽減されているのではないだろうか。
解除するならそれを理由にするしかないだろうが、それだとすぐに第4波が来そうで怖い。
しかしながら延長延長で経済はどうなんだということになってくる。緊急事態宣言終了の時期が来て医療関係の人達が延長に向け声をあげた。
これだけ延長延長では経済もたまったものではないし経済関係の人たちも「延長するのもいいかげんにしろ」との声が上がってくるだろう。緊急事態宣言下での我慢が続きに続いている状態で、春が来て暖かくなる状態で、人出が増えるのは間違いない。
それらを考えると八方ふさがりで「う~~~ん」しか出てこない。
「居飛車党」
居飛車党も先手番を握った場合、初手▲7六歩と▲2六歩の2タイプに分かれるが、
初手▲7六歩タイプですと△3四歩▲2六歩が一番進行しやすい局面だと思う。さてこの局面だが後手にはどんな戦法選択が考えられるか?
オーソドックスな戦法として
居飛車党なら、横歩取り、一手損角換わり、雁木
振り飛車党なら、ノーマル振り飛車全般、ゴキゲン中飛車、角交換四間飛車実際は二手目に△8四歩の可能性もあり、これに矢倉と角換わり全般が追加される。
(どちらか片方を選択すればよい)
これが初手▲2六歩だと後手の戦法選択幅は若干狭まる気もするが種類が多いことには変わりない。これに当然ながら後手番のケースというのが追加される。
私は現在振り飛車が主で覚えることが多いなあと思っているが、居飛車党も覚えることが多くて大変だ。
詰ましに行くなら初手は5二竜から読むかな、
同金に4四桂 同歩 4三銀でバラせばこれだけ持駒があるから詰むだろうという感じ。
実際はその手順で詰みを発見できなかった場合が怖い(時間切迫で慌てる)のでもっと安全に勝てそうな手から読むと思うけど。『第4回ABEMAトーナメント』開催
またABEMAトーナメントが始まる、
個人的に注目してるのが「チーム康光」、前回旋風を巻き起こした、谷川、森内とのレジェンドチームの再結成はあるのか?
そしてもうひとつは15番目のチーム、内容は「こうだ」とは断定できないが、
選考から漏れた棋士の中で出場したい人が出場権をかけて戦う、そして最終に残った3人がチームを組む。
たぶんそうなのではないかと書かれた文章から推測する。「ワクチンの承認って何?」と思わせる出来事。
ファイザー製のワクチンは第1便が日本に到着する時期に合わせて承認された。
平時だったらそんなことはありえず非常時だからこうなったのだろうが、
平時だったらもっと吟味してから承認の有無を決めるのだけど、非常時だから承認しちゃえってことだったのかなあ。>あれ~アストラゼネカはまだ承認されてないのに、もう工場をつくるとはどういう事なんでしょう???
非常時だからでしょう。
平時には平時の、非常時には非常時の対応があり、非常時なのに平時と同じ対応をしたり、
非常時の対応を平時の対応と同じ感覚で判断しようとすると変なことになります。ワクチンに関しても承認する前から契約をして大量に注文している。
これが平時ならば承認出来るレベルのものと判断してからの大量注文でしょうが、非常時ゆえにそんなのんきに構えてはいられません。
のんきどころか我先にという争奪戦で、乗り遅れてはいけないという感じです。「上達のための勉強時間割」
どんな時間割、内容が良いのかは人それぞれですのであくまで1例ですが・・・・
平日2時間、休日4時間将棋に費やすというケースの場合
(ただし対局はネット対局・・・将棋倶楽部24)対局による勉強を50%、その他の勉強を50%にするというのが結構良いと思う。
平日の対局は1時間で、15分(切れたら1分)を1局、早指1もしくは2を1~2局
休日の対局は2時間で15分(切れたら1分)が中心。平日・・・詰将棋は手数の短いものを毎日(20分くらい)
その他は週単位でメニューを考える(残り40分)
休日・・・週単位のメニューの日曜日分として組み込む王将戦、永瀬挑戦者が勝ち対戦成績を2勝3敗とした。
0勝3敗から1勝を返した時点では「まあ奪取は無理だろう」と思っていたが2勝3敗になると景色が変わってくるから心というものは面白い。1都3県への宣言解除が延長されそうな雰囲気だが・・・・・
今週の感染者数は逆に上がって来てるし、解除どころかこのままでも現状を維持するのが難しそう。
それを解除へと導くとなると、より強い規制をかけていかないと無理なんじゃないかな。風さん
一段落したらそのような変化手順をしっかり書いていただけるとありがたいです。
のちに解答および解答説明がしっかり書かれていたという記憶はほとんどありませんので。fujimikiさん
まず最初にお詫びを・・・・・
新しい書き込みをみてそのまま書いたものですからトピックのタイトルを見ていませんでした。
私が書いたのは対局前のあいさつについてです、失礼しました。エキサイトについてはこれで普通です、書いてる量もそんなに多くないですし、考え方の問題と記しているように、自分の方が正しいというような考えのもとに書いているわけでもありません。
私はこのように考え私ならこうする、というだけのことです。投了時のあいさつについてのコメントに関しては、私自身は何も書いていないので読むのみに留めます。
fujimikiさん
あいさつの強要はしていないです(「しない」ボタンがあるので)
ボタンを押すことは強要していますがこれは考え方の問題ですが・・・・・
あいさつボタンがあるのはあいさつすることを身に着けて欲しいという思いがあるからです。
これが自動ですと何もしなくてもよいので、逆にあいさつしないのが身についてしまう人もいるでしょうし。これも考え方の問題ですが・・・・
個人的にはあいさつを「する」ボタンだけで良いと思っています(強要で構わない)
あいさつすらしたくないなら24でやってもらわなくても結構。
私が主催しているわけではないので私には何の権利もありませんが、私ならそのような仕様にします。
(そのような意見の人も中にはいるということで)ちなみに他のトピックですが、勝手に通信を切る人も24でやってもらわなくて結構(ただしこれを阻止する手立ては現状ない)
fujimikiさん
>被害者に被害を申し出るにあたり手数を要求しすぎると思う
要求しすぎるというのはどこを見ればわかる?
「コロナワクチン」
そういえば2週間ほど前に京大に通っている学生が里帰りらしく久しぶりに公民館講座に訪れて1局指した時に、私も「コロナワクチン」を口にしていた。
(コロナワクチンを口に入れたわけではない)振り駒で後手になった私はゴキゲン中飛車を選択。
その直後に相手は角を交換しに来て、思わず「コロナワクチンか!」と口走ったわけだが。
相手は一瞬「?」というような顔をしたがすぐに気付いて「そうです」と言った。
(この辺りの戦法事情に詳しい人ならすぐにわかったと思いますが採用されたのは丸山ワクチンという指し方です)その後私の方は立石流のイメージで組み、気付いたら勝勢の局面まで行ってたが力の差で頑張られ、最後は時間もなく局面も逆転され投了した。
上手く指せていたのでもったいなかったといえばもったいなかったが、どんなに力の差があっても勝負になることもあるんだなと実感した。「今さらジロー」
先ほどの対局は熱戦で良かった。
しかし最後の最後に詰みの場面で同玉と自ら王手放置をされがっかりさせてくれた。
自爆の王手放置は時々遭遇することで今更言ってもという種類のものではあるが。今更という言葉を使うときに後ろにジローを付ける高齢者が稀にいる、
将棋で今更受けても仕方がない時に「今さらジロー」と。
そういえば「当たり前」の後にクラッカーをつける高齢者もいた。ちなみに「今さらジロー」は小柳ルミ子さんのヒット曲だが、このジローは「ごめんねジロー」から来ているのではないかと私は推測している。
>nari.mizushimaさん
1年という単位で捉えれば順調に上がっているものも月単位で見れば停滞していた時期もあるというのが普通で、上達過程はノコギリ状になっていると思います。
将棋ソフト(AI)はソフト自身の改良による向上と、ハード(パソコン)自体の性能による向上とでどんどん強くなっていきました。
小学生は年齢とともにどんどんしっかりしていくわけでそれはハードの性能向上と同じ、仮に将棋を指さなくても考え方がしっかりしてくるので棋力があがります。
ですのでこれからもどんどん上がっていくのは間違いない、ただしどこまで上がって行くのかはわからない、それが小学生の特徴のように思います。
どんな目標なのかはわかりませんが、あきらめるというような現象ではなく、未来を占うような現象でもないと思います。
世界中がコロナで日本も毎日の感染者数が発表されていますがその数値に一喜一憂しないのが大切。
現状のレーティング数値もそれに似ているかと思います、一喜一憂するのではなくある程度長い期間で見ていくのが良いかと思います。あと、レーティング数値というのは結果ですのでこれまで積み重ねてきた証です。
それに対してレーティング数値を上げるというのはこれからの努力で、適した努力の方法は人によっても異なるだろうしどんな方法が良いのかはわからないというの一般的かと思います。
ですので成り行きを見守り、成り行きの中に身を任せるのが良いように思います。女性棋士さん
>これは、タブの壁という【錯覚】です。
それは全くの間違いです。
「これは」というのは質問者の息子さんに起こった現象をさしている訳ですが、以下に書かれたような感じで相手と戦ってはいないのであてはまりません。
女性棋士さんが書かれたのは、あくまで書かれているような対戦方法を選択した場合に起こりやすい現象というだけのことで対象者を見ていません。原因はあるかも知れませんしないかも知れません。
よくありがちなのは負けたことで勝負を急ぎ、戦いが淡白になりそれがまた負けを呼ぶ。
また200点くらいはレーティングの幅としてあるので時にはそういうことも起こります、ですのでそれかも知れません。棋力の上がり方も600点の棋力で600点から始めたのか、実際はもっと高かったのに600点から始めたのかで1年の間にどれくらい強くなったのかが異なるわけですがこのデータだけではわかりません。
ただ今回200点以上下がったということでどんどん右肩上がりでレーティングが順調にあがる状態ではない位置まで来たことはたしかでしょう。子供ですので一旦休憩はしていますがまたすぐに上昇してくのか、ある程度の足踏みを余儀なくされるのかはわかりません。
でも普通に将棋と付き合っていけば中高と進むにつれもっと強くなっていくことは間違いないと思います。>個人的に気になってるのは、【米長邦雄:われ敗れたり*1】の中で書かれている、
>将棋ソフトとの事前対局における話。「われ敗れたり」は読んだこともあるし本も持っている。
将棋ソフトとの事前対局における話で八百長を連想させることが書かれていた記憶はなく改めでその辺りをパラパラめくってみたがどの部分のことを言ってるのかさっぱりわからなかった。「上下」
× 気温が下がったことで家に閉じこもっていた人がどんどん外へと向かっていく。
〇 気温が上がったことで家に閉じこもっていた人がどんどん外へと向かっていく。「これから暖かくなるけど、それは安心材料なの?それとも不安材料なの?」
冬になり気温が下がることでコロナウィルスの感染拡大が懸念されていた。
それが春になりどんどん暖かくなってくる。
これで一応冬を越えたことになるわけだが。
でも・・・・・・・・・・・・
気温が下がったことで家に閉じこもっていた人がどんどん外へと向かっていく。
冬ということで四季の中では家に閉じこもる人が多く、それに関しては寒さは感染抑止に大いに役立ってたいんじゃない?
ということで冬を越して安心なの?それとも暖かくなってこれからが心配なの?
「夢のあと 山田修司」
「4分33秒」という曲を知っているだろうか、アメリカの音楽家ジョン・ケージが1952年に作曲した曲である。
三楽章からなる合計4分33秒の曲だが、演奏者が楽器を弾くことなく、聴き手はその間に流れてくる自然発生する音に耳を傾けることになる。
「4分33秒」詰将棋にもこれと似た感覚を思わせる作品がある。
詰将棋作品集「夢の華 山田修司」に収められている第100番「夢の華」で、盤上にも持駒にもまだ駒は存在せず未完とだけある作品。
これが許される詰将棋作家はそんなにはいないはずだ。
第100番「夢の華」その山田修司さんの詰将棋作品集「夢のあと」が5月26日に発売される
「夢のあと 山田修司」後手になる設定で対局することが一定程度あるか、後手を引き当てる運が強い定めに生まれたんじゃないかな。
私の感想は「ごくろうさま」という感じ。
歌詞は「夜明けのスキャット」みたいにルーだけでも「北の国から」みたいにアーだけでも、外国語の歌詞で意味がさっぱりわからなくても、なんならインストみたいに歌詞そのものがなくてもかまわないものではある。
しかしルーにしてもアーにしてもそれがベストだと思い作られており、「アジアの純真」にしてもメロディに乗せた時の心地よさを重視して作られている。今回の戦法名の羅列にも作ったからには作ったなりの主張はあるのだろう。
でもこれだけの情報で主張を察するのは難しく、何をいいたいのかさっぱりわからんとはなりやすい。歌詞には突然英語が出てきたりするのも多いが大事なのはメロディに乗せた時のフィット感
メロディーに気持ちよく乗っかって歌えるというのも歌詞の大きな使命のひとつかと思う。
(歌詞そのものに意味がないときはとくにそこが大事)>kurosaki88さん
それは当然の感想
ただし意味なしに用語だけを並べて大ヒットした曲もあるのでなんでもありではある。
ちなみにその曲の歌詞の評価は?大ヒットしたという事実があるだけである。
(メロディに乗せた時に心地よいと感じるという点を重視していて単なる言葉の羅列ではないが)
参考曲 「アジアの純真 PUFFY 歌詞 井上陽水」>相手からすれば二度も三度も対局が中断するのは不愉快でしょうが、二度落ちすると当然のように判定される>のもやはり不愉快です。トータルの待機時間で判定を下せるという方法に戻せないのでしょうか。
どちらも不愉快ならどちらの不愉快さを解消させるのか?
非のない方には1度だけ我慢して待ってもらう。
回線落ちの方も1度だけならまぬがれる。
それが現状スタイルですが、双方が歩み寄っており、落としどころとしてはこれが一番良いのではないですかね。将棋は読み物も結構好きだが、傾向が絞られているものが多く、濃いともいえるが単調に思えるものも多い。
そんな中にあってこの本は幕の内弁当、いろんなテーマのものがバランスよくちりばめられている。
ただし出てくるのは羽生世代までで、2002年出版なのでしかたがない。例えば反則、
わざと反則を誘導する某七段もいて、対局が始まると早速となりの棋士と会話をする。
まるで相手の手番のように装い、それにまどわされ初手は自分だったのかと指すと反則負け、
そうやって4勝を挙げたとか(勝ち数は噂が噂を呼び膨れ上がっている気もするが)一番多いのは二歩の反則だが、歩の上に歩を打つ反則もあったとの事、
もっとも本人は持駒の桂馬を打ったつもりが歩だったとのことだが。手が離れた、まだ離れてないというトラブルもよくあったようで・・・・
某棋士が指してから30秒くらいしてから「こんな手はないわな」といって手を変えたこともあったとか。
下っ端の棋士はそれでも文句も言えず受け入れるしかなかったようです。将棋には実戦で楽しむばかりでなく色んな楽しみ方がありますが、それは詰将棋も同じで色んな楽しみ方があります。
ですので色々な楽しみ方が出来た方が楽しみ方の幅も広がり得だと思いますが、当然ながら無理して広げる必要はありません。
しかし無理して接し方を限定する必要もないわけで、心の赴くままに境界線は作らずが接し方のコツのように思います。
(普段はトレーニング用として接していても、今回は鑑賞を目的に作品を選んで駒を動かしてみようとか)「詰将棋の世界」はどうやら「数学ゼミナー」という月刊誌に連載していたもののようです。
ですので対象者は駒の動かし方すら知らない人も多かったのではと推測します。そう考えると見えてくる部分も多くて・・・・
さすがに駒の動かし方は書かれていませんが、まずは詰将棋の基本的ルールからですがそこからがかなり違います。
通常は簡単なルール説明が終わると問題を使って頭金の1手詰から始まり詰手筋の紹介というのが詰将棋を教える本の常套手段ですがそうはなっていません。
ここに詰将棋を解くことを目的に文章を読むのか、「数学ゼミナー」の愛読者が文章を読むのかの違いが出てきます。
たぶん多くの人は将棋を趣味としていない、だから問題を解くことで頭を使うことが数学力アップに役立つにしても、手筋をつかって早く解けるようになったとしても将棋を指さない以上そんなに意味はない。
だからルール説明からしてマニアックな世界へと、そちらの世界を紹介する内容になっていったのだと思います。詰将棋が題材ですが、楽器でいうと演奏技術を高めるというより、楽器そのものの構造を紹介するみたいに、詰将棋とはどんなものかを細かく紹介した感じで、結果として素晴らしい作品が出来たり、ルールが細かいゆえに色んな問題が生じたりということが書かれているのかなと、目次ほかから想像できます。
「同歩の一手」 条件反射のように表にさらされるのがわかりきった状態
森会長の後任に指名されたのが橋本大臣のようだが・・・・・
名前が挙がった時点で過去のことが再び表にでる、そこで話が消えれば火事も大事にはならないかもしれないが、現状は油を注いでる状態
マスコミの餌食、庶民の好奇の目、不満解消の対象となるわけだが、そこに対して選考委員会は橋本さんを守れないだろう。
「その部分に関しては私たちがガードしますから会長になっていただけないでしょうか」ならわかるが。沈静化するのか火がどんどん広まり個人の人生を奈落の底まで突き落とすまでいくのか今後の世論の予測は出来ないが、
かたくなに拒否しているものを、そんなリスクを背負わせてまでも選ぶという心理とはいったいどういうものかと思う。森会長は失言で謝罪したけど結果として辞任だからね、それは世論に追い込まれたわけで、今の時代世論次第でどうなるかは全くわからないからね。
卒業するには留年と来期は卒業出来るだけの出席日数の確保が必要だが、同じペースなら当然足りない。
となれば対局を休んで出席日数を確保するしかないが、あの棋戦は休んでこの棋戦は出るというわけにもいかない。
じゃあ全棋戦を1年休んで卒業を決めてから新しく再スタートさせるか。>退学。親御さん的には、どうだったか。
親御さん的には本人の決断にまかすしかないでしょう、卒業はさせたくても対局と出席日数の確保を同時に選択することは出来ませんから。
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