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テレビを観ていたら「コロナの毒性がどれくらいまで下がったら現状から脱却出来るのか?」というのが少しだけですが出てきました。
(このように思っている人は多いかと思います)
それに対しての答えですが(答えと言ってもあくまで1人の意見)見方は私とほぼ同じでした。毒性が10分の1になったとして、感染力が10倍になっていたら結果として死者や重傷者数は変わらない。
なので毒性のみでなく感染力とセットでみなくてはならない。
オミクロンになってデルタと比べ死者数はどうなっているのか?これでどちらの力の方が勝っているのかがわかる。仮に風邪であっても感染力が今の100倍もあって年がら年中風邪をひいてるとなれば話はまた別で対策が必要になってくる。
風邪は冬が多いですがコロナはそれに比べると季節を選ばないし身体を温かくすることで予防効果が得られるというようなものでもない。
それが結果として感染力の差として表れるわけだが、そういう総合的な部分を見ないで毒性だけに目をやっても良い結果は得られないように思う。1日当たりの感染者数が鈍化しているがこれは何故なんだろう?
気になる点がひとつあるが後で書くとして・・・・・他国のピークアウト状態から日本もそうなのではと楽観視される部分があったが認識がかなり変わって来ている。
何故ピークアウトをしたのかを考えた時に「それだけ感染者が増えたからだろう」というのが私の見立てで、日本の場合は他国に比べるとまだまだ感染者割合が低いので長引く可能性が高いと思っていた。昨年東京は新年早々からずっと宣言による規則下にあった。
宣言には一定の効果があったが1を切るまでの効果はなかった、それは長期宣言下から伺える。昨年は飲食、旅行辺りがターゲットでそれなりの効果だったと思うが、蔓延状態と若年化でそこを制限してもほとんど効果はないと思う。
効果があるとすれば蔓延防止という言葉による国民への自主規制促進くらいのものだろう。我が市の人口は15万人で現在1日の感染者平均が100人くらい、これを150人としてみると1000人当たり1人だ。
これを30日前から遡り、二等辺三角形の要領で面積を2で割る。
しかし実際は100人なのだからそこを踏まえて3で割る。
すると1000人当たり10人となるが実際はその3倍いたとして30人だ。
計算はかなり大雑把だがここで言いたいのはひとつ、この感染状況では感染者数が鈍化する理由には全くならないということである。今年に入ってから異常なスピードで感染者が増え続けたのは周知の通り。
それが異常に思えるほどの上がり方だったにしろ感染力が圧倒的に高かったのは事実。
それほど感染力が高いのにほとんど理由が見当たらない中で何故鈍化する?そこで私が気になっている点だが・・・・
検査数の上限はどうなっているのだろう。
1日の検査数が上限に近ければいくら感染者が増えても数字上はそこからは中々増えては行かない。昨年急激に感染者数が減ったという例もあり今後どうなるかはさっぱりわからないが減ってくれたらありがたい。
「実戦による上達法」
実戦は詰将棋、棋譜並べと並ぶ3大練習法のひとつで、
中でも実戦は上達を考えたら外せない、ある程度必要な練習法だと思う。
ただしどの練習法にもいえることだが、ある程度のレベルまで行くと、やってさえいれば効果が出るということはなくなる。
ではどうしたら効果が出やすくなるかだが、それは練習目的をはっきりさせたうえで取り組むことが良いと思う。では実戦練習に置いて目的を何にするのか?
これは人それぞれだが私はいくつかのポイントを挙げて、それが実践出来たかどうかを重要視している。
中でも
①一般的な確認作業
②何度かの形勢判断
③5手の読み
この辺りがしっかり出来たかどうかが大切で、ここのチェックに実戦を用いている。どんな練習法においても同じなのだが、目的を明確に立ててから練習を行うのが大切で、マンネリ状態からでは中々効果は得られないように思う。
「ミスをするための練習」・・・解決編
ギターの動画ではこの解決法として、演奏スピードを正しく弾ける速度まで落として最初から正しく弾くように勧めている。
そうして徐々にスピードを上げていけばミスのない演奏が出来るというわけだ。「ミスをするための練習」という言葉が気になり、自分の将棋の練習法の中にそれに値するものがあるかと考えたら見つかった。
それは詰将棋の解き方にあった。
詰将棋を解く、正解の他に必ずいくつか間違えている答えが出てくるわけで、これが「ミスをするための練習」だと思った。実戦においてはほとんど問題のない手だが中に数箇所うっかりミスがある。
これは詰将棋においていくつかミスがあるのと同じで、詰将棋を解く上での行為がそのまま実戦にも反映されてしまっている。
なのでまずは詰将棋でしっかり確認作業を身に付ける。
それがギターでいう、スピードを下げ最初から正しい演奏を心がけるに通じると思った。「ミスをするための練習」・・・問題編
ギターも趣味としておりYouTebe動画も上達に活用している。
そのなかで「ミスをするための練習」というのがかなり心に響いている。
どういうことかというと・・・・クラシックギターを使って古典音楽を演奏するジャンルがあるが、メロディからハーモニーまで全て自分1人でやるので、コードを弾きながら歌うのに比べかなり難しい。
ただし入門時からかなりのハイレベルまで曲がくまなくあるので練習曲にはことかかない。
これを自分のレベルを考えながら選んで練習するわけだが、ここで「ミスをするための練習」が始まる。
曲を弾きながら弾けない部分をどんどんなくして行く訳だが、それは同時に何度もミスを繰り返しているということにもなる。ではどうすれば良い?
ということで時間を少し置いて次は解決編を。
(もちろん将棋のサイトなので解決編ではこれを将棋に置き換えるつもりでここまで書いている)激指とのレーティング戦は棋力のぶれが少ないので自分の実力が測れるのが長所かと思います。
反面定跡に精通しているソフトで、何局か指すだけで序盤の進行が予想出来るようになります。
結果、序盤の進行に関しては予想通りとなり、ここは対人とくらべ圧倒的に楽だなと感じます。将棋倶楽部24で指したものをAIにかけるというのは王道ですが、1人感想戦としてどうなのか?というマイナス要素もあります。
この場合1人感想戦をしないというのは論外なのでするとして・・・・
形勢判断の評価値は教えてくれるし、こんな良い手があったも、ここでは詰みが生じていたもすぐに教えてくれる。
そしてそれを見て「そうだったのか」と対局中にわからなかったことがわかる。
でもそれだけ、わかったでおしまい。
自分で考えようとしない感想戦にどれほどの効果があるのか。
ここは大きな落とし穴だがそれに気付いていない人は案外多いように思う。馬鹿げたことをまじめに受け取って社内規定が作られたことに対し、そこは「仕方がない」と思うのですね。
たぶん他社のことなら「なんて馬鹿なんだ」と思うのでしょうけど。日本は他国と違いロックダウンが出来ないという。
でも本質のところでそれは違う。
ロックダウンをせざるおえなくなったらロックダウンが出来るように変える。
要するに自らが選んでいるわけなのだが、さもそれが自らが選んでいるわけではないような言い方をする。今朝の新聞に県内最多の9人死亡とあった、月曜日は少なく出る傾向にあるが死亡者については関係ないか。
全国の感染者が少し前に300万人に達した時、200万人から300万人までがたったの2週間だったという。
そういえば東京都、500人を越える超えないで騒いでいたのが現在は24000人あたりが目安だという。
(これって500人くらいで何とかなりそうだから、2万人超えたからで数字を出してきているだけ)
全国同じだけどそれだけ倍率が上がれば死者もどんどん最多を更新するのは当たり前だよな。
この感染率で毒性がデルタとほぼ変わらなかったら日本はどうなっていただろうと思うとぞっとする。
可能性としては当然あったわけだが、その可能性もあるとして危険をイメージしていた人がどれだけいただろうか。蔓延防止の効果の検証というけど、これだけ蔓延していたら飲食とか観光とか規制していても効果はほとんどないだろう。
ワクチン効果ものぞめない現在、感染が減少するとしたら感染者の数字に驚いて行動を自主規制する人が増えること。
この感染者数を見たら用心するのは当たり前で自主規制はなされているだろう。
問題は感染力がそれで1を下回るのかそれともまだ1以上なのか、そして蔓延してしまっているという現状。
わが市、わが県もデルタ時の平均からすると大体でその50倍くらいの感染者。
検証といっても難しくてわからないことが多いが、感染の危険度に関しては数字がはっりしているのでありがたい。東京都内の重傷者数は29人、国の基準だと546人だという。
先日の岸田総理は東京都の重傷者数を例にとって重症者の病床数は3.5%だと言った。
(だったら東京都は96,5%まだ空いていると捉えて構わないのか!!)
もちろん東京都の基準でとは言ったが、緊急事態宣言の検討に入っていない理由として都合の良い数字を持ち出しただけだ。
これが仮に緊急事態宣言を決めた場合ならは都の基準は持ち出さず、国の基準のみを持ち出したであろう。重傷者の定義も東京都と国ではまったく違い20倍ほどの差が出ている。
これから思うに重傷者といっても見方はそれぞれで、国の基準も国民がイメージしている重症度とは全く違う可能性もあり、20倍という数字のマジック同様本当のところは見えてこない。コロナで無症状というのも実態はどうなのか?
風邪のような症状が出て検査をしたら陽性だった、当然ながらこれは無症状ではない。
帰省などで無症状なのだが念のために検査をしたら陽性だった、これは少ないだろうがある。
無症状だが濃厚接触者となり検査したら陽性だった、これが一番多いだろう。
これを何と発表するかというと無症状の陽性者と発表する。
しかしそれは陽性が判明した時点で無症状だったというだけに過ぎない。
陽性が確認されてから2週間以上経ってどうだったのか、そういう判断の仕方ならば症状がどうだったのかはわかるが、そういう発表の仕方ではないからこれも本当のところはわからない。よく医療の立場とか経済の立場とかいうが、それぞれに都合の良いものを持ち出してきて持論をとなえたりする。
総合的にみて判断するなら良いけど、都合の良いものだけを持ち出して持論を展開しても仕方がないのに。>ワクチン2回で十分、3回目はあまり打つ必要性を感じません。
そうですか、私には不十分だから3回目を急いでいるように見えるが。
王将戦は藤井四冠の3連勝で渡辺王将にとっては厳しい状況になりました。
シリーズとしては接戦が多くどちらが勝ってもという感じですが、
接戦で最後までもつれ込んだら渡辺王将としては厳しいですよ、なのでその前にしっかり差をつけておかないと。
それが一方的に藤井四冠に振れてるという結果になっているように思います。「必死問題を解いているのが活きた」
練習の成果は勝ち負けの成績よりも肌感覚の方がよくわかるように思う。
先ほどの対局、終盤どう寄せるかだったが、単純に詰めろを考えるのではなく、必死がかからないかを考えた。
結果として必死をかける手が浮かんだが、必死がかかるかからないではなく、必死をかける手を探そうと出来たのが大きかったように思う。
最近必死問題にも取り組んでいて、その成果が出たなと思った。「実戦で生じた詰み局面を用いた独自練習」
詰みが実際の手順として現われるのは王様が詰まされるときしかないが、頭の中では何度も登場する。
自分の手番だとして・・・・・
①相手玉が詰むかどうか考える
②相手玉が詰みそうもなかったら自玉が詰むかどうかを考え、詰んでしまうようなら受ける
③自玉が詰まないと判断すれば相手玉に詰めろがかかるかどうかを考える
詰めろは相手が放置した場合即詰みが生じる状態であり、その詰み手順をしっかり読まなくてはならない。このように終盤では頭の中で詰む、詰まないを読まなくてはいけなく、そのトレーニングには詰将棋が最適かと思う。
ここで私の場合だが、詰むのか詰まないのかわからないというのが実戦ではよく生ずる。
それはある程度手数が長くなると局面が定かでなくなるわけで、ここを改善しようと現在トライしている。これには長めの手数の詰将棋に挑戦するのが効果的だと思うが、通常の詰将棋には妙手が含まれている。
その結果難易度は高めとなり、手数を追う訓練にはなっても中々答えを見つけ出せず苦労することになる。そこで、実戦で生じた詰み局面の問題集を解くことにした。
これなら平凡な手順が多く追いやすい。
とはいえ詰みまでの手順が長いので途中まで行くと局面が定かでなくなり苦労する。
(その為の訓練なので局面が定かでなくなるのは大歓迎なのだが)この時に練習の取り組み方として私的には2つの方法が考えられた。
ひとつは、普通に問題を解く中でなるべく長く先まで局面を把握できるようにトレーニングする方法。
これは至ってノーマルだが効果ガ出るまで時間はかかりそうだ。そこで2つ目の方法だが、なるべく早めに答えを見てその手順を頭の中で動かす。
この方法で毎日20問くらい答えを頭の中で動かしていれば効果があるのではと思ったりする。対局に置いての最終番はどちらの方が、詰む詰まないをよりはっきりわかっているかが大きい。
たぶん詰めろだろうと、わからないけど勘にまかせた手を、詰めろではないと読みきられて負けるというのはよくあることだ。ひとつの局面で詰む詰まないをしっかり読みきれるのはとても大きい。
もちろんプロ棋士でさえ同じなわけで読みきれない局面はある。
あくまでも現在の自分のレベルよりも少しでも上を、ということで考えている。「結果からの逆算が上達の為のキーワード」
将棋が上達するためのトレーニングメニューは沢山ある。
三大トレーニングといえば「実戦」「詰将棋」「棋譜並べ」いくら良いトレーニングメニューがあってもやらなければ上達はのぞめず論外といってよい。
ということでトレーニングメニューをこなすことが絶対条件だが、やれば果たして上達するのか?は大切だ。実戦が好きで毎日沢山対局しています、詰将棋を解くのが好きで毎日取り組んでいますという人は沢山いるだろう。
その中には「そのおかげで現在上達中です」という人もいるだろうが「全く上達していません」という人も多いかと思う。
上達していない人は「こなせば上達するというわけではない」ということが身にしみてわかるようになる。ではトレーニングメニューをこなしているにもかかわらず上達していない人達はどうすれば上達するのか?
同じことをやっていても上達はのぞめないのでトレーニングの内容を考えるのが大切になる。
「取り組む」→「結果を見てどうするか考える」ということになるが、上手く結果に反映されていない場合は試行錯誤でそれを繰り返すことになる。同じトレーニングメニューでも接し方内容を見直すというのもあれば、あまり取り入れてこなかったトレーニングメニューを取り入れるというのもある。
どんなトレーニング方法が良いのかは人によって違うが効果があったかなかったかは結果が教えてくれる。
(実際に行っているのなら「結果が教えてくれている」と思ってよい)玉の位置も書いてあった方がわかりやすい(書いてなくても多くの人は察しがつくだろうけど)
不可解な現象がいっぱいですね。
チャットに関しては自由対局でも会員なら自由に打ち込めるし、そうでない人でも定型文は出せるようになっているかと思います。
また対局はつながっているのに相手がログインしていないということはないと思います。
将棋道場から出ているのに通信はつながっているというのは考えられませんから。最近起こるようになった現象とのことですが、偶然にもそのようなことをする人とよく当たったのか?、それとも何かの不具合か?
相手からすると、こちらが投了なり切断しない限りはずっと差さないで待っていなくてはならない。
それよりもさっさと終わらせて新しく対局した方が良いけど、そうすると自分から投了なり切断をしなくてはならず、それも出来るならやりたくない。
そうなると、このような方法は選びにくい。
だとすれば何らかの不具合の可能性が大きくなる。
しかしこちらもかなり不可解で・・・・・コメントが出ると差さなくなるというのは極めて人間的で、不具合だったら、差すことが出来なくなると考えた方が方がよさそう。
となると、何故そんなコメントが自動的に出てしまうのか、出たら何故急に差すことが出来なくなってしまうのかという疑問が出てくる。
それも何故相手が不利になった時に限ってそういう現象が起こるのか、自分が不利な時には起きないのか。
と考えると、不具合ではなく相手の人がおこなっている可能性が強くなってくる。これらを合わせると、相手の人がおこなっているというのは、最近起こりやすくなった現象から見ても、相手の人も時間を無駄にするという点からみても不自然。
だったら不具合かといえば、何故相手の不利な局面になった時に限って起こるのかという点から見ても不自然。
でもタイムオーバーしても時間切れにならないことに関しては完全な不具合だし。ということで、中々説明のつかない不可解な現象です。
そうだ、「持将棋について」とありますが、実際は持将棋とは全く関係ないわけで、出てくるのが何故そのコメントになるのかも不思議ですね。
AIの評価値が映し出されるのは私も好きではないが、何がベストかを考えるなら、自分に取ってではなく観ている人全員が対象となるのは仕方がないところ。
AIの評価値が出てきてからは解説者も評価値を意識して話すようになったが、それ以前の解説者と視聴者の関係も同じようなもので、解説者の解説を信じていたのがAIの手順や形勢判断をより信じるようになったに過ぎない。
自分の頭で考えるにしても、解説者が予想手順を先回りして披露することが多く、先入観に捉われず読むことが出来る場面は少ない。NHK杯で解説者が「ここでこう差せば良かったのに」と言うと私なんかは「そうなんだ」と思ってしまう。
それを解説者が対局者達に感想戦でぶつけると、両者からその手は駄目だと烙印を押されることが時々ある。
一般視聴者からするとプロレベルの戦いは中々わからなく、その結果解説者の言葉に凄く影響を受けながら観るということになる。そこにAIの数値が加わったわけだが、大差の80%もあれば一手間違えば逆転の95%もあり、それはある程度の棋力があれば玉の危険度で判断できる。
また数値のみでしか判断出来ない人にとっても、急に大きく数値が変わることがあることを体験していけば驚き度も徐々に減少していく。
言い方を変えれば上手く評価値と付き合っていけるようになり、AIの評価値は評価値として人間同士の戦いは何が起こるかわからない、という見方になっていくということかと思う。仮に観戦防止の機能を作るとして設定をどうするか難しそう。
自分の将棋を観戦防止とした場合、対戦相手の将棋を観たいという人に対してはどうするのか?
対戦相手の意思にかかわらず自動的に観られなくするというわけにはいかないでしょう。
だからといって相手の方からなら観れるという風にすると、相手の方から入っていけば良いだけなので観戦出来てしまいます。
制限を個別にかければこの点は回避出来ますが、そんなことをされたらもっと怖くなる心配もしなくてはなりません。
ブラックリストは入れられても本人は気づきませんが、これだと自分がシャットアウトされたことがわかりますからね。タイトル保持者からすると藤井さんが挑戦者になられるのは嫌だろう、
しかし藤井さんに挑戦する方からすると、失うものは何もないわけだから、藤井さんに特化した作戦を考えぶつけるよいチャンスでワクワクするだろう。将棋の世界に盤石なんてない、女流棋界も里見、西山の2強時代で2人でタイトルを分け合っていたが、昨日加藤桃子女流三段が里見さんを破って清麗のタイトルを奪取した。
タイトル戦に出るような人達は相手がいくら強くても戦う前からあきらめるなんてことはない、いくら相手が藤井さんだろうが倒す力は持っているという自信の上で挑戦していく、それぐらいの気概がなくてはとてもトップにはたどり着けていない。豊島さんを「序盤中盤終盤と隙がない」と表現した名言があった。
トップ棋士の誰もが藤井さんを高評価しているが、この名言の後で語られてたように「でも負けないよ」という言葉が抜けてる。
強いのは認めた上で、それをどう倒すかというのが勝負の世界なので。卒業を自ら降りたのは時間数の不足で留年となる可能性が高かったからで、
では翌年なら卒業出来るのかといえば、忙しくなる一方でこの状態が続く限り卒業は無理と判断したからでしょう。義将は武将のタイプとして使われています(例えば知恵者の武将は知将とか)
ここでいう将はグループのリーダーで戦争だったら大将、中将、小将の将、
会社だったら社長、課長、係長の長のつく地位の人と思えばよいでしょう。義将は義理に厚かったり、正義感が強かったり、忠誠心が強いタイプの武将を指していると思います。
豪将からは豪快で腕力が強くスケールの大きさそうな武将が浮かんできます。ちなみに将棋には金将、銀将など将がつく駒があり、そこに金や銀の宝石を指す言葉がくっつけられていますが、金の将とはどんな将なのか?銀の将とはどんな将なのかと考えると意味はさっぱりわかりません。
(たぶん金将、銀将に言葉の意味を求めるのは野暮の人がすることで、粋な人はスルッとスルーするようなことなのでしょう)>え~何で18歳以下なんでしょう?これでは経済対策にならないと思うんですけどね・・・
それは経済対策が目的でも子育て支援が目的でもなく選挙に勝つのが目的だったから。
棒銀=>早繰り銀=>腰掛銀=>棒銀
これたぶん、棒銀には早繰り銀、早繰り銀には腰掛銀・・・という意味で書かれていると思うのだけれど、
ひと目、棒銀と早繰り銀だと棒銀が=だから互角、>だから大きいすなわち棒銀の方が有利と書かれているように見える。大体でこれは40年くらい前の話で、腰掛銀に対して棒銀を選択しても右玉にされて上手くいかないから棒銀を選択する人はほとんどいない。
腰掛銀には腰掛銀で相腰掛銀になるというのが普通。これが早繰り銀だと決まった形には中々ならず、早繰り銀だから腰掛銀で迎え撃つという考え方も今はたぶんない。
腰掛銀は相腰掛銀、早繰り銀は手将棋(力戦)、棒銀は出てこない。
34歩があるならkannjuさんの手順も正解だと思います。
解説でkannjuさんの手順に全く触れられていないとしたら完全な見落としなのではないですかね。
異なる手順でも成立してしまうのなら問題としても上手くなかったんじゃないかな。34歩がないと全く違ってしまうけど、受け手がより長く逃げるのが正解なら3四角でしょう。
ただこちらも最終手は4三角の他に3二角でも成立していそうなので、成立しているとなるとこちらも問題としては失敗作になってしまいそうです。
もっともこちらに関しては、そもそもそのような問題ではないわけですから失敗作もなにもないわけですが。必至は詰将棋と同じで、特に断りがなければ後手の持ち駒は残り全てだと思います。
23と43の桂打ちを同時に受けるには3四に角か銀だけど、仮に角を打ったとして
2三桂、同角、同角成で駒余りの必至ってことなんじゃないの?
ちなみに最終手から4二飛と受けるのは同金と取られて即詰みだから受けにならず手数には入らない。必至問題は細かいルールもよくわからないんだけど、5手必至とか7手必至というのは、
5手かけてあるいは7手かけて必至の局面に持って行くということなんだけど、
その手順がさけられないなら一番最初の場面で既に必至なんじゃないのかとも思えるわけでよくわからない。歌詞は1トピックにまとめて、例えばコロナを題材にしたらコロナのトピックでリンクを貼って歌詞のトピックに来てもらえばスマートですけどね。
(当然歌詞のトピックでも表示されるし、コロナからも来てもらえるし、ついでに他の歌詞も見てもらえるかもしれないし)
量が多いし違和感もありますからね、こういう意見が出てくるのは自然だと思いますよ。「一生モノ」
一生モノとは・・・・
「それは結果次第で一生使ったものが一生モノだ」この記事を見た時は笑ったが、将棋も上手くやれば一生遊べるほどに息の長いものになる。
自分がやる分には問題ないが、多くの人は見てもさっぱりわからない。
普及という面からするとこれがメチャクチャいたい。昭和50年 北の湖VS貴ノ花の優勝決定戦で貴ノ花が初優勝した時は大変盛り上がった。
しかし実力的には北の湖の方がかなり上だったので、こういう盛り上がりは瞬間的に何度か訪れるに過ぎない。
想定外の喜びは瞬間的には盛り上がってもブームは作れない。ブームを起こすにはスーパースターが必要なのだが、スーパースター自体は常勝なので勝っても話題にはならない。
藤井さんの三冠は予想通りと思った人も多いだろう、タイトルを取っても驚かれないが、それはスーパースターであることの証明でもある。
(こんなところで力説しなくてもスーパースターであることに異論がある人は少ないと思うけど)終盤、指しやすいと思われる局面でしたが、秒読みの中で9七桂から仕留めるという構想を描いていたのは凄すぎる。
将棋界を盛り上げるのは民衆であり、興味としてはコロナが余りにも強いので藤井フィーバーにはなりにくい。
三冠も既に竜王戦の挑戦が決まっているので通過地点、どこかでタイトル戦が絡まなくなり、一段落したところで総括的なフィーバーは起こるのでしょう。菅総理が総裁選不出馬を決めた理由ですが、コロナは体裁を作ろう為に持ち出したものに過ぎないでしょうね。
何故ならコロナに専念するのなら最初から不出馬でしょう、バタバタ動いたあげくの急転直下の不出馬で、
そこまでは出るつもりでいたわけで、それが急にコロナに専念しようと気が変わったなんてありえませんからね。岸田さんに3期までと宣言を出されてしまい慌てて自ら二階さんを切る意思を示した。
そんなバタバタが結果的にどんどん裏目に出て、気が付けば勝てる要素がない。
ならば落ちるよりも不出馬ということで選択したのでしょう。次期総理は一体誰になるのですかね、時期が来ればわかることだけど。
大きなニュースが入ってきました。
菅総理が自民総裁選に立候補しない意向とのことで・・・・
新しいフェーズに入ることになります。
女性棋士さん
満願解答とかいうのはどの目線から見た評価なの?
なにかをして悪くなったら酷評されるだろうが、酷評されるのは国民ではないから、国民がそんなことを心配する必要はないよね。
なので国民が「何もしないでくれかたら酷評されずに済みました」と安堵して、何もしなかったことを高評価することもないよね。
じゃあどこが酷評されるかといったら与党ですかね。
しかし何もしなかったらそれはそれで相当な酷評を受けることになるから与党だって満願解答と思うなんてありえないよね。平事だったら何かをして悪くなったらということはあるけど有事だからね。
このままでは駄目だという時は誰だって動くでしょ、結果として動いたがために余計に悪くなるということも当然あります。
だけど動かなかったが為に最悪の事態になる可能性だってあるわけで、結果はともかく有事の時は動く必要性に迫られます。
それが動かなかったことを高評価するなんて通常はないですよ、有事なんだから。愛知の野外フェスに関しては多くのメディアが取り上げており、主催者の対策の甘さやら、お願いベースやら色々言われておりその通りなんだけど・・・・・
メディアに対し共通して思うのは、実際に騒いでいる人達には中々方向が向かないよね。
たぶん「コロナなんて関係ないよ」という人たちが騒いでいて、騒いだ結果に対してペナルティが来ないから、フェスだけでなく色んなところで「コロナなんて関係ないよ」という行動を続けているんだよね。
対策がどうのこうのというけど、感染リスクの高い行為をしている本人のところには中々向いていないというのが何とも痛い。
個人に対してペナルティがかかれば全然違うんだけど、そこが難しいんだろうね。女性棋士さん
私が思うに・・・・・・
報道されているような情報がわかれば十分で、知らないユーチューバーの1意見は邪魔なだけ。
もっとも、女性棋士さんがこの人の考え方に賛同するとか反対するとかなら、この人の意見を聞かないことにはわからないわけですから必要になりますけど。リンクを貼るには貼るなりの理由があるわけですが、沢山の理由が推測される中で正解を探すのは難しい。
ゆえに「こういう理由だ」と決め付けない方が無難なわけで、結局は貼り付けた理由は本人のみ知るということになる。
「私は何も言いません、読んだ人が好きに判断して下さい」ということなら、重複するけど情報だけで十分、知らないユーチューバーの1意見は邪魔なだけだ。ヒグラシさん
書かれている総理という言葉が総理個人を指しているなら、個人のみの判断で出来るわけですがか凄い権限になりますね。
「私がロックダウンだといえばロックダウンなんだ、私がロックダウンではないといえばロックダウンではないんだ」ということですし、コロナ病院にしたって「私が作るといえば作るんだ、いらないといえばいらないんだ」という感じで、会社の上司の命令が絶対ならそうですよね。
これはメチャクチャ怖いことですけどね。これが政府主導での権限となるとまた話はかなり変わってきますけどね。
これとて政府の権限は絶対で地方自治体の方でNOと言える権限がないほどの差は駄目だと思いますけどね。総理個人でいえば一国のトップですからね、総理が「ロックダウンを選択出来る法整備が必要だ」と強く訴えていたら議論に入っていた可能性が高かったと思います、しかし否定的ですからね、だから未だに議論さえ行われていないんだと思いますよ。
良くも悪くも総理の考えというのは大きく反映される、そして実際に反映されているのが現状ではないですかね。「裏の裏は表、ではその裏は?」
「右あげない、左あげない、左あげないで右あげない」
「なんだ、結局のところみんなあげんのかいな」と思うような化かしあいで、こうなると何がなんだかわからなくなる。将棋には相手のまねをすると良い様な部分がある。
相手が囲うのならこちらも囲う、相手が攻めるのならこちらも攻める(相対性理論)
ところが・・・・・
昔の相矢倉は両者しっかり囲い合うと先手に先攻権が行くケースが多かった。
相手と同じことをやっていたのではまずいと思った後手は相対性を避け急戦をしかけるのが主流になった。
これが即効性理論で破壊力は凄ましく矢倉は絶滅の危機に陥った。
これではたまらんと主流だった6六歩型矢倉が消え、争点を消した7七銀型という「耐久性理論」に基づく指し方が主流となっていった。これは「現代将棋を読み解く7つの理論」のほんの一部で、色んな駆け引きの中で行われていることを断片ごとに説明している。
途中までしか読んでないが、裏の裏は表で、その裏は裏で、そのまた裏の裏はとたぶん一週廻って現代将棋は成り立っているのだろう。「と金」
少し上で初級者という言葉が初心者に変わりつつあるようなことを書いた。
そして「裏」についても書いたので、今回はこの2つをミックスしてみようと思う。野球、卓球、庭球、篭球・・・
そのまま使われるものもあれば横文字に置き換わったものもある。
何故に漢字でなければいけなかったのか、何故にカタカナでなければいけなかったのか。
たぶん、いけないなんてことはなかったのだろう、ただそちらが根付いたというだけのことなのだろう。
この辺りは初級者の初心者化に似ている、根付いていくものに理屈は通らない。歩が裏返ったのをと金という。
では何故と金というのだろう?
結果を先に書けば「裏の文字がとに見えるから」は誰でも浮かぶだろう。
だけど・・・・・
他の駒は何と呼ぶかといえば「成銀」「成桂」「成香」
この流れからいえば当然「成歩」だったことが考えられる。
それが「と」に見えて動きは「金」なのだから「と金」と呼ぶ人が出てきて、いつの間にかそちらが主流になったのではないかという予想は十分につく。
だって歩の裏だけ「と金」と呼ぶのは不自然だもの。「裏」
何ヶ月か前に、飲食店がテレビ番組にクレームをつけたという報道があった。
番組は突撃で飲食店に入りレポートするというもので、その日も突撃したわけだが。
実は・・・・・・
突撃と言いつつ事前に了解を取っていた。
その時に「突撃は構わないが、○○と△△の日はやめてくれ」と言われていたにもかかわらず、
駄目と言われた日に突撃したからだ。とまあこういうことだが、クレームがどうのこうのは今回関係ない。
突撃と銘打って実際に突撃はしているが、同時に事前に了解を得てから突撃するという裏の顔も持っていた。
実際のところこのように裏で手を回さないと番組のスムーズな進行は難しいのだろうが、裏は騙された感が出るので好きではない人が多いと思う。駒落ちには「二歩突き切り」と「銀多伝」という2つの優秀な定跡がある。
ただし銀多伝の方は優秀すぎて長い間門外不出だったと聞いている。
二歩突き切りという優秀な定跡の裏に、知られては困るもうひとつの定跡があったわけだ。表があれば必ず裏がある
今回裏定跡という言葉がタイトルに含まれる本が出るので、それにちなんで「裏」について書いてみた。
「初心者と初級者」
将棋には級という感覚があるので少ないとは思うのですが、
YouTobeを見ていると、どうみても初心者ではないのを初心者としているケースが目立ちます。
初心者の意味は「その道に入ったばかりで、まだ未熟な者。習い始め、あるいは覚えたての人」
私はこのままの意味で捉えていますが、例えば将棋に置き換えると、
「穴熊が得意で角交換振り飛車もやります、でもまだまだ弱い初心者です」みたいな。始めたばかりで右も左もわからない人がYouTobeの初心者という言葉に引き寄せられて来てみると、
例えばだけど「初心者が間違いやすい点」なんてのがあったりして
「初心者は最初美濃囲いから、ノーマル振り飛車から始めるのが理想」なんてのがあったりしてね。
これだと将棋を始めたばかりの人からすると宇宙語ばかりで、全くついていけないレベルなんだよね。これは本来初級者というべきところを初心者といってしまっているところに原因があるんだけど、
それが初心者という言葉に確実に置き換わってきているね。
ちなみに、それだったら従来の初心者の人はなんていうの?ってなるけど、しいていえば超初心者だよね。本来の意味と変わってきてしまって使いにくいし、見分けにくい、
そういうのが時々あったりするけど「初心者」という言葉もそうだね。
3年も5年もやってるけど弱いから初心者だという人がいたら「そんな初心者いるかい!!」と思うけど、
それでも初心者と見る時代が少なくともネット上では来てるね。「初心者は怖いパート2」
少し上で「20個の囲い方を覚えましょう」みたいなのに「素晴らしい」のコメントのオンパレードで初心者は怖いと書きましたが、今回もほとんど意味するところは同じです。
将棋に限らず、初心者は「ほとんど知らない」という特徴があるのでそれらしい言葉が並んでいると信じてしまう。
しかしそれがある程度知識を得たものとなると別で、自分の物差しで判断できるようになる。
で・・・・・自分で判断できるレベルの相手には結構自由にいうことが出来る、
何故なら、間違っていると思えば勝手に切り捨ててくれるから悪影響を与えないで済む。
ところが初心者は自分では判断出来ないからみんな受け取ってしまう、
なのでいい加減なことは教えられない(どんなことも受け入れられてしまうので責任が生じる)そんな、何でも信じてしまう初心者は怖い。
プロ野球にしろサッカーのJリーグにしろ人数制限があるにしろ観客が入っている。
それが感染に置いてどれくらい危険なことかといえば、まあ大丈夫なんだろうと思う。
だけど・・・・・
そういう観戦って不要不急じゃないじゃん。
そういう観戦はOKだけど不要不急の外出は控えてくれというのには無理があるでしょう。
(東京オリンピックは今しかなかったからまた別だったけど)
感染リスクがどれくらいかは置いといて、そちらも無観客にしないと感染抑止への必死さというのは伝わらないよね。
というよりも、余裕があるようにさえ見えてしまうよね。女性棋士さん
出かける人は出かけたいから出かけているだけだと思いますよ。
後は出かけるなりの理由が欲しいわけで、報道関係者や議員が出かけなくても他の理由をつけて出かけます。
理由はなんでもよいわけで便利に使われているだけに過ぎません。要請を守っているところがあるんだけど守っていないところもあるのでいくら頑張っても減っていかないというのが現実。
感染の抑止は国民へのお願いベース。
それでみんながお願いを聞いてくれれば良いのだが一部の人は聞き入れてくれない。
では聞き入れてくれない人に対してはどうしたら良いの?ということになる。
その答えとして店に時短を要請することで人流を抑制しようとする。
しかし外出したい人はなんだかんだと理由をつけて外出する。
外出するとどこかの店がやっていて賑わい、それが感染拡大に一役買うことになる。一番よくないのはお願いを聞かないで街に出向く人で、飲食店に関してはけしからんという類からやむにやまれぬまであるだろうから一概にはいえない。
開けてる飲食店が悪いのか、開いている飲食店を狙って出向く人が悪いのか。
普通に考えれば、お願いを聞かずに街に出向く人がいるからこんな状態になってしまっているじゃん、となるよね。今日の?の会議で個人の行動制限という提言が出たようで・・・・
個人的にはコロナだけ特別ということでやればよいとずっと思っているんだけど、
議論をずっと避けているのは、たぶん一度作ってしまうとコロナだけの特別ということには収まらないという危機感があるのでしょうね。
その辺りがどうなのか・・・・・
そこが大丈夫なら問題ないんじゃないかな。
だってほとんどの人は自主的に行動制限してるもの。ワクチンの安心に関しては2度接種したにもかかわらず感染するブレークスルー感染があるし心配な要素が色々あります。
だけどこういうのは、安心現象がどれくらいの規模で起こっているのか、心配現象がどれくらいの規模で起こっているのかであって、それらを総合的に見て判断するのが良いように思います。
例えばブレークスルー感染において、ワクチンを打っていて感染する確率と打っていないで感染する確率とで、打っている場合の方がかなり低くなるとすればそれは安心材料ですからね。ブレークスルー感染があるから感染しないということではないけど感染しにくくなるとしたら安心材料ではありますからね。コロナに関しては自分のことは自分で守るくらいしか手段がなく、周りをコントロールすることは出来ず、周りに対応していくしかない状況でね。
その時にコロナに関して何が安心材料になってくれるかというと今はワクチンしかないですからね。
それが全然安心なんか出来ないよとなると結構きついですよね、心のよりどころがなくなりそれでも生きていかなくてはいけませんから。
精神的にはきついでしょう。緊急事態宣言の発令を国に要望した。
要望が受け入れられたらどんなことをするのですか?と尋ねたら、
「今は特に何かをするということは考えていない、何かをしたいと思った時にすぐに出来るように国に要望した」何を言ってるんだ!!
緊急事態だから国に要望するんだろうが。
それを要請するほどに危ない状況なのに今は何もしませんって。国民にとって一番心配なのは感染が拡大していることで、明日はわが身という身近なところまで来てしまっていることです。
他人を見たら感染者だと思え、くらいまで来てしまっているという危機感はある。市が主催しているギター講座、将棋講座は休講、仕方がないことだしコロナでいえば安全材料だが週3回の講座がなくなると暮らしのリズムを作るのが大変。
代わりのものを作ってメリハリをつけないと。ワクチンを打つことの最大のメリットは安心感でしょう。
何製であろうが絶対安心なんてことはないわけで、それでも一定の安心感を与えてくれるのがワクチンの魅力だと思います。
感染対策はこれまでと同じとして、安心感を感じつつ暮らしていくか、不安要素をひきづったまま暮らしていくかですけどね。
何製であろうがワクチンにかわりはありませんからねえ。「詰将棋の功罪」
詰将棋が好きで、詰ろをかけておけば安全勝ちだったのに無理に詰ましに行って逆転負け、ということもあるでしょう。
こいいうマイナス面があるのは確かですが、「詰将棋をやった方が良いか?」「やらない方が良いか?」といったら100%に近い感じで「詰将棋はやった方が良い」と答える人が占めると思います。
詰将棋を解くことに関しては確かに罪となりえる部分はありますが、それを踏まえてもゆるぎないほどの圧倒的な功があると思います。
(詰将棋を解く時間を別の上達メニューに充てるというのはなしという前提ですけど) -
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