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第1番にはそんな面白い話もあったのですね。
第6番はシンプルながら詰めてみたいと思わせる美形で、
6三の駒が金ではなく成桂であることにも美くしさを感じます。
ただし実戦の終盤と捉えた時の美形であり、
パズルとしてみると、そのような要素はほとんどなく平凡ということになりますかね。どんな書き込みであれ、疑問を感じた人がその疑問をぶつけるのは普通にあることです。
そしてぶつける人にとっては当然ぶつける意味はあります(疑問部分が解消される可能性がありますから)私は、掲示板のように不特定多数が見ることが出来る場所は、いつどこからどんな内容の書き込みがあっても不思議ではなく、掲示板というのはそういう性質のものだと思っています。
それはそうと、私は不自然に思える書き込みがあると気になるからその部分について疑問を書き込むのですが、s789456123さんが書いたものに関しては、書き込むことを極力スルーするように心がけますので、これからは大丈夫だと思います。
>尚、スマホアプリを作成する時のルールとしては、そのスマホア
>プリのサイトに書かれている内容が「100%正しい」としか言いよう
>がないという事になります。だとしたら、大丈夫かそうでないかはそのサイトに書かれている内容次第であり、
仮にスマホ用の詰将棋を作るにしても、全く気にする必要がなくスマホ用ならOKだということはないでしょう。
そのスマホアプリのサイトに書かれている内容が「100%正しい」とするならば、大丈夫かそうでないかはそのサイトが決めるわけですから。タイトルを取れるかといえば9割の棋士は取れずに終わるからなあ。
私は既に4のそのままと答えており、理由は、二歩の反則は起こる仕様の方が良いが、
何もせずに魔法のように切り替わるわけではなく、現状のままでも不満度は低いと思われるからみたいなことを書いてますが・・・理想だけでいえばリアル対局に近づく方がよく、そちらを支持する人の方が多いと思いますよ。
切り替えるとここが良くなるあそこが悪くなる、他のサイトとの違いを出すとかではなく、
リアル対局に近づくのを望んでいる人の方が多いと思います。
その上でリアル対局ではジャッジしにくいことが24では自動的にジャッジできるとなればより理想です。詰将棋の初手といえば15年以上前ですが思い出が・・・
公民館の将棋講座に通っていたが年に一度「公民館まつり」があり、
その時は講座生ばかりではなく、狭い範囲ながら地域の愛棋家も参加しての将棋大会が開かれます。
その頃企画から運営まで任せられていたのが私で、
単に将棋の対局を行うだけでなく、詰将棋や次の一手問題を複数張り出し、
対局の間に考えて楽しんでもらうほか、私の持ってる棋書を100円で売るコーナーも設けていました。
それに加えてですが、対局前はNHKで放送されているのと同じシステムの次の一手名人戦もやっていました。
(事前に途中まで講座生同士で指してもらい終盤の局面で封じ手、本番は開封の後一手30秒)そんな中で行ったのが「詰将棋次の一手名人戦」で初手を当てるものでした。
初手が間違っていたのでは絶対に正解にはたどり着けないわけで、初手を直感で見つけるのはとても大切です。
直感を鍛えるのが目的ですからいじわるな問題はひとつもありません、筋さえ答えていけばほぼ正解です。
それに加え詰将棋そのものも最初は答えがすぐわかるような問題で、
不正解者が出るのを極力抑え、徐々に難易度を上げていきました。そんなことを行っていたわけですが、その時の「詰将棋次の一手名人戦」の次の一手名人に輝いたのが現加藤桃子女流三段(当時小学4年生だと思った・・・小学2年の時に指したのが縁で来てくれた)
両親も一緒に来てくれ、お父さんは元奨励会員で高校で将棋部の講師もされており、
これは良いアイデアだから将棋部でも取り入れると言ってくれたのが印象的でした。
(当時所属していた音楽団体のコンサートに3人揃って来てもいただいた)本番の対局の方で決勝に勝ち進んだのはその加藤桃子ちゃんと小学5年の男の子で小学5年の男の子が優勝しました。
ちなみにこの男の子も私がインターネットを通じて知り合った子で、高校時代に確か県名人を取ったような。詰将棋の初手というと、こんなことを思い出します。
ありがとうございます。
touma1さん
ここ2~3週間がひとつの山で、ここを上手くしのげれば感染の規模をかなり抑えられると言ってるのをテレビで聞きました。
(そう思っている有識者がかなりいるのかそうでないのかはわかりませんが)どさくさに紛れてですが、以前から個人的に聞いてみたいことがあったので・・・
touma1さんのレーティングですとネット以外ですとどれくらいの棋力になりますか?
段位ではわかりにくいので県レベルとか全国レベルとか。
touma1さん個人ではなくて、そのくらいの棋力の人達って世間ではどれくらいに位置してるのかを知りたくて。(掲示板でもありますし、答えにくかったら無視していただいて構いません)
第4局はプロ棋士になったばかりとはいえ、いきなりタイトル戦に登場している強豪ですからね、
第5局が勝負なのかなとみていましたが見事きめましたね。みんなで叫ぼう「1、2、3、アゲアゲ!!」
>この問題を初めて見た人が、皆で、少しずつ間違いを確認してい
>く過程で、(詰将棋としての)正解に辿りつける可能性はあると思
>っています中心部はここを受けて書いたものですが、
「もしもこのような方針でやっていくのなら」という前提で書いているわけで、それは読めばすぐわかるはずです。”ちなみに、みんなで協力してその人達の力だけで正解を探すということなら、
答えを知っている人が「それは不正解」というのは完全な助言にあたりますから言ってはだめです。”ここなどは一番わかるかと思いますが”みんなで協力してその人達の力だけで正解を探すということなら”と条件設定を書いています。
条件付きで書いてあるものに対して、そこの条件設定を無視したら会話にはならないですし、
条件設定を承知の上なら、司会者であろうと答えを知ってる人が「不正解」とか言ってたら、その人達の力だけで正解を探すということになってないというのはすぐにわかるはずです。
(それは、正解を知っている人の助言も借りて、です)これ以上書いても話がかみ合うとは思えないので、このやりとりはここで終えます。
難易度は、そもそもが現在の局面がどれくらいの難易度かですから、それ以外の局面の難易度は関係ないです。
この問題を詰まそうとしている(あるいはいた)人は、自力しか考えていない(あるいはいなかった)と思いますよ。
みんなで協力してというのは全く別の話ですし、実際に正解手をいわないで、
「みんなで正解手順を見つけましょう」とやったらとんでもないことになりますよ。
さりとて初手の正解手を言ってしまったら、その時点でもうみんなが協力して解くというのはなくなりますしね。ちなみに、みんなで協力してその人達の力だけで正解を探すということなら、
答えを知っている人が「それは不正解」というのは完全な助言にあたりますから言ってはだめです。>六夢Ⅱさんなら、どうですか?
書いてよいなら書きますが、私も一生かかっても詰ますことは出来ません。
一般アマチュアでしたらそれくらいの難易度かと思います。
それを承知で詰ますことに挑戦してもらう分には良いですが、
知らないで挑戦してもらうというのは余りにもと思ったので難易度に触れました。>時間はたっぷりあるので、じっくり考えてみてください。
ちなみにs789456123さんは自分ならどれくらい考えれば詰ますことが出来ると思いますか?
難易度ヒントには丁度良いかと思います。「新型コロナウイルスと学級閉鎖」
4月に小さいながらコンサートを予定している身としては他人事ではないわけだが・・・・
人が集まるところはそれだけ危険性が高いとして学校も渦の中心にいる。
テレビで専門家の何人かが2週間ほど学級閉鎖する案を出していたが私にはピンと来ない。
(専門家なのだからそれなりの考えがあるのだろうが)仮に2週間学級閉鎖をしたとしてそれで誰一人感染者がいなくなったとして(家族などからもうつらなかったとして)
その後は大丈夫なの?
普通に生活していればその後に誰かがコロナウイルスにかかる可能性は当然ある。
その時に授業を受けていればそこから広まって行く可能性はあるわけで、
そうなると2週間ではなくて終息が見えるまで危険だということにはならないの?異論についてはわかりました。
基本的な部分で書き方の問題なのかもしれませんが
冒頭の「作成した詰将棋に余詰が生じてはならない」、2月21日の書き込みの「余詰」があってはならない、
は違和感を感じます。
もしこの通りなら詰将棋に余詰があってはならないわけですから詰将棋ではなくなります。
世間一般の解釈というか取り扱いは、検討不十分で発表され、のちに余詰が発見された場合は
詰将棋作品であることには変わりないが完全作品から不完全作品へと区分が変更される。
結果として詰将棋作品の中には余詰のある作品も存在するというのが一般的な認識ではないかと思っています。「成・不成の非限定」に関しては、詰将棋のルールにそんなに詳しいわけではなく、
実際に問題を解いてる中で自然に身に付いた程度なので、細部の解釈に関してはそんなにこだわりはないように思います。ここでの異論って何なのですか?
今まで概ね90%以上の人が同意してくれるだろうと思っている事を書いてきた、
この場合の異論が10%(その他)に当たる側の解釈で、
異論が多そうというのは、同意してくれるだろうと思われる人が70%とか60%とかに減って
これよりも違う解釈をしている人が30%とか40%に増えているような現状にあるもので、
30%とか40%(その他)にあたる解釈が異論ということで良いのですか?将棋の対局は正解がないもの同士の戦い。
それに対し詰将棋は基本的にひとつのみ正解があるもの。
いくら不正解の側を持って正論をぶつけても正解にはかなわない。
それだけに正解は絶対王者だといえる。詰将棋ってすぐに正解が見つかれば不正解の手順は確認する必要がないのです。
ところが正解手順が見つからないと大変、
詰まない手順を確認しそれ以外の手順を探すという作業を繰り返すことになります。
正解手順が見つかるまで延々と。棋書のうちアマゾンで買える安価で気に入ったものをここ1年ほど毎週のように買っていました。
結果勉強するための資料は十分すぎるくらい十分、しかし覚えたいものが膨大に増えてしまいました。
しかしそんなに色々なものに手を出すのはとても無理でなので選別して絞るしかありません。以前米長永世棋聖が、年齢を重ねると駐車場に1台車を止めようと思ったら1台車を出さないといけないと言ってました。
新しく覚えようと思ったら何かを捨ててスペースを空けてあげないと中々覚えられないようになるということですね。私も囲碁を始めたいと思ったこともありましたが、最近は極力新しいものは入れないようにしています。
本当に入れたいものだけに絞らないと。映画以外は没後70年が原則ですね(没後50年だったものが1年位前に70年に変わった)
>ドラネコ録画中さん
結果よりも終わった後にどう思うかが重要なんでしょうね、
やり切った満足感に浸れたら良いですね。将棋を楽しむのに感想戦が必要かといえばそうではありません、なくても楽しめているから感想戦をやらなくなっていったと捉えるのが普通でしょう。
そんな中で、感想戦をしたいと思った時にすぐ出来る環境にあればよいですが、残念ながらそうではないというのが現状かと思います。
(将来的希望も現状のままでは持てない)新ルール関係について私も自分の意見を書きこむことがありますが、私の場合はそれ以上のことはありません。
今回の場合ですと24の機能ですが、それが良いのか悪いのかなんて関係ないです。
自分が良いと思い、本当に実現させて欲しいと思うのなら、席主に直接メールすれば良いわけで、
あの人がああ言った、この人がこう言った、このトピックではこういう結論になったなんて関係ないです。
自分はこう思う、何とか実現させたい、だから席主にメールする、という感じです。>感想戦 □希望 □不要」なんて機能が欲しくなります。
素晴らしいアイデアですね、絶対に必要な機能だと思います。
話は違いますが、対局が終わってしばらく待つは、自分が挨拶をした後に時々起こったりします。
それは相手の方がまだ挨拶をされておらず待ってる時間ですが、
自分の挨拶が済んだから去るのではなく、両者挨拶が終わって終了というのは心がけています。>予選で僅差で敗れた対局者が報われません
僅差で敗れるという現象をなくすことは無理です。
野球の10対9 40番目までは合格で41番以下は不合格、僅差で敗れた方が報われませんが仕方がないです。>最低対局数は必要だと思います
マイナス面がなければ設けても良いかと思いますがあまり効果はないように思います。
2つの意味が考えられますのでそれぞれに書きますが、
単に最低対局数が必要だと言ってる場合は、最低対局数を設けても指さない人は指さない。
最低対局数に足りてない人は予選通過が出来ないと言ってる場合は、最低対局数に満たない人が予選を通過できているかといえば現状でも通過は難しいと推測される。
ならば最低対局数を高い位置に設定すれば良いのではとなるが、それだと最低対局数をクリア出来ない人が沢山出てくる可能性が起きてくる、そうなると最低対局数をこなせるかどうかが境目になってきてしまう。
低く設定すれば効果はなく、高く設定すれば別の危険性が生まれる、そうなるとどうしても低めに設定することになり、結果として効果はほとんど期待できない。30秒程度で解けたというのは凄いですね、
ちなみに詰将棋の最高峰である看寿賞受賞作品で伝説の3手詰ということで知られています。1:この詰将棋を知っている
「新たなる殺意」
別トピックで超難問3手詰を取り上げたのですが、
どうも違うなあと思い捜しましたら見つかりました。
(角のラインのイメージだけが残っていた)別トピックに挙げたのはメチャクチャ面白い、
対してこちらは本当に難しい。#18589
変更案についてはわかりました。
ちなみに、いかがなものかは異議の部分、もっとシンプルな方がは具体的な提案部分というイメージで書きました。
論議ということでわかりました。
感じとしては論議することが目的ではなく、異論があれば言ってくれればそれに答え、そのやりとりが結果として論議ということになるということですかね。
そして異論の内容については、現在の認識は○○だがそれはわかりにくいからいかがなものか、もっとシンプルでわかりやすいようにした方が良いのではないかというような異論ではなく、現在の認識がここに書かれていることとは違うのではないかというような異論ということで良いですかね。論議で間違いないの?
>このトピックでは、ルールに関して現在妥当だと多くの人に思わ
>れている内容について論議していきたいと思っています。これがこのトピックの主旨だとずっと認識しているのですが論議ということで間違いないのですかね。
ちなみに論議の意味は
「問答・討議によって理非を明らかにしようとすること。問題の点について議論を戦わせること。議論。」
(討議・・・その問題について結論を出すため、互いに意見を出して是非を検討しあうこと)いまやってるのは、論議が出来るようになるための最低限の勉強であり論議はまだ始まってないし論議する題材もまだ出てはいないということで良いのですかね。
現在のルールについて論議するというのは、ルールそのものの是非について互いに意見を出しあい検討するということですがそんな感じでもないし。この辺りはどうなんですかね。
「ONとOFF」
トレーニングは長くやれば良いというものではない。
それよりも短時間で効率よくビシッと決める、それが大事かと思う。その点からすると私が書いているのは1話完結の短編小説のようなものだが、
思いつくまま書いているだけでだらだら感が半端ではない。
ここまで書いてきてまだ1割も出してないように思うが、出せば良いというものではないし第一きりがない。ということでここはOFFが大事かと思う。
「全ては指将棋のため」
棋書を読む、詰将棋を解く、その他将棋関係全般、
私に取ってそれらは全てが将棋上達の為ではないが、トレーニングという意味合いをかなり多く含んでいる。
ゆえにもしも上達に関係ないとするならば行うかと問われれば、行わないと答えるようにも思う。
それよりも他のものを選択してそちらを有効にと思うだろう。それらトレーニングの全てが発揮されるのが対局。
なのに単純なミスをする。
そんな時に、何のためにトレーニングをしているのだろうと思う。
このような将棋を指しているのなら、対局だけ楽しんで将棋のトレーニングはせず他に有効利用するべきだと思う。ちょっとくらい将棋が上達していったいそれが何になるのだという思いもある。
その点に置いては全く解決していないが、トレーニングに費やす全ての時間が指将棋のためだということはわかっている。「長編」
ある大物推理作家は話を膨らましすぎて、新幹線の車両の窓から売り子の弁当を買うという設定になってしまったこともあるそうな。
書いている本人も収集がつかなくなってしまったのですね。「振り飛車には角交換」も「振り飛車から角交換」になってかなり経ちますが、
時代と共に色んなことが変わっていき、今は何でもありのグチャグチャの時代でわけがわからないですね。勝負に置いてわけのわからないグチャグチャな状態はどうなんですかね。
一見するとグチャグチャだから力勝負の人が有利にも思えるけど、
それをしっかり整理出来る人が勝つのですかね。「超難問3手詰」
かなり以前にトライした作品だと思う、
超有名な3手詰だが改めて見ると、詰みそうで詰まなそうで絶妙。ちなみに難しい作品はその割には誤答が少ないように思う、誤答が多いのは簡単に詰んだように見えてそれがワナだったというケース。
「負けず嫌いにも色々なタイプが・・・・」
まずは将棋のように勝敗がつくものには手を出さず、どんな屁理屈だとしても自分の負けを認めないタイプ。
将棋は指すが自分より弱い人としか差さないタイプ。
弱い人に対し駒を落としてあげるが、二枚落ちあるいは四枚落ちで互角なのに飛車落ちで戦うタイプ。
常に自分と互角の相手と戦っており、負けず嫌いゆえにどんどん強くなっていくタイプ。
「モーツァルト、ベートーベン、バッハ」
中原永世棋聖、加藤一二三九段、青野照一九段はクラシック音楽の愛好家として有名です。
それは単に趣味のためだけではなく、幅を広げることが勝負に良い影響を与えるとも思っていたようです。クラシック音楽の3大巨匠といえば上の3人、名前だけでは何がなんだかわかりませんが音楽を聞くと明確な特徴があって面白いですよ。
モーツァルトは音楽を自由自在に操るもじどおり天才、次から次へと新しいメロディが登場します。
対してベートーベンは職人、同じメロディが何度も出てきてしつこい。
バッハはこの二人より少し前の時代の人ですが音楽としてはこの差がメチャクチャ大きい。
和声音楽(和音で作る音楽)がまだ確率出来ていなかったので対位法という高音と低音で2つのメロディを同時に奏でているのが特徴です。「対局の反省」
2日ほど前、将棋のライブ中継での解説者の言葉だったか、棋書に書いてあったのか良いことを教わりました。
「反省は24時間以内に行え」
そうでないとぼやけちゃって駄目なんでしょうね、コンパクトに、メリハリをはっきりさせていかないと。
昔は新手で3ヶ月は持つといわれてましたが今は新手一勝の時代ですし、世の中みんな高速で回っていますからね。
情報は有り余るほど有り、そうなると選択が大切、選択してもまた沢山の情報にかかわっていかなくてはいけないから、
結論は早く出して、切り替えて次のことをこなしていかないと。そういえば私のも似ている、つぶやいたらその時点でおしまいで気持ちは既に次に向っている・・・という感じが多い。
「勝つと・・・・・」
年に数回くらいしかありませんが、トーナメント対局している最中に感想戦の声が聞え、
勝った側が偉そうに「あなたのは将棋ではない」といわんばかりの指導をしていることがあります。
それが、相手の方がかなり弱いのは確か、将棋になってないのも確かで、誰と誰が戦ってたのかでその辺りは盤面を見なくても容易に想像がつきます。それで指導が適切なら良いのですが、相手の棋力も考えず言うから一人相撲状態なんですね、
そんなことをこの棋力の人に言っても無理でしょうというのを平気でやってるんです。もちらん相手のレベルまで落としてる方が圧倒的に多いのですけどね。
稀にあるんです。「感想戦の苦い思い出」
もう30年くらい前のことで、苦くも勉強になったことがある。
私より1~2段強い人と、それよりもっと強い人が感想戦をしていた(年齢も20才くらい私より上)
この二人は仲がよく1~2段強い人がそれよりもっと強い人に教えてもらっている感じでした。
感想戦をたまたま見ていた私が、たぶんたまたま良い手も見つけたのでしょう、一言それを言ったら、
普段物静かな1~2段強い人に「お前は黙ってろ」と一喝されました。自分より強い人の指摘なら「なるほどそうですね」となるか、自分より弱く、年齢も低く、しかも外野から言われたのではカチンと来るのも無理はないです。
同じ言葉でも、言って構わない人、言ったら相手を怒らせてしまう立場の人がいるんだということを身をもって体験しました。よくいう「あなたには言われたくない」というやつです。
「冗談」
毎週行ってる将棋講座のトーナメント戦、年間だと70人以上が入れ替わり来る、
そうなると感想戦にも冗談が入ったりするが・・・・・友達が、感想戦で冗談を言ったら真に受けられて本気で怒って来たと、
冗談でいったのに冗談が通じない相手のことをどうしようもないみたいに何度か言ったことがある。
その場合、冗談が通じない方が悪いのか?冗談を言った方が悪いのか?私としての結論は簡単、冗談を言った方が悪い。
冗談も相手に通じなければ冗談ではなくなるわけで、当然そこは相手を見た上で言わなければならない。
それは誰でも行っていることであり友達も行っている。
ただし相手のことを見誤るとそのようなことが起こる、相手のことがわかってなかったからということになる。「▲7六歩△3四歩▲7五歩」
今年になって多用している出だし、奇をてらわずそれでいていきなり自分の世界に誘い込み4手目にして相手の方針を問う。
10年前のある棋書にはここで5つの手があると書かれている。
△8四歩 △6二銀 △4二玉 △5四歩 そして裏技的な手だが△8八角成
これが10年前までの石田流への主流の対応。それがわずか10年の間に△3五歩が出、△1四歩が出、△4二飛が出た。
それも△1四歩はプロ間では主流に位置し△4二飛は角交換相振り飛車という新しいジャンルを生み出した。自分の世界に誘う込もうとした時、相手の選択肢があまりにも多く、しかも従来の知識だけでは支えきれない。
いえいえ
3五に玉型の歩を置けばその筋はなくなりますが、それはそれでダサくなっちゃいますね。
1一に香車がない場合は1二金が発生して駄目と書いてありました、美的にはこちらかなと思いましたが残念
kannjuさん
作品の感想を簡単に2つ
①初形が解いてみたい意欲をかき立てられて良い。
②1一香がいないと実戦型というイメージが若干弱まるが、香車が持駒で問題なければ初手は空成りの方がカッコ良いと思う。
(ぱっと思っただけなので問題があるかないかはわからない)3月7日の最終戦2局を残した段階で現在三段リーグ3位
もしかしたら誕生するかも。「名人に定跡なし」
同じ手でも名人が指したのとそこらのアマチュアが指したのとでは全く評価が違うということが稀に起こりますね。
名人ですと水面下に置いて深い読みがあってのことだと推測出来ますし、アマチュアに置いても逆の評価として推測できますからね。
これは将棋に限ったことではなく、言葉などでも誰が言ったのかで重さは全然違ってきますね。「4八金 2九飛型」
角換わり腰掛け銀においてAIの影響で爆発的に広まった戦型ですが、この形は将棋を変えましたね。
相掛かり、横歩取り、対振り飛車、振り飛車で用いられるのですから、主な戦法のほとんどに用いられてる感じです。
やはりバランスが抜群なのですね。「将棋のルール(規定)」
将棋にはルールがありますが、プロ棋戦においては日本将棋連盟が決めており、アマチュアはその良いとこ取りで使っている感じですね。
アマチュアが使うものに持将棋関係の27点法というものがありますが、アマチュアはこの方法でやらなくてはいけないということではないですね、全てのアマチュアに課せられた共通したルールというのはないと思います。
例えばアマチュアが2人で将棋をする場合、待ったしても2歩しても、途中で盤を先後反転させても、両者合意の下なら良いのですね。
テレビの企画ですと途中でプロ棋士のアドバイスが受けられるシステムがあったりしますが、その辺りも自由に好きなようにして問題ないのですね。プロの公式戦は日本将棋連盟のルールということですが、日本将棋連盟が全て決めてるかというとそうではないですね。
持ち時間、勝ちあがっていくシステムなどは主催者が自由に決めて良いのでしょうね。全てにおいてルール化されているというわけではなく、当然ルールとなってない状態が起こることもありえますね、その時の為にタイトル戦には立会人がいたりします。
ルールがあるから絶対にルール通りかというと稀ですがルールを跳び越した判断が下されることもありますね。
タイトル戦で千日手、持将棋で指し直しになった時、規定では即日指し直しであっても、立会人と主催者との協議で日を変更して行った方が良いとの判断に至ったことも過去にあったように思います。 -
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