フォーラムの返信が作成されました
-
作成者投稿
-
論議ということでわかりました。
感じとしては論議することが目的ではなく、異論があれば言ってくれればそれに答え、そのやりとりが結果として論議ということになるということですかね。
そして異論の内容については、現在の認識は○○だがそれはわかりにくいからいかがなものか、もっとシンプルでわかりやすいようにした方が良いのではないかというような異論ではなく、現在の認識がここに書かれていることとは違うのではないかというような異論ということで良いですかね。論議で間違いないの?
>このトピックでは、ルールに関して現在妥当だと多くの人に思わ
>れている内容について論議していきたいと思っています。これがこのトピックの主旨だとずっと認識しているのですが論議ということで間違いないのですかね。
ちなみに論議の意味は
「問答・討議によって理非を明らかにしようとすること。問題の点について議論を戦わせること。議論。」
(討議・・・その問題について結論を出すため、互いに意見を出して是非を検討しあうこと)いまやってるのは、論議が出来るようになるための最低限の勉強であり論議はまだ始まってないし論議する題材もまだ出てはいないということで良いのですかね。
現在のルールについて論議するというのは、ルールそのものの是非について互いに意見を出しあい検討するということですがそんな感じでもないし。この辺りはどうなんですかね。
「ONとOFF」
トレーニングは長くやれば良いというものではない。
それよりも短時間で効率よくビシッと決める、それが大事かと思う。その点からすると私が書いているのは1話完結の短編小説のようなものだが、
思いつくまま書いているだけでだらだら感が半端ではない。
ここまで書いてきてまだ1割も出してないように思うが、出せば良いというものではないし第一きりがない。ということでここはOFFが大事かと思う。
「全ては指将棋のため」
棋書を読む、詰将棋を解く、その他将棋関係全般、
私に取ってそれらは全てが将棋上達の為ではないが、トレーニングという意味合いをかなり多く含んでいる。
ゆえにもしも上達に関係ないとするならば行うかと問われれば、行わないと答えるようにも思う。
それよりも他のものを選択してそちらを有効にと思うだろう。それらトレーニングの全てが発揮されるのが対局。
なのに単純なミスをする。
そんな時に、何のためにトレーニングをしているのだろうと思う。
このような将棋を指しているのなら、対局だけ楽しんで将棋のトレーニングはせず他に有効利用するべきだと思う。ちょっとくらい将棋が上達していったいそれが何になるのだという思いもある。
その点に置いては全く解決していないが、トレーニングに費やす全ての時間が指将棋のためだということはわかっている。「長編」
ある大物推理作家は話を膨らましすぎて、新幹線の車両の窓から売り子の弁当を買うという設定になってしまったこともあるそうな。
書いている本人も収集がつかなくなってしまったのですね。「振り飛車には角交換」も「振り飛車から角交換」になってかなり経ちますが、
時代と共に色んなことが変わっていき、今は何でもありのグチャグチャの時代でわけがわからないですね。勝負に置いてわけのわからないグチャグチャな状態はどうなんですかね。
一見するとグチャグチャだから力勝負の人が有利にも思えるけど、
それをしっかり整理出来る人が勝つのですかね。「超難問3手詰」
かなり以前にトライした作品だと思う、
超有名な3手詰だが改めて見ると、詰みそうで詰まなそうで絶妙。ちなみに難しい作品はその割には誤答が少ないように思う、誤答が多いのは簡単に詰んだように見えてそれがワナだったというケース。
「負けず嫌いにも色々なタイプが・・・・」
まずは将棋のように勝敗がつくものには手を出さず、どんな屁理屈だとしても自分の負けを認めないタイプ。
将棋は指すが自分より弱い人としか差さないタイプ。
弱い人に対し駒を落としてあげるが、二枚落ちあるいは四枚落ちで互角なのに飛車落ちで戦うタイプ。
常に自分と互角の相手と戦っており、負けず嫌いゆえにどんどん強くなっていくタイプ。
「モーツァルト、ベートーベン、バッハ」
中原永世棋聖、加藤一二三九段、青野照一九段はクラシック音楽の愛好家として有名です。
それは単に趣味のためだけではなく、幅を広げることが勝負に良い影響を与えるとも思っていたようです。クラシック音楽の3大巨匠といえば上の3人、名前だけでは何がなんだかわかりませんが音楽を聞くと明確な特徴があって面白いですよ。
モーツァルトは音楽を自由自在に操るもじどおり天才、次から次へと新しいメロディが登場します。
対してベートーベンは職人、同じメロディが何度も出てきてしつこい。
バッハはこの二人より少し前の時代の人ですが音楽としてはこの差がメチャクチャ大きい。
和声音楽(和音で作る音楽)がまだ確率出来ていなかったので対位法という高音と低音で2つのメロディを同時に奏でているのが特徴です。「対局の反省」
2日ほど前、将棋のライブ中継での解説者の言葉だったか、棋書に書いてあったのか良いことを教わりました。
「反省は24時間以内に行え」
そうでないとぼやけちゃって駄目なんでしょうね、コンパクトに、メリハリをはっきりさせていかないと。
昔は新手で3ヶ月は持つといわれてましたが今は新手一勝の時代ですし、世の中みんな高速で回っていますからね。
情報は有り余るほど有り、そうなると選択が大切、選択してもまた沢山の情報にかかわっていかなくてはいけないから、
結論は早く出して、切り替えて次のことをこなしていかないと。そういえば私のも似ている、つぶやいたらその時点でおしまいで気持ちは既に次に向っている・・・という感じが多い。
「勝つと・・・・・」
年に数回くらいしかありませんが、トーナメント対局している最中に感想戦の声が聞え、
勝った側が偉そうに「あなたのは将棋ではない」といわんばかりの指導をしていることがあります。
それが、相手の方がかなり弱いのは確か、将棋になってないのも確かで、誰と誰が戦ってたのかでその辺りは盤面を見なくても容易に想像がつきます。それで指導が適切なら良いのですが、相手の棋力も考えず言うから一人相撲状態なんですね、
そんなことをこの棋力の人に言っても無理でしょうというのを平気でやってるんです。もちらん相手のレベルまで落としてる方が圧倒的に多いのですけどね。
稀にあるんです。「感想戦の苦い思い出」
もう30年くらい前のことで、苦くも勉強になったことがある。
私より1~2段強い人と、それよりもっと強い人が感想戦をしていた(年齢も20才くらい私より上)
この二人は仲がよく1~2段強い人がそれよりもっと強い人に教えてもらっている感じでした。
感想戦をたまたま見ていた私が、たぶんたまたま良い手も見つけたのでしょう、一言それを言ったら、
普段物静かな1~2段強い人に「お前は黙ってろ」と一喝されました。自分より強い人の指摘なら「なるほどそうですね」となるか、自分より弱く、年齢も低く、しかも外野から言われたのではカチンと来るのも無理はないです。
同じ言葉でも、言って構わない人、言ったら相手を怒らせてしまう立場の人がいるんだということを身をもって体験しました。よくいう「あなたには言われたくない」というやつです。
「冗談」
毎週行ってる将棋講座のトーナメント戦、年間だと70人以上が入れ替わり来る、
そうなると感想戦にも冗談が入ったりするが・・・・・友達が、感想戦で冗談を言ったら真に受けられて本気で怒って来たと、
冗談でいったのに冗談が通じない相手のことをどうしようもないみたいに何度か言ったことがある。
その場合、冗談が通じない方が悪いのか?冗談を言った方が悪いのか?私としての結論は簡単、冗談を言った方が悪い。
冗談も相手に通じなければ冗談ではなくなるわけで、当然そこは相手を見た上で言わなければならない。
それは誰でも行っていることであり友達も行っている。
ただし相手のことを見誤るとそのようなことが起こる、相手のことがわかってなかったからということになる。「▲7六歩△3四歩▲7五歩」
今年になって多用している出だし、奇をてらわずそれでいていきなり自分の世界に誘い込み4手目にして相手の方針を問う。
10年前のある棋書にはここで5つの手があると書かれている。
△8四歩 △6二銀 △4二玉 △5四歩 そして裏技的な手だが△8八角成
これが10年前までの石田流への主流の対応。それがわずか10年の間に△3五歩が出、△1四歩が出、△4二飛が出た。
それも△1四歩はプロ間では主流に位置し△4二飛は角交換相振り飛車という新しいジャンルを生み出した。自分の世界に誘う込もうとした時、相手の選択肢があまりにも多く、しかも従来の知識だけでは支えきれない。
いえいえ
3五に玉型の歩を置けばその筋はなくなりますが、それはそれでダサくなっちゃいますね。
1一に香車がない場合は1二金が発生して駄目と書いてありました、美的にはこちらかなと思いましたが残念
kannjuさん
作品の感想を簡単に2つ
①初形が解いてみたい意欲をかき立てられて良い。
②1一香がいないと実戦型というイメージが若干弱まるが、香車が持駒で問題なければ初手は空成りの方がカッコ良いと思う。
(ぱっと思っただけなので問題があるかないかはわからない)3月7日の最終戦2局を残した段階で現在三段リーグ3位
もしかしたら誕生するかも。「名人に定跡なし」
同じ手でも名人が指したのとそこらのアマチュアが指したのとでは全く評価が違うということが稀に起こりますね。
名人ですと水面下に置いて深い読みがあってのことだと推測出来ますし、アマチュアに置いても逆の評価として推測できますからね。
これは将棋に限ったことではなく、言葉などでも誰が言ったのかで重さは全然違ってきますね。「4八金 2九飛型」
角換わり腰掛け銀においてAIの影響で爆発的に広まった戦型ですが、この形は将棋を変えましたね。
相掛かり、横歩取り、対振り飛車、振り飛車で用いられるのですから、主な戦法のほとんどに用いられてる感じです。
やはりバランスが抜群なのですね。「将棋のルール(規定)」
将棋にはルールがありますが、プロ棋戦においては日本将棋連盟が決めており、アマチュアはその良いとこ取りで使っている感じですね。
アマチュアが使うものに持将棋関係の27点法というものがありますが、アマチュアはこの方法でやらなくてはいけないということではないですね、全てのアマチュアに課せられた共通したルールというのはないと思います。
例えばアマチュアが2人で将棋をする場合、待ったしても2歩しても、途中で盤を先後反転させても、両者合意の下なら良いのですね。
テレビの企画ですと途中でプロ棋士のアドバイスが受けられるシステムがあったりしますが、その辺りも自由に好きなようにして問題ないのですね。プロの公式戦は日本将棋連盟のルールということですが、日本将棋連盟が全て決めてるかというとそうではないですね。
持ち時間、勝ちあがっていくシステムなどは主催者が自由に決めて良いのでしょうね。全てにおいてルール化されているというわけではなく、当然ルールとなってない状態が起こることもありえますね、その時の為にタイトル戦には立会人がいたりします。
ルールがあるから絶対にルール通りかというと稀ですがルールを跳び越した判断が下されることもありますね。
タイトル戦で千日手、持将棋で指し直しになった時、規定では即日指し直しであっても、立会人と主催者との協議で日を変更して行った方が良いとの判断に至ったことも過去にあったように思います。「趣味将棋といえど色々」
「見る将」という言葉がありますが、指す将棋に関しては強くても、
この前○○棋士と△△棋士が戦ってどうなったというような情報には疎い人もいますね。
ある掲示板ではほとんどがこのような情報で盛り上がる、
かと思えば24掲示板ではプロ棋士の話題はまあ出てきませんね。指将棋に興味がある人がプロ棋士の情報を知らなくても問題ないし、
見る将が駒の動かし方がわからなくても良いんです、それで楽しめているなら。
知っていればより楽しめるにせよ、だからといって知る必要もないのです。ただしひとつの掲示板として見た場合は人材が不足しているなと思います。
将棋をテーマとした題材が100くらいあったとして、ひとつの掲示板で常時扱われている題材は私の感覚としては5つくらい。
もっともテーマを出しても発展しなかったから現在に至っているわけで、
逆を言えば、一口に趣味が将棋といっても幅が広く、興味があるのはその一部分ということなんですけど。詰将棋の作品価値というか評価は私には良くわからないのが沢山あります。
手順を見ただけでわかる特徴的なものは大丈夫ですが、そうでないのはわからないですね。
それが詰将棋に特化したプロ棋士が高評価を下すわけで、そういうのは詰み手順をなぞるだけでは駄目ですね、
自力で解けるほどの棋力がないと作品価値はわからないように思います。詰将棋に置いての最終手、これは複数手存在してても問題はなく完全作ということになっている。
ただし将来のことはわからない、最終手も1つのみとなり不完全作扱いにされるかも知れない。
そのわからない将来のことは置いといて、その観点から現在を見つめてみる。その詰将棋作品が作られた当時は現在のような規定がなく、ゆえに完全作だったものが、
のちに新たに作られた規定により、その規定に触れ不完全作扱いになる。
これが現状だと思うのですが、これは最初に書いた将来新たな規定が出来、完全作として作られたものが不完全作扱いになるかもしれないと同じことが起きており、実際に不完全作扱いにしてるんですね。その作品が作られた当時、そのような規定がなかったとすれば、不完全作とされることに作者は納得出来ないでしょうね。
不完全ということは不備があるということですが、当時の規定では不備はなかったわけですから。それもシンプルで良いと思う。
あれがどうなのこれがどうなの説明しなければわからないようなものはその作り自体が良くないと思う。
こういうのは人の問題でシステムをいじっても無理。
例えば私が平手で羽生さんに一生勝てなくても羽生さんの方は負けたければ投了すれば良いだけだから簡単に出来る。
もっといえば勝とうとすれば簡単に出来るし負けようと思っても簡単に出来る、結果として好きな勝敗に持ってくことが出来る。
これをレーティング戦に置き換えるなら例えば1500点の棋力の人がいたとしたら、1000点でも500点でも300点でもどこにでも自由自在に持ってことが出来る、これに関してはどうしようもない。24名人戦の枠組みの決め方ならシンプルでもっと良い方法がある。
全ては結果すなわち順位なのだから順位だけで判断すれば良いのよ。
例えばだけど・・・・
40人枠だと1位から40位までが出る、そしたら20番を+10に21番を-10にし、そこから順位ひとつごとに±10が生じるようにする。
1位だった人は次回は+200の点数の枠組みに入るし-200はそれだけ下の枠組みに入る。
(ちなみに41人枠だったら21番目が±0になる)
実際は20位までは決勝リーグに行くからそちらの順位が反映されることになるけど。沢山指せる人の方が有利で少ない人は不利、棋力が高い人の方が有利で低い人の方が不利、
その他色んな有利不利があったとしてその全てが反映されたものが順位なのだからこれ以上公平なものはない。
だからその順位で次回の枠組みを決めていけばいいのよ。でも本当は・・・・・
そんなくだらんことをして24名人戦にのぞむ、本当に限られた極々小数の人達の為に24名人戦のしくみを変えるなんておろかなことで、
私が枠組みを決めることが出来る立場で、もしそういうようなことをしているといると判断したら、
とんでもない高い枠組みに問答無用で配置させて一件落着ですよ。
それが5級が順当なら初段の枠組みに、初段が順当なら四段の枠組みにって感じですかね。
(もし枠組みを決めるのに決まりがありそれに反している枠組みなら、例外的措置もあることの一文を入れれば良いから問題ないし)「詰将棋川柳」
たしかこんな感じなのがあった。
煙詰め 出来た時には 妻も消え
将棋ソフトと対局すると、反則ミスとか王手飛車をうっかりするとかがないのでその点に置いては味気なさを感じます。
詰将棋も同じで最近の作品ではミスを発見した時の喜びを味わうようなことは無理なのでしょうね。東大将棋6というソフトは15年くらい前に発売されたものですが詰将棋を作る機能が付いています。
どの駒を何%くらい使うのかとか、手数はそれくらいにするのかとか条件を設定するとあっというまに出来ます。
東大将棋のソフトで作られた詰将棋の本も出ています、750題くらい収録されており短い手数で私も解きましたがストレスなくいけましたしトレーニングには良かったです。
「ひと目の詰み筋初級編」ソフトに作らせてそのまま自作だとするのは心苦しいのでやらないとして、
ほんのちょっとだけ手を加えて自作のものだといっても問題はないのでしょうね。
あとは自身が心苦しいと思うか何も思わないかだけで。コンピューターソフトの発達によって完全作と思われてたものが不完全作だということが判明した作品は多くありますね。
不完全作品であると承知しながら発表されることはまずないですね、多くは検討の段階で発見されるのですが気がつかずに発表されてしまうものもあります。
明らかに完全作とわかる作品はともかく完全か不完全かわからないものを100%完全と言えるまで検討するのにはどれだけの苦労があったことか、数多く発表していれば全てが完全作というのは無理な話です。ソフトによって検討は楽になりましたし不完全作も現在はほとんど出ていないのではと推測します。
ただ、人による力しか用いることが出来なかった時代、人が時間をかけて一生懸命検討した末に大丈夫と判断されたものが、ソフトの力でたいして時間も汗もかかないで不完全作だというレッテルをはられるわけですから、それはきついですね。ちなみに稀に不詰と判断される作品がありますが、あれはどんな扱いになるんですかね。
余詰はないに越したことはないですが、仮に見つかったとしても不完全作という扱いになるだけですが、
詰まないのは流石に致命傷ですからね、詰将棋ではないという判断が下されるのが普通なんですかね。「猿も木から落ちる」
つい先ほどネット将棋で(フリー対局)400点ほど上の相手から挑戦され角のただ取りで41手で完勝。
羽生さんも簡単な詰みを見落としたことがあったしプロ棋士でも反則ミスを犯すことがある。
やってしまったことは仕方がなく次に生かすしかない。「あまりにもひどい」
リアル将棋は自宅で行わない限り出向くことになる。
大げさに言えばそうまでして行う対局。毎週行っているトーナメントの1回戦
序盤の角交換から単純な角の両成りに気付かず、成られた馬が金取りになっていることに気付かずただ取られ、
あまりにもひどかった。
何かペナルティをかさないといけない。kannjuさん
詰将棋も時代によって見られ方が異なっていますからね。
例えば煙詰、当初は39枚の盤上の駒が最終的に3枚の駒になるのを言ってたのですが、
次第にそれ以外のものも煙詰と呼ぶようになっていきました。
狭義で捉えるなら先のものだけ、広義で捉えるなら後のものもそうとなりますが、これらに正しい間違いというものはありません。
これと同じようにひとつのものに対し色んな捉えかたがあり、そこに正しいもなく間違いもなくただ色んな捉えかたがあるという事実だけが存在するということも多いように思います。
以前は詰将棋論争というのもあったようでコアな知識を持った人達が主張を戦わせたみたいですがそこに結論を見たというのはまだ聞いていません。
それはそもそもが単にいくつもの捉えかたが存在するというだけで、それを戦わせるようなものではなかったからでしょう。
詰将棋の世界は審判もいないわけで、色んな捉え方がでるのは当然のことなんですね。女性棋士さん
>基本的には、詰め将棋に関しては
いきなり余詰ですし、触れているのは詰将棋の中でもマニアックな世界ですよ。
ですからそういうのに興味がある人達が楽しめば良いのではないですかね、
私は普通の詰将棋を解くだけで十分なのですが。
そういえば先日女性棋士さんが出された問題は楽しめましたよ。>「作成した詰将棋に余詰が生じてはならない」というような言い
>方は良く聞くと思いますが、その場合に生じてはならない「余詰」
>とは、どういう内容なのかという部分に関して、共通の認識が必要
>となります。
> この部分、皆さん、大丈夫でしょうか?ルールというものは共通認識上にないと困りますね、勝手に個々に判断されたのでは困ります。
ルールは論議されるようなあやふやなものでは困ります。「余詰」について共通の認識が必要だとして、誰もが共通認識をもてるほどに明確なものなのかそうでないのかで結果は異なるでしょう。
共通認識を持つことになるのかそうでないかは中身を見てない段階では何ともいえないですし
自分ひとりで共通認識を持つのは無理です、他の人すべてと同じ認識であってはじめて共通認識ですから、この点に置いても何ともいえないところです。ちなみに詰将棋の世界には共通ルールを作れる人も団体も存在しません、共通認識化されたものをルールだとしている感じです。
「七五調」
勝った勝ったと下駄の音
良い手はみんな蚊に食われ
目から火が出る王手飛車
>この手順で行くなら
ということは実際はこれも違う手順だということなのでしょう。
こんな推測に推測を重ねるようなことをしてても仕方がないので、
今思っていることを書いて見物に回ります。①今回出た2手目△5五桂打の手順も12手目1一玉でこちらも詰まないように見える。
②少し前の投稿で9手目とする局面があり、▲2二金では▲2一金とすれば簡単に詰みと書いたが△5二香合があるならこれでは詰まない。
③2手目7七桂打の手順、△5二香合があるなら12手目△1二玉でも、以下▲6二竜△5二香合▲同竜△同竜が逆王手になるから詰まない(2手目△5五桂打だと逆王手にはならない)
誤:女流棋士さん
正:女性棋士さん
失礼しました。何の為に9手目とする局面をアップしたのか意味すらわからないけど、これは▲2二金打って王
手した局面でしょう。
これなら2一から金を打って竜で6二の金を取り1一に金を打てば簡単でしょう。今回書かれているのが出題者からの解答説明なら、詰むのか詰まないのかに先んじて言いたいこ
とが2つ。
①出題者はどちらを持ちたいかで尋ねているのだから、当然どちらを持ちたいかで答えるべきでしょう。
②これが詰手順の発表なんだからひどい。本題
女流棋士さんが詰み手順だと言ってると推測される手順
▲7二龍 △7七桂打 ▲同 馬 △同桂成 ▲2一銀成 △同 玉
▲3三桂 △1二玉 ▲2二金 △同 玉 ▲3四桂 △1二玉
▲6二龍 △同 龍 ▲2二金(15手目) △同 龍 ▲同桂成 △同 玉
▲3二飛 △1一玉 ▲3一飛成 △1二玉 ▲2一龍まで(23手目)私が▲3四桂に△1一玉としたらどう詰ますのかと尋ねたのは12手目の部分
結構楽しませてもらいまして私もこの辺りを考えましたが結局詰ますことは出来ませんでした。
ちなみに▲3四桂に△1一玉とするのが最善だと思うのですがその場合はどう詰ましに行けば良いのですかね。あと変わってるつながりでいうと香車が5つあるのは珍しい
最も有名な3手詰・・・・
私が出会った時は既に詰将棋が身近にありましたから特に感動することはなかったですが、別の意味で驚いたことがありました。
それは紹介している駒や配置が微妙に異なっていること。
結果として正しいのはどんな配置のものなのか未だに知りません。ちなみに紹介されてる例を少し挙げると
http://kazemidori.fool.jp/?page_id=2606http://www005.upp.so-net.ne.jp/tsumepara/contents/4appre/appre/appre01.htm
https://games.yahoo.co.jp/qa/detail?qid=13154451208
http://flac.aki.gs/blog/?p=2866
持ち駒が何パターンかある詰め物といえば、なんと何といっても谷川九段の著書でしょう。
新しいのでいえば確か「詰みの条件」とかいうタイトルの棋書が出たばかりです。19局ありますが近年ですと2017年に1局、2019年に1局(女流棋戦)
それ以前ですと2012年にさかのぼりますが、この頃に手入力していたかは覚えていません。
手入力していない部分に置いてはs789456123さんと同じデータかと推測します。
こちらの特徴としては2005年に少し集中しているのと、ひとり1回しか使用してないことですかね。私のは2016年以降で16局該当しましたが、
手入力しているのは全体の3分の1くらい、ただし後手の角頭歩戦法の公式戦棋譜が載っていたサイトがあり、その時に10局ほど入力したので、そのあたりを割り引いて推測すると30~40局くらいかなと思います。ちなみに伊藤五段は「メリットがわからない」というようなことを言ってますが、
メリットはダイレクトに向かい飛車に出来るので1手得、その代わり居飛車から急戦される可能性があり、その対応をしっかり準備しなくてはならない。
その両方を比較して「そうまでしてこの戦法をするメリットがわからない」と言ってるのだと思います。
実際は先手が戦いを挑んで来ることはほとんどないです。
理由は「相手が準備しているのにわざわざ飛び込んでいくことはない」です。
角頭歩戦法を使う方は当然準備をしますが、居飛車側はほとんど遭遇しないのであまり研究とかはしてないでしょうからね。伊藤五段の動画を見ましたが、主に後手番の角頭歩戦法について言ってるのだと思いますよ。
純粋な振り飛車党の伊藤五段に対して「角頭歩戦法わかんない」という書き込みがありそれにつぶやいたものですが、後手番の角頭歩戦法は2016年~2018年くらいにかけてブームになった戦法で、大雑把にいえばダイレクト向飛車を目指した戦法です。
対して先手番が用いる角頭歩戦法もありますが、名前は同じでも別の戦法と言ってよいほどに狙いが全く違います。
動画では先手番のものにも一言だけですが触れていて「先手番では指す気がしない」ということですね。詰将棋って妙手の存在が命といってよいくらい大事で
それがないと詰むだけの将棋になっちゃいますけどね。6二金を取って簡単かと思ったら1一に逃げられて・・・・
もう少し工夫しないとダメか。#18395の問題
面白くはなってるが何も変わらないようにみえる。
それだけにその上を行くあっと驚く展開を期待する。変わってるなと思う点
部分図問題の次の一手なのに作意手順に絡まない先手玉があること(通常玉はひとつ)
ちなみに部分図問題が必要駒が配置されているのに対し、全体図問題はすべての駒をうまく使い、いかにも実戦で現われそうな局面を演出するという特徴があります。先手玉は気にしなくて良いとのコメントがありますが部分図問題はそれが基本です、
だから最初から存在させないのが普通です。負け判定になったのは対戦相手が、自分が勝ちでsava-chanceさんが負けと判定したから。
何故相手がそんな判定が出来たのかといえば、sava-chanceさんの方が通信切断を起こし時間内に戻れなかったことで判定する権利を得たから。書いてあるのだけでいえばこうなるが、不自然なところはどこにもない。
しかし何故なのか意味がわからんということだが、どの部分に対して疑問があるのかを何もかいてないので、これだけではさっぱりわからん。
「脳内トレーニングの良し悪し」
自分でキーワードをあげておきながら「もしも」をつけることにいささかの可笑しさを感じるが、もしもタイトルのようなキーワードがあったら、自分的には真っ先に「脳内将棋盤」が浮かびそう。
将棋は駒を動かさず頭の中で考えるので、頭の中の将棋盤をよりクリアにすることは上達に伝わる。その上で、盤面を見ずに脳内だけで盤面をイメージして解く詰将棋訓練を時々行っているが、自分自身すっきりしない部分もある。
実戦で詰みのあるなしを読むとして、それは頭の中だけで読むわけですが、盤面を見ることは許されている。
ゆえに盤面を見つつ考えるわけで、盤面を見ないで考える必要性というのは全くない。
それをあえて盤面を見ないで考える。
これも脳内将棋盤をよりクリアにする為のトレーニングだがすっきりはしていない。それともうひとつ
棋譜並べはパソコンで再生されるものを見るより、自分で実際に駒を動かすトレーニング方法が推奨されている。
実際にその通りで、棋譜並べにしろ定跡手順を覚えるにしろ、頭の中だけでやるよりも身体に染み込んでくる。
そういう目線でみると脳の中だけで駒を動かして解決させるのはどうなの?と思う。
脳の中で解決させるのもトレーニングとしては良いだろうけど、実際に駒を動かし、より深く身体に染み込ませるのもトレーニングとしては有力で、脳内だけではそのような特権は得られない。
詰将棋も頭の中で詰ますトレーニングが推奨されているが、駒を動かしながら考えた方が身体の中には染み込みやすく忘れにくいようにも思う。頭の中だけで行ったものは入ってきてもすぐ出て行ってしまう。
そういうマイナス面はあまり重視されてないが、そこはしっかりと把握した上でトレーニングにとりいれないととは思う。他の人がいるので具体的な書き方は避けますが・・・・
自分的には、こういう問題の初手はこれしかないでノータイムで二つ、あとは浮かんだ候補手を一通り検証、
次はそれ以上のわなが仕掛けられているのかとか、あえて先手にも玉(詰将棋としてみるなら双玉)を配置した意図は何なのだろうとか、その辺りのレベルに入り込んで検証し終了。いま見ると後手の持ち駒がとても多く、この部分に置いては詰将棋そのもの、
そう考えると双玉の詰将棋が頭をよぎり、先手玉が不気味な存在感を放っています。 -
作成者投稿