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calvaryさん
新型コルナの毒だって身体には良くないし、将来どういう障害が出るのかだってわかりません。
片方のリスクだけで判断するのはとても危険だと思います。5~11歳ということですが日本は何歳であっても強制ではありません、
子供に関しては本人ではなく両親が決めることになると思いますが、努力義務もないし、いずれにしても選ぶ権利があるのでしっかり考えて決めれば良いと思います。ちなみに私個人としては片方だけの情報はあまり重要視しません。
何故なら、主張したいことが先にあり、その主張に都合の良い部分だけを集めているという傾向がよくあるからです。脳内将棋盤の訓練は、陸上選手が安全靴のような重い靴を履いて、通常より強い負荷をかけて行う訓練に似ていますね。
試合ではそんなに重い靴を履くことはなく、目隠し将棋のように脳内に将棋盤をイメージして戦うこともありません。
だとしたら通常靴のトレーニングのみでも、実際に問題の局面を見ながらのみのトレーニングでも問題ないように思います。その上で私も時々脳内将棋盤で詰将棋を解く訓練をしています。
もう少し映像が鮮明になれば棋書を読む時に便利かなと思うのと、脳内将棋盤でトレーニングすると、実際に局面を見た時にすごく楽に感じるので。盗作のような件は統一された規則がないのが大きいが、どう判断するかは難しそう。
同じ作品でも、偶然に出来たものか、真似したかで、盗作かそうでないかははっきり分かれる。
偶然に同じ作品が出来た場合は盗作ではない、ただし自分が作ったオリジナル作品ではあっても世の中的には自分の作品とは認められない。問題はモデルがあった場合だ。
15手詰がモデルでその前に4手追加されているのはどうなのか?
15手詰がモデルでその前に20手追加されているのはどうなのか?
15手詰がモデルで最後の3手の形から独自に4手追加されているのはどうなのか?
15手詰がモデルで最後の3手の形から独自に8手追加されているのはどうなのか?
15手詰がモデルで最後の5手の形から独自に8手追加されているのはどうなのか?また超有名な3手詰の古典詰将棋、
伝えられているうちにどれが正しいのかもわからないが、
5三が金だったりと金だったり、角の位置が違ったり。
というように作意が全く同じで駒の配置が少し違うという場合、どこまでが盗作で、どの程度アレンジすれば盗作ではなくなるのか?というような問題もある。詰将棋を最終型から逆算して作るのは基本テクニックのひとつである。
接した詰将棋の最終型に惚れ、その形から逆算して作るというのもよくあることだと思う。
この場合は最終型のみだが、盗んでそのまま採用していることは確かだ。
極端にいえばそこに1手を加えて1手詰を作った時は盗作扱いされることもあるだろうが、普通は最終型のみ同じでも盗作扱いにはならない。結局のところ、モデルと全く同じ部分の長さやオリジナル部分の長さ、それらの割合が関係してくると思うが、これが正しいというものもなく判断は難しい。
ただし・・・・・・・
「こういう規則にする」と決め、それが統一規則と認められれば、それが盗作か盗作でないかの判断基準になる。まん延防止再延長から1週間、次の判断が気になる時期に突入する。
我が県は1週間で約1割減でありほとんど変わらないとiいって良い。
しかしその一方で70歳以上は2月中旬に比べ半減、病床使用率も50%近くだったのが35%ほどにまで減少している。
理由はワクチン接種で、やはり時期の遅さが痛かったという感は強い。
結局のところ接種率次第だったという結論に落ち着きそうだ。「羽生善治のタイトル戦詰将棋」
3手から11手までのタイトル戦で現われた詰みのある局面。
初段・1級・2級とあるように、その辺りの棋力の人を対象とした本のようで、解き始めたばかりなので何ともいえないところはあるが、棋力表示相当という感じはする。この本は実際の局面から必要な部分だけが取り出されており、参考として下に実際の局面が表示されている。
私は逆に実際の局面で解いてからピックアップされた局面を見ているが、どの部分が重要だったのかがひと目でわかり、急所を知る上でとても勉強になる。分科会のメンバーの人が、今回は今までとは違うので飲食店に税金を投入しても効果は薄い、
それよりも重症しそうな人をターゲットにするべきだ、というようなことを言っていたようだ。それは誰でも思っていることだと思う。
色んなところでクラスターが起こっている、その中には重傷しやすい人が集まっている場所もある。
でも飲食店に税金を投入して感染を押さえようとしてる。
誰が見たってピントがずれてるのは明らかなのだけど、トップはそれを選択している。
当然トップもそんなことはわかっているのだけど、それが正当化されるような色んな理屈をつけるのでしょうね。
だけど歪んだ理屈で出した答えは当然ながら歪んだものだから、誰が見たってピントがずれてる答えだとわかる。学者の知識も当てにならないなと思うのに集団免疫説というのがあった。
60%あるいは70%の人が感染すれば集団免疫がついてというものだ。
その選択はあまりにもリスクが高いと否定的意見がほとんどだったが、集団免疫説そのものを否定する人はいなかった。
でも現在だったら多くの人が否定すると思う。仮にデルタ株の時に集団免疫が出来たとして3ヵ月後にオミクロン株が出てきて振り出しに戻ったら・・・
集団免疫なんか出来てもすぐに新しい株に置き換わってしまい最初からやり直しとなったら意味が無い。
この部分を持ち出して集団免疫説を否定する学者の声は聞かなかった。確かにずっと摂取になってた、いつの間にか身体に取り込むということで摂取という言葉に違和感を感じなくなっていたんだね。
>ワクチン接種開始から、超過死亡が安定して過大で推移している事もニュースにならず
ワクチン接種は去年の3月頃からか?死亡者が急激に増えたのはオミクロンにかわってからでしょう。
東京と大阪では死亡率がかなり違っていた、医療がひっ迫すると確実に死亡率はあがる。高齢者が風邪をこじらせてそれが元で持病が悪化し死に至るというケースもたまに聞く。
そういう人にとっては風邪さえ命を奪いかねない怖い病気だといえる。
どんな病気で亡くなろうと新型コロナがその引き金となったとすれば新型コロナは怖い病気だといえる。
その一方で無症状という言葉もよく出てきて、それだけ軽い病気だともいわれている。私のギターの先生は5人いるがその内の1人は薬屋の娘。
幼い頃から薬に囲まれており、そのせいで調子が悪くても薬は極力飲まないそうだ。
薬は良薬にもなるがその一方では毒にもなる。
その毒性部分の知識が刷り込まれてしまったのだろう。私も学生の頃ソーセージを作るアルバイトをし、現場を見たら食べる気がしなくなったことがある。
世の中には知らないから平気で口にしているものも沢山ある。
例えば肉だって殺して切り刻むわけだからそんな現場を見たら食べる気はしなくなる。
だけどそんなことを言ってたら食べるものがなくなる。ワクチンも薬も食べ物も同じ、良い部分と悪い部分があり、悪い部分がないものをとなると絵に描いた餅と同じで、目の前にあっても口には入れられなくなる。
高齢者の93%が2回摂取というのは日本全国なのか我が県なのかは知らないがここにも大きなピントが隠されている。
93%の高齢者は摂取した方が得だと思ったということで、この割り合いというのは大きい。
(実際は摂取はしたけど得だと思ったわけではない、摂取はしていないけど損だと思っているわけではないという人も一部いるが)棋友から久しぶりに電話があった。
コロナになってから将棋の講座にも顔を見せないし会話も半年振りだ。
冒頭すぐに「3回目のワクチン接種をしたか」と尋ねて来た。
私が「したよ」というと「それなら安心で良いな」という返事だった。棋友はまだ一度も摂取しておらず「高齢者の93%が摂取済みだが、100人なら7人、1000人なら70人、10000人なら700人もいるから」とくだらないことを言って来た。
周りがこれくらい摂取してるから自分も摂取するとかしないとかそういうことではない。
あくまで自分に取っての損得なのに。「それなら安心で良いな」と言ってるように本人は摂取していないことでとても不安が大きい。
外に出るのが唯一スーパーへの買い物で、それもかなり気をつけているらしい。
私からするとそんなに不安なら摂取すれば良いのにと思うが、本人が摂取よりも不安や行動規制を選んでいるわけだから、お好きにどうぞで摂取に関しては何もいわない。摂取に関しては、摂取した人がどうなったのか?摂取しなかった人がどうなったのか?
自分がこれまで見て来たものが一番信じられる。
私は、摂取後に一次的な副作用が出る人がいるにしても、摂取したことでひどい目に逢っているという話は聞いたことがない。
そういう話というのはどんどん伝染するのでうわさになりやすいが、話として出てこないということはそういうことはほとんど起きていないということなのだろう。我が県の蔓延防止再延長が正式に決まったが、
70歳以上の感染者数が、ワクチン摂取の効果で減少傾向にあるとの嬉しい記事も目にした。
ワクチンへの信用は2回摂取しても感染者が出たことでかなりのイメージダウンとなった。
当然出ることはわかっていたが、想像以上に多かったということだろう。ワクチンの効果は重症化を抑えることと当初から言ってはいたが、こういうことがあると感染しにくくなるという部分に置いてはどんどん声が小さくなる。
それは「感染したじゃないか」という声が出るのは十分に予想されるからだ。ワクチン接種は重症化率を下げるが当然ながら感染率も下げる、それは言うまでもなくデルタの時で実証済みだ。
現状ほとんど対策らしい対策が出来ていない中で唯一可能性があるとすればワクチンの接種率だろう。
スティルスVSワクチン接種率でどうなるか?というところだと思う。「大山名人」
加藤一二三先生の本を読んでいる。
同じ言葉でも誰が書いたのかで重みが全く違う。
実績を残された方の言葉は流石に重い。あまり知られていないが名人が実力制になってから、
自身を除く12名の名人すべてと対局したことのあるのは先生一人だけだそうだ。そんな先生が明らかに天才だと思う棋士として大山名人と羽生九段の名前をあげている。
(今ならそれに藤井五冠が加えられるだろうが)天才といえば兄弟子の升田さんが浮かび、大山名人は修正に長けた人というイメージがある。
しかし加藤一二三先生が明らかに天才だというのだからきっと凄かったのだろう。我が県は蔓延防止の延長が決まった。
判断は非常に難しく知事は苦渋の決断とのことだった。判断についてはどちらに転んでもおかしくないと思っていたのでそれはいい。
だけど・・・・・・蔓延防止を適用したが、少なくとも解除に至る結果は得られなかった。
だったらその結果を踏まえてどうするかって話だろう。
それをまた何もせずに成り行きをみているだけで
「9時以降の人出は6割で蔓延防止の効果はあった」って何だそれは。
普通は、思ったほどに下がらなかったら下がるように追加で対策をとるだろうに。
何もせず成り行きを見ているだけで、それで苦渋だといわれても。蔓延防止は県全体に適用されたが、感染率の低いところもありどうするかということになったそうだ。
前回は一律でなかったので隣接するところで補助金のもらえるもらえないがあり、そういう不満が出ないようにとの配慮も強かったようだ。
だけどそのような理由で一律にするというのはあまりにも筋からずれている。
当然ながら、その反省を踏まえて次までにしっかりした対策を立てておくべきなのに。声かけでも何でも良いんだけど「やってる感」がまるで感じられない。
それで感染者が減らない、医療がひっ迫している、だから延長だって。「局面図以下の指し手」
▲6五銀△同銀▲5五馬△6四歩▲3七馬△2四角▲4七馬
まず攻め駒の桂馬を銀と刺し違えて除去し、続く5五馬が絶品の位置。
王手飛車取りがあるので6四歩と受けたが3七馬でと金を除去。
続いて4七歩も取り去るとたった7手なのに全く違う景色に。
強い人はこうやって危険を除去するんですねえ。もうすぐ蔓延防止の期間が終わる。
それに伴って解除と延長にわかれるわけだが、蔓延防止の効果はもちろんあるのだが果たしてどれくらいの効果なのかを考えてみた。その時に対象としたのが蔓延防止の制限を受けなかった県のこと。
蔓延防止策を取らなかったことでそれらの県はどうなったのか?
制限のあるなしに分かれてから一ヶ月以上経つが、制限を取らなかったことで感染者が増えたために蔓延防止策が必要だという話は聞かない。そこから推測するに、制限を設けても制限を設けなくてもほとんど変わらない、すなわち効果はかなり低いのではと思えたりする。
「棋譜鑑賞より」
先日行われた近藤誠也七段と西尾明七段の王位戦より
相居飛車戦で近藤七段が右四間飛車+左美濃を採用
局面は西尾七段が△4七歩と歩をたらしたところ。
先手は馬が成っての香得だが、後手も、たらした歩、と金、角、桂馬、飛車の攻め駒が良い位置に配備されており、ぬるい手では止まらない攻めが来るのは明らか。
ここから近藤七段の指し方に感動しました(ヒント・・・勝率の高い棋士はこう差すんだなと)
わかりやすい進行ですので興味のある人は是非推測してみて下さい。
実際の進行は今夜書きます。
それはCPUのことですね、AIとも戦えるようになっています。
「8対2」
伊藤新女流名人のタイトル挑戦について十数回という認識でしたが実際は9回目ということでした、失礼しました。
以前将棋世界でタイトル挑戦回数を見て、その後何回くらい挑戦したのかを思い出して計算したのですが、自分が思っていた以上に将棋世界を読んだのが近年だったようです。長い間実戦が主で対局8、その他が2くらいでした。
それが現在は完全逆で将棋に接してるうちの実戦が2くらいになっています。
意図的ではなく環境がかわったのですが1局の比重はやはり重くなっています。「伊藤沙恵女流三段ついに初タイトル」
伊藤沙恵女流三段を知ったのは加藤桃子清麗が初のタイトル女流王座を獲得した時のこと。
女流王座はその時に新設されたばかりで両者は決勝進出をかけて戦いました。
伊藤三段はその時こそタイトル戦の番勝負に出られませんでしたが以後タイトルに挑戦したのは十数回に及ぶと思います。
しかしいずれも奪取には至らずでそこには里見さんという大きな壁がありました。
今回その里見さんを破って女流名人位を獲得。
これでひとつプレッシャーから解放されたと思います。
タイトル獲得おめでとうございます。最近は浦野先生のハンドブックシリーズをよく解いている。
昔のは3手詰めから15手以上長いのまで含まれているのが多く、最初はすいすい行くものの、途中からはスローダウン、ついにはリタイヤというケースが常だった。
それに比べると最近のは同じ手数の物も多く重宝している。ハンドブックシリーズは3手詰めが1冊、5手詰は3冊分、7手詰は1冊分ある。
(分というのは図書館で借りてパソコンに打ち込んだものも含めてということ)
昨日古書店に行ったら7手詰のハンドブックが2冊、定価はそれぞれ330円で美品であった。
多分持っていないだろう片方は購入するとしてもう片方はどうするか?
パソコンに収められているのは確かだが、どちらの本だったか8割くらいの自信はあるものの不安もある。
家に帰って確認すれば確実だがそれも面倒だ。
ならば次に店に来た機会にあったら買えばよいが、売れてしまっていたら後悔が残る。
そんなわけで結局2冊とも購入して帰った。
帰って調べたら・・・・
図書館で借りて打ち込んだかもとも思っていたが家には美品のものがあり完全に重複という結果になった。今は新しい方をパソコンに打ち込みつつその場で解いている。
今までは全て打ち込んでから解いていたがどちらのやり方の方が良いのかは判らない。
以前は塚田先生のような実戦形が良いなと思っていたが、浦野先生のものも比較的解きやすくて良い。「詰将棋を作る人」
これには詰将棋作家と呼ばれる人から時々作る人までいるが・・・
その作品で何を伝えたいのか、アピールしたいのかは人それぞれ。
そして、詰将棋を作ることに置いて何を重要視して作っているのかも人ぞれぞれ。では人それぞれだとして作品からはそれが見えるのか?
名前を伏せて、誰が作ったかを当てさせたとしても、5人の名前をあげてもその中に正解が含まれている可能性は低いだろう。
しいて特徴を挙げるとしたら、長編が多い、中篇が多い、短編が多いくらい。
ここからは作る人がどのようなものを作りたいと思っているかが見えてはくる。では誰がどんなことを重要視して作っているかは置いといて、作品からその重要点が把握できるのか?
詰将棋には妙手というものがあり、それがアピール部分のひとつであろうことは推測できるがそれ以上は難しい。
たとえば持ち駒が銀4枚でこれがこの詰将棋のアピール部分か、という特殊なものもあるけど、作った人がこの作品で何を伝えたかはわからないケースが多い。これが絵画だったら描かれた背景を想像しながら鑑賞することも多いと思う。
でも詰将棋はその作品が作られた背景を思いを馳せながら解くということはまずない。
作品というイメージすら薄く、問題という感覚の人も多いかと思う。では何故問題という感覚なのかというと、詰将棋は作者の伝えたいことが見えにくいところにあると思う。
だとしたら特徴的な色の濃い作品を作れば良いのだけれど、作る側からすると、そういうことには興味がないということなのでしょう。長々書いたが結論として、作品からは作った人の気持ちが見えにくい。
>これはコロナのせいで300人が死んだのではないと思われます。
それはよく言われてることですが・・・・・
肺炎が直接的な原因で死亡したケースが少ないという部分だけを取り上げるのは片手落ちだと思います。
何故なら、代わりにコロナが引き金となって他の疾患で亡くなっている人が増えているわけですから。
(だからトータルで見ると死者数割合が変わってない)デルタは肺まで行くから肺が悪化するけど、オミクロンは肺まで行かないからその分身体全体に広がり悪さをする。
自然の流れですけど1日の死者数が300人を超えたとの報道がありました。
本当にザックリとだけど・・・・・
1日に9万人の新規感染者数だとして死者300人
デルタの時が2万人として死者数が60人くらいだったので、もしも9万人だったら270人くらいということになる。
何が言いたいかというと・・・・・・
オミクロンはデルタに比べ毒性が弱いと言われているけれど、死もあり得る高齢者の人達にとっての致死率はどちらも変わらない。
(デルタに比べ致死率が圧倒的に低いと言ってた時期もあった・・・今は全く言わなくなったけど)>人口の大部分を占めるイングランドでは24日から新型コロナ関連の法的規制を全廃すると発表しました。
法的規制を全廃するといっても、日本の場合そもそも特定業種以外は法的規制がないから。
クラスターは多くが飲食店以外で手の打ち用がなく見守っている感じが強い。
そんな状態ではこの先に希望が見出せるはずもなく、これが結構きついね。「勝率7割と3割」・・・②
この7割と3割の関係は棋友やライバルとの棋力差確認にも使えると思う。
7割以上勝てる関係なら1クラス上、勝てるのが3割以下なら1クラス下。
1クラス下ならとりあえず3割以上を実現して、同じクラスというところまで持って行きたい。
これが勝率4割近くまで行ければ、気持ち的には互角というイメージになってくる。「勝率7割と3割」・・・①
将棋倶楽部24には町道場の初段以上の人が多いかと思う。
そこで町道場の初段、二段、三段、四段というような括りで自分の棋力を図るとする。とりあえず自分の実力に見合うだろうと思われるグループに入りその中で戦ってみる。
(初段グループ、二段グループ、三段グループ、四段グループ)
その結果として、勝率が7割以上ならば今よりの1クラス上、3割以下なら1クラス下と判断して良いかと思う。「将棋上達・・・詰将棋」
将棋を覚え始めてからどんどん強くなったが、上達が止まってから現在までほとんど上達していないという人は多いと思う。
ではどうすればそこから上達するのかとした時に結構難しい。
実戦、詰将棋、棋譜並べなどをやれば確実に上達するというものでもないし、5年間将棋から離れたとてそれで弱くなるというものでもない。そこで何が大事だったかを思うに、どんどん上達している時が大事だったと思うに至った。
その時に苦手な練習メニューを作らずに取り組めば、いずれ上達は止まるにしろ取り組んだぶんだけ高い位置にまでいけただろう。では苦手な練習メニューって何?とした時に真っ先に出てくるのが詰将棋だろう。
実戦は9割くらいの人が好きとして、詰将棋を解くのが好きは1割いるかどうか。
逆に詰将棋は嫌い、あるいはほとんど解かないという人が7割くらいはいそうだ。
では何故嫌いになるのか?
それは難しい問題に挑戦しすぎるからだ、だから詰将棋は難しいから解くのが嫌いということになる。
最初は1手詰だって正解にたどり着くのが難しい、それが目につく詰将棋はそれよりもはるかに難しいのだから嫌になって当然。
そういう詰将棋との接触の仕方は最悪で、苦手意識を作らない為には少考で正解が導き出せるものが良いと思う。では少考ってどれくらいとなるが、長くて1分、平均だと30秒くらいが良いだろう。
これだったら10問で5分、20問やったとしても10分なのでストレスにはならない。
おまけに実戦で頭の中での詰む詰まないを確認する作業時間がこれくらいなので、きわめて実戦的なトレーニングだといってよい。
ちなみに同じ詰将棋問題でも、ある人は10秒で解けある人は1時間かけてもさっぱりわからなかったりする。
なので自分にとってストレスのないレベルの問題を選ぶというのがとても重要になってくる。これ以外に棋譜ならベがあるが自分にあったレベルの棋譜というのはないと思ってよい。
だからプロ棋士は重要だというが、それなりの棋力がないと効果は出にくい勉強法かと思う。
また序盤の戦法の勉強、これも好き嫌いがわかれるところだ。実戦は9割くらいが好きと書いたが好きなものは黙っていてもやる。
だからいかに好きになれるかがポイントだが、それ以上にいかに苦手を作らないかが大事になってくるかと思う。将棋の上達法に「自分より少し強い相手と差す」というのがあるが、トレーニングメニューは逆で、ストレスのないものを多く解くのが良いと思う。
スポーツのランニングにしろウェートトレーニングにしろそれ自体はとてもシンプル。
それを距離や回数、すなわち沢山こなすことが大切で、自分にとって大変なのは、大変な割には効果が少ない。
なのでメニューそのものが大変なものは、基本メニューが10回に対し1回くらいで良いかと思う。正解手順
△7九成香▲同銀△同金▲同玉△7八銀▲8八玉△7五桂
最後の△7五桂が必殺の手で、先手は受けることが出来ず後手の勝ちでした。
「助からないと思っても助かっている」
後手番となりゴキゲン中飛車を選択。
相手の超速に対して銀対抗はあえて選択せず、来させて捌く将棋を選びました。
分かれは五分だと思うのですがその後の指し方が悪く駒損の大差。
そんな中でワンチャンスあればと、我慢と食い付きで訪れたこの局面。5三歩成は自然に思えましたが大悪手、ここでは一挙に勝ちになっていました。
しかし王手の連続でバラしてからの7八銀、8八玉、6七銀不成の開き王手では勝てないと思いと金を取ってもう少しチャンスを伺う手を指してしまいました。ではいったい何が勝利に導く手だったのか?
答えは続けて書きますが、興味のある方は少し考えてから答えの方を見ていただけたらと思います。テレビを観ていたら「コロナの毒性がどれくらいまで下がったら現状から脱却出来るのか?」というのが少しだけですが出てきました。
(このように思っている人は多いかと思います)
それに対しての答えですが(答えと言ってもあくまで1人の意見)見方は私とほぼ同じでした。毒性が10分の1になったとして、感染力が10倍になっていたら結果として死者や重傷者数は変わらない。
なので毒性のみでなく感染力とセットでみなくてはならない。
オミクロンになってデルタと比べ死者数はどうなっているのか?これでどちらの力の方が勝っているのかがわかる。仮に風邪であっても感染力が今の100倍もあって年がら年中風邪をひいてるとなれば話はまた別で対策が必要になってくる。
風邪は冬が多いですがコロナはそれに比べると季節を選ばないし身体を温かくすることで予防効果が得られるというようなものでもない。
それが結果として感染力の差として表れるわけだが、そういう総合的な部分を見ないで毒性だけに目をやっても良い結果は得られないように思う。1日当たりの感染者数が鈍化しているがこれは何故なんだろう?
気になる点がひとつあるが後で書くとして・・・・・他国のピークアウト状態から日本もそうなのではと楽観視される部分があったが認識がかなり変わって来ている。
何故ピークアウトをしたのかを考えた時に「それだけ感染者が増えたからだろう」というのが私の見立てで、日本の場合は他国に比べるとまだまだ感染者割合が低いので長引く可能性が高いと思っていた。昨年東京は新年早々からずっと宣言による規則下にあった。
宣言には一定の効果があったが1を切るまでの効果はなかった、それは長期宣言下から伺える。昨年は飲食、旅行辺りがターゲットでそれなりの効果だったと思うが、蔓延状態と若年化でそこを制限してもほとんど効果はないと思う。
効果があるとすれば蔓延防止という言葉による国民への自主規制促進くらいのものだろう。我が市の人口は15万人で現在1日の感染者平均が100人くらい、これを150人としてみると1000人当たり1人だ。
これを30日前から遡り、二等辺三角形の要領で面積を2で割る。
しかし実際は100人なのだからそこを踏まえて3で割る。
すると1000人当たり10人となるが実際はその3倍いたとして30人だ。
計算はかなり大雑把だがここで言いたいのはひとつ、この感染状況では感染者数が鈍化する理由には全くならないということである。今年に入ってから異常なスピードで感染者が増え続けたのは周知の通り。
それが異常に思えるほどの上がり方だったにしろ感染力が圧倒的に高かったのは事実。
それほど感染力が高いのにほとんど理由が見当たらない中で何故鈍化する?そこで私が気になっている点だが・・・・
検査数の上限はどうなっているのだろう。
1日の検査数が上限に近ければいくら感染者が増えても数字上はそこからは中々増えては行かない。昨年急激に感染者数が減ったという例もあり今後どうなるかはさっぱりわからないが減ってくれたらありがたい。
「実戦による上達法」
実戦は詰将棋、棋譜並べと並ぶ3大練習法のひとつで、
中でも実戦は上達を考えたら外せない、ある程度必要な練習法だと思う。
ただしどの練習法にもいえることだが、ある程度のレベルまで行くと、やってさえいれば効果が出るということはなくなる。
ではどうしたら効果が出やすくなるかだが、それは練習目的をはっきりさせたうえで取り組むことが良いと思う。では実戦練習に置いて目的を何にするのか?
これは人それぞれだが私はいくつかのポイントを挙げて、それが実践出来たかどうかを重要視している。
中でも
①一般的な確認作業
②何度かの形勢判断
③5手の読み
この辺りがしっかり出来たかどうかが大切で、ここのチェックに実戦を用いている。どんな練習法においても同じなのだが、目的を明確に立ててから練習を行うのが大切で、マンネリ状態からでは中々効果は得られないように思う。
「ミスをするための練習」・・・解決編
ギターの動画ではこの解決法として、演奏スピードを正しく弾ける速度まで落として最初から正しく弾くように勧めている。
そうして徐々にスピードを上げていけばミスのない演奏が出来るというわけだ。「ミスをするための練習」という言葉が気になり、自分の将棋の練習法の中にそれに値するものがあるかと考えたら見つかった。
それは詰将棋の解き方にあった。
詰将棋を解く、正解の他に必ずいくつか間違えている答えが出てくるわけで、これが「ミスをするための練習」だと思った。実戦においてはほとんど問題のない手だが中に数箇所うっかりミスがある。
これは詰将棋においていくつかミスがあるのと同じで、詰将棋を解く上での行為がそのまま実戦にも反映されてしまっている。
なのでまずは詰将棋でしっかり確認作業を身に付ける。
それがギターでいう、スピードを下げ最初から正しい演奏を心がけるに通じると思った。「ミスをするための練習」・・・問題編
ギターも趣味としておりYouTebe動画も上達に活用している。
そのなかで「ミスをするための練習」というのがかなり心に響いている。
どういうことかというと・・・・クラシックギターを使って古典音楽を演奏するジャンルがあるが、メロディからハーモニーまで全て自分1人でやるので、コードを弾きながら歌うのに比べかなり難しい。
ただし入門時からかなりのハイレベルまで曲がくまなくあるので練習曲にはことかかない。
これを自分のレベルを考えながら選んで練習するわけだが、ここで「ミスをするための練習」が始まる。
曲を弾きながら弾けない部分をどんどんなくして行く訳だが、それは同時に何度もミスを繰り返しているということにもなる。ではどうすれば良い?
ということで時間を少し置いて次は解決編を。
(もちろん将棋のサイトなので解決編ではこれを将棋に置き換えるつもりでここまで書いている)激指とのレーティング戦は棋力のぶれが少ないので自分の実力が測れるのが長所かと思います。
反面定跡に精通しているソフトで、何局か指すだけで序盤の進行が予想出来るようになります。
結果、序盤の進行に関しては予想通りとなり、ここは対人とくらべ圧倒的に楽だなと感じます。将棋倶楽部24で指したものをAIにかけるというのは王道ですが、1人感想戦としてどうなのか?というマイナス要素もあります。
この場合1人感想戦をしないというのは論外なのでするとして・・・・
形勢判断の評価値は教えてくれるし、こんな良い手があったも、ここでは詰みが生じていたもすぐに教えてくれる。
そしてそれを見て「そうだったのか」と対局中にわからなかったことがわかる。
でもそれだけ、わかったでおしまい。
自分で考えようとしない感想戦にどれほどの効果があるのか。
ここは大きな落とし穴だがそれに気付いていない人は案外多いように思う。馬鹿げたことをまじめに受け取って社内規定が作られたことに対し、そこは「仕方がない」と思うのですね。
たぶん他社のことなら「なんて馬鹿なんだ」と思うのでしょうけど。日本は他国と違いロックダウンが出来ないという。
でも本質のところでそれは違う。
ロックダウンをせざるおえなくなったらロックダウンが出来るように変える。
要するに自らが選んでいるわけなのだが、さもそれが自らが選んでいるわけではないような言い方をする。今朝の新聞に県内最多の9人死亡とあった、月曜日は少なく出る傾向にあるが死亡者については関係ないか。
全国の感染者が少し前に300万人に達した時、200万人から300万人までがたったの2週間だったという。
そういえば東京都、500人を越える超えないで騒いでいたのが現在は24000人あたりが目安だという。
(これって500人くらいで何とかなりそうだから、2万人超えたからで数字を出してきているだけ)
全国同じだけどそれだけ倍率が上がれば死者もどんどん最多を更新するのは当たり前だよな。
この感染率で毒性がデルタとほぼ変わらなかったら日本はどうなっていただろうと思うとぞっとする。
可能性としては当然あったわけだが、その可能性もあるとして危険をイメージしていた人がどれだけいただろうか。蔓延防止の効果の検証というけど、これだけ蔓延していたら飲食とか観光とか規制していても効果はほとんどないだろう。
ワクチン効果ものぞめない現在、感染が減少するとしたら感染者の数字に驚いて行動を自主規制する人が増えること。
この感染者数を見たら用心するのは当たり前で自主規制はなされているだろう。
問題は感染力がそれで1を下回るのかそれともまだ1以上なのか、そして蔓延してしまっているという現状。
わが市、わが県もデルタ時の平均からすると大体でその50倍くらいの感染者。
検証といっても難しくてわからないことが多いが、感染の危険度に関しては数字がはっりしているのでありがたい。東京都内の重傷者数は29人、国の基準だと546人だという。
先日の岸田総理は東京都の重傷者数を例にとって重症者の病床数は3.5%だと言った。
(だったら東京都は96,5%まだ空いていると捉えて構わないのか!!)
もちろん東京都の基準でとは言ったが、緊急事態宣言の検討に入っていない理由として都合の良い数字を持ち出しただけだ。
これが仮に緊急事態宣言を決めた場合ならは都の基準は持ち出さず、国の基準のみを持ち出したであろう。重傷者の定義も東京都と国ではまったく違い20倍ほどの差が出ている。
これから思うに重傷者といっても見方はそれぞれで、国の基準も国民がイメージしている重症度とは全く違う可能性もあり、20倍という数字のマジック同様本当のところは見えてこない。コロナで無症状というのも実態はどうなのか?
風邪のような症状が出て検査をしたら陽性だった、当然ながらこれは無症状ではない。
帰省などで無症状なのだが念のために検査をしたら陽性だった、これは少ないだろうがある。
無症状だが濃厚接触者となり検査したら陽性だった、これが一番多いだろう。
これを何と発表するかというと無症状の陽性者と発表する。
しかしそれは陽性が判明した時点で無症状だったというだけに過ぎない。
陽性が確認されてから2週間以上経ってどうだったのか、そういう判断の仕方ならば症状がどうだったのかはわかるが、そういう発表の仕方ではないからこれも本当のところはわからない。よく医療の立場とか経済の立場とかいうが、それぞれに都合の良いものを持ち出してきて持論をとなえたりする。
総合的にみて判断するなら良いけど、都合の良いものだけを持ち出して持論を展開しても仕方がないのに。>ワクチン2回で十分、3回目はあまり打つ必要性を感じません。
そうですか、私には不十分だから3回目を急いでいるように見えるが。
王将戦は藤井四冠の3連勝で渡辺王将にとっては厳しい状況になりました。
シリーズとしては接戦が多くどちらが勝ってもという感じですが、
接戦で最後までもつれ込んだら渡辺王将としては厳しいですよ、なのでその前にしっかり差をつけておかないと。
それが一方的に藤井四冠に振れてるという結果になっているように思います。「必死問題を解いているのが活きた」
練習の成果は勝ち負けの成績よりも肌感覚の方がよくわかるように思う。
先ほどの対局、終盤どう寄せるかだったが、単純に詰めろを考えるのではなく、必死がかからないかを考えた。
結果として必死をかける手が浮かんだが、必死がかかるかからないではなく、必死をかける手を探そうと出来たのが大きかったように思う。
最近必死問題にも取り組んでいて、その成果が出たなと思った。「実戦で生じた詰み局面を用いた独自練習」
詰みが実際の手順として現われるのは王様が詰まされるときしかないが、頭の中では何度も登場する。
自分の手番だとして・・・・・
①相手玉が詰むかどうか考える
②相手玉が詰みそうもなかったら自玉が詰むかどうかを考え、詰んでしまうようなら受ける
③自玉が詰まないと判断すれば相手玉に詰めろがかかるかどうかを考える
詰めろは相手が放置した場合即詰みが生じる状態であり、その詰み手順をしっかり読まなくてはならない。このように終盤では頭の中で詰む、詰まないを読まなくてはいけなく、そのトレーニングには詰将棋が最適かと思う。
ここで私の場合だが、詰むのか詰まないのかわからないというのが実戦ではよく生ずる。
それはある程度手数が長くなると局面が定かでなくなるわけで、ここを改善しようと現在トライしている。これには長めの手数の詰将棋に挑戦するのが効果的だと思うが、通常の詰将棋には妙手が含まれている。
その結果難易度は高めとなり、手数を追う訓練にはなっても中々答えを見つけ出せず苦労することになる。そこで、実戦で生じた詰み局面の問題集を解くことにした。
これなら平凡な手順が多く追いやすい。
とはいえ詰みまでの手順が長いので途中まで行くと局面が定かでなくなり苦労する。
(その為の訓練なので局面が定かでなくなるのは大歓迎なのだが)この時に練習の取り組み方として私的には2つの方法が考えられた。
ひとつは、普通に問題を解く中でなるべく長く先まで局面を把握できるようにトレーニングする方法。
これは至ってノーマルだが効果ガ出るまで時間はかかりそうだ。そこで2つ目の方法だが、なるべく早めに答えを見てその手順を頭の中で動かす。
この方法で毎日20問くらい答えを頭の中で動かしていれば効果があるのではと思ったりする。対局に置いての最終番はどちらの方が、詰む詰まないをよりはっきりわかっているかが大きい。
たぶん詰めろだろうと、わからないけど勘にまかせた手を、詰めろではないと読みきられて負けるというのはよくあることだ。ひとつの局面で詰む詰まないをしっかり読みきれるのはとても大きい。
もちろんプロ棋士でさえ同じなわけで読みきれない局面はある。
あくまでも現在の自分のレベルよりも少しでも上を、ということで考えている。「結果からの逆算が上達の為のキーワード」
将棋が上達するためのトレーニングメニューは沢山ある。
三大トレーニングといえば「実戦」「詰将棋」「棋譜並べ」いくら良いトレーニングメニューがあってもやらなければ上達はのぞめず論外といってよい。
ということでトレーニングメニューをこなすことが絶対条件だが、やれば果たして上達するのか?は大切だ。実戦が好きで毎日沢山対局しています、詰将棋を解くのが好きで毎日取り組んでいますという人は沢山いるだろう。
その中には「そのおかげで現在上達中です」という人もいるだろうが「全く上達していません」という人も多いかと思う。
上達していない人は「こなせば上達するというわけではない」ということが身にしみてわかるようになる。ではトレーニングメニューをこなしているにもかかわらず上達していない人達はどうすれば上達するのか?
同じことをやっていても上達はのぞめないのでトレーニングの内容を考えるのが大切になる。
「取り組む」→「結果を見てどうするか考える」ということになるが、上手く結果に反映されていない場合は試行錯誤でそれを繰り返すことになる。同じトレーニングメニューでも接し方内容を見直すというのもあれば、あまり取り入れてこなかったトレーニングメニューを取り入れるというのもある。
どんなトレーニング方法が良いのかは人によって違うが効果があったかなかったかは結果が教えてくれる。
(実際に行っているのなら「結果が教えてくれている」と思ってよい)玉の位置も書いてあった方がわかりやすい(書いてなくても多くの人は察しがつくだろうけど)
不可解な現象がいっぱいですね。
チャットに関しては自由対局でも会員なら自由に打ち込めるし、そうでない人でも定型文は出せるようになっているかと思います。
また対局はつながっているのに相手がログインしていないということはないと思います。
将棋道場から出ているのに通信はつながっているというのは考えられませんから。最近起こるようになった現象とのことですが、偶然にもそのようなことをする人とよく当たったのか?、それとも何かの不具合か?
相手からすると、こちらが投了なり切断しない限りはずっと差さないで待っていなくてはならない。
それよりもさっさと終わらせて新しく対局した方が良いけど、そうすると自分から投了なり切断をしなくてはならず、それも出来るならやりたくない。
そうなると、このような方法は選びにくい。
だとすれば何らかの不具合の可能性が大きくなる。
しかしこちらもかなり不可解で・・・・・コメントが出ると差さなくなるというのは極めて人間的で、不具合だったら、差すことが出来なくなると考えた方が方がよさそう。
となると、何故そんなコメントが自動的に出てしまうのか、出たら何故急に差すことが出来なくなってしまうのかという疑問が出てくる。
それも何故相手が不利になった時に限ってそういう現象が起こるのか、自分が不利な時には起きないのか。
と考えると、不具合ではなく相手の人がおこなっている可能性が強くなってくる。これらを合わせると、相手の人がおこなっているというのは、最近起こりやすくなった現象から見ても、相手の人も時間を無駄にするという点からみても不自然。
だったら不具合かといえば、何故相手の不利な局面になった時に限って起こるのかという点から見ても不自然。
でもタイムオーバーしても時間切れにならないことに関しては完全な不具合だし。ということで、中々説明のつかない不可解な現象です。
そうだ、「持将棋について」とありますが、実際は持将棋とは全く関係ないわけで、出てくるのが何故そのコメントになるのかも不思議ですね。
AIの評価値が映し出されるのは私も好きではないが、何がベストかを考えるなら、自分に取ってではなく観ている人全員が対象となるのは仕方がないところ。
AIの評価値が出てきてからは解説者も評価値を意識して話すようになったが、それ以前の解説者と視聴者の関係も同じようなもので、解説者の解説を信じていたのがAIの手順や形勢判断をより信じるようになったに過ぎない。
自分の頭で考えるにしても、解説者が予想手順を先回りして披露することが多く、先入観に捉われず読むことが出来る場面は少ない。NHK杯で解説者が「ここでこう差せば良かったのに」と言うと私なんかは「そうなんだ」と思ってしまう。
それを解説者が対局者達に感想戦でぶつけると、両者からその手は駄目だと烙印を押されることが時々ある。
一般視聴者からするとプロレベルの戦いは中々わからなく、その結果解説者の言葉に凄く影響を受けながら観るということになる。そこにAIの数値が加わったわけだが、大差の80%もあれば一手間違えば逆転の95%もあり、それはある程度の棋力があれば玉の危険度で判断できる。
また数値のみでしか判断出来ない人にとっても、急に大きく数値が変わることがあることを体験していけば驚き度も徐々に減少していく。
言い方を変えれば上手く評価値と付き合っていけるようになり、AIの評価値は評価値として人間同士の戦いは何が起こるかわからない、という見方になっていくということかと思う。仮に観戦防止の機能を作るとして設定をどうするか難しそう。
自分の将棋を観戦防止とした場合、対戦相手の将棋を観たいという人に対してはどうするのか?
対戦相手の意思にかかわらず自動的に観られなくするというわけにはいかないでしょう。
だからといって相手の方からなら観れるという風にすると、相手の方から入っていけば良いだけなので観戦出来てしまいます。
制限を個別にかければこの点は回避出来ますが、そんなことをされたらもっと怖くなる心配もしなくてはなりません。
ブラックリストは入れられても本人は気づきませんが、これだと自分がシャットアウトされたことがわかりますからね。タイトル保持者からすると藤井さんが挑戦者になられるのは嫌だろう、
しかし藤井さんに挑戦する方からすると、失うものは何もないわけだから、藤井さんに特化した作戦を考えぶつけるよいチャンスでワクワクするだろう。将棋の世界に盤石なんてない、女流棋界も里見、西山の2強時代で2人でタイトルを分け合っていたが、昨日加藤桃子女流三段が里見さんを破って清麗のタイトルを奪取した。
タイトル戦に出るような人達は相手がいくら強くても戦う前からあきらめるなんてことはない、いくら相手が藤井さんだろうが倒す力は持っているという自信の上で挑戦していく、それぐらいの気概がなくてはとてもトップにはたどり着けていない。豊島さんを「序盤中盤終盤と隙がない」と表現した名言があった。
トップ棋士の誰もが藤井さんを高評価しているが、この名言の後で語られてたように「でも負けないよ」という言葉が抜けてる。
強いのは認めた上で、それをどう倒すかというのが勝負の世界なので。 -
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