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証拠という言葉を持ち出すのは、それを出してもらわないことには納得がいかないということなんでしょうね。
よく書き込んでいる人ということなら、c.one.catさんは3つ目ですし、佐村河内さんも変えてます。
c.one.catさんは研究会詰将棋その他で沢山書いていますし、
佐村河内さんはハンドルネームを変えたことで時々書かれたり書き返したりしていますから、
両者とも嫌でも目立ちます。
なので私は変更に気付くのに別に注意はいらないレベルだと思いますけど(私はですが)
なので、別に隠すとかいうレベルのものでもないんですけどね、>prozacさん
だったら注意力不足ということで良いと思います。
この掲示板はハンドルネームを変える人が本当に多いね。
>○○さん宛てのレスが残るけど、そんな人はどこにもいない、当時使っていた名前も、全て新しい名前に切り替えられているから。「16勝1敗」
以前よく見ていたニコ生の生主が久しぶりに放送していたので見たら、16勝1敗だった。
24ではやっておらず他でやっていたとのことだが、15分をしっかり使い、もっと良い手はと常に捜し求め、
結果もこの通りだが、内容も多くが大差だった。ずっと同じ棋力だったのに、読みもしっかりしたし、用心深さも身に付けたし、まだまだ上がるだろう。
こんなことがあるんだなと非常に驚いた。
私がなるわけないじゃないですか。
当時小学4年だった子の方ですよ、既に20代も半ばくらいになってると思いますが。「その瞬間」の現在
↑で「その瞬間」で、小学4年の頃は「定跡を知らないなあ」といってたのが、
逆に定跡を教わり、抜かされたことを悟ったというようなことを書きましたが・・・・先日行われたアマ竜王戦県大会、優勝して今年の県代表になりました。
桂馬をはねるのではなく角を打つのですか、それなら納得です。
>megane-zaruさん
2二角への対応次第でしょうね、
場合によっては7二飛も有力になると思います。>hassi–さん
コメント希望とのことですが、手順はこれで良いのですかね、
私はわからなくて、推測であれやこれや変えてみたのですが、それでもわかりませんでした。角不交換型だけど、相手が交換に来てくれて有りがたいということですが、
角交換型にしたければ11手目に手損することなく角交換が出来たと思います。
それは後手が4二銀型だからで、これが3一銀型だと先手が7七角と上がったのと、
2二銀と手順に上がられてしまうので2手損ですが、
4二銀型ですと、2二金と取ることになり、手順に上がって得することは出来ません。
また金は壁金なので、どこかで1手かけて3二に金を戻すことになります。
結果手損なく角交換が出来、プロの将棋でも良く出てきます。mekuriyaさんが冒頭に書かれた▲6六角からの手順は、途中△7三銀ではなくて△7三桂だと思いますが、
最終手△5五銀と来れば当然▲同銀△同歩▲同角と進むと思います。
これが7三の桂取りになっており、飛車では防げないので角か銀を打って守ることになるかと思います。
そこで▲2四歩△同歩▲2五歩と継ぎ歩までは行くと思いますが、
角のラインが利いてる、4五歩が拠点になってる、継ぎ歩攻めも厳しい感じがします。
かといって5五銀以下は手順中変化も難しいので、後手がこれで自信が持てるかどうかですが。「終盤は駒の損得より速度」なのか?
将棋を始めたばかりの頃は、格言を覚えるのが簡単で有効だと思う。
「囲いは金銀三枚攻めは飛角銀桂」などは序盤の駒組みとしてとても役立つ。そんな格言の中に「終盤は駒の損得より速度」がある。
将棋経験豊富な人は今持ってるイメージで問題ないが、将棋を始めたばかりの人には落とし穴があったりする。
なのでこの格言を将棋を始めたばかりの人に教える時は、少しばかり注意が必要となる。将棋には序盤中盤終盤とあるが、終盤とは何?
戦いが王様を詰ます目的で、まわりの守り駒を狙いはじめたら終盤だと思うが、
それは全体の手数の3分の1くらい、30手40手あったりする。
ではそれが駒の損得より速度かというとそんなことはない。
終盤でもその多くは駒の損得がまだとても大事でそれが基本だったりする。
(終盤でも、端の桂香をとって持ち駒にし、戦力を高めるのがとても重要というのはよくある)この格言は、終盤でも双方どちらが先に玉を詰ますかという最終盤に威力を発揮する。
この辺りを、終盤だからと駒を損しながらどんどん王様に迫っていくと偉い目にあう。「将棋に強くなる本」
1979年初版で、私が持っているのが1989年33版、現在は何版まで行ってるのだろう。
私は将棋の本ではこの本が一番増刷されたのではと思っているのですがどうなのでしょう。前半が強くなるための考え方や方法が書いてあり、35年前の本なので古さは感じるものの、
現在でもそのまま使えます。
こういうのを読むのが好きなので、今でも時々ひっぱりだしては読んでます。強くなりたいと思っている人には是非読んでほしい一冊です。
>prozacさん
自分ではわかりやすくと書いているつもりです。
私のが他の人よりかなり長い文章になるのも、少しでも相手にわかるようにという表れです。
それだけ時間を割いて書いているわけですが、それでわからないのなら、それは私に能力がないということです。
いつもわかりやすく書いているつもりです、これ以上は無理です。
(追記は、終わっている段階でのことなので、くどくど書くのもと思い一言で終えましたが)抽象的になるのは、全ての事柄に共通していた方が理解しやすいだろうと思うからです。
今回は非常時とか特殊とか例外という言葉を使ってますが、
抽象過ぎて、これまでの流れを踏まえても、何をいってるのかわからないですかねえ。
わからなかったら乱棒ですが将棋をやってるどころではない状況と思ってください。>佐村河内さん
非常時まで、通常と同じ行動を取らなくてはいけないという人はいないと思うんです。
非常時にはそれに適した行動を取るのが一番だと誰もが思っているはずなんですよ。
そんなことは書くまでもないことだと思うのです。普通、特殊だったり非常時というのは例外なんだから、それらは外して考えるじゃないですか。
でもそれとは逆で、例外を持ち出して、それを参考に考えを進めているように思うのです。
この辺りは上で書いたばかりですが、例外を参考に考えを進めていったら変な答えにたどり着くと思いますよ。>megane-zaruさん
打った7四歩を一番活用させる手となると、7二飛のような手になるのでしょうね。
他には早くやるなら2二角とか8八角かなあ、
ゆっくりだったら7三銀から8四銀のような手はありそうです。その手順だと居飛車全く駄目ですね、
本で読んだのは、△7四歩に対して▲6七銀と下がり、そこで△7五銀と出れるのが、
△7五歩ではなく△7四歩の効果だったんですけどね。でもいきなり6五歩とされるとどうするんだろう。
感じは7七角成として、同飛か同桂かさせてそれで5三銀となんだろうけど、
そうなるようでは7四歩の意味がないですからね。
それは全く目指している変化とは違うので、6五歩にはどう対応するのでしょう、困りました。△72飛では△8六歩▲同歩を入れて△72飛もかなり有力視されてますね。
この辺りは居飛車が先手番なら青野さんの本でよく読んだ記憶があります。
それは△4一金型にしておくのが大切なところで、
7筋8筋で振り飛車側から攻められた時、居飛車側に有力な受け方があり、
そのあたりが詳しく載っていたように記憶しています。本譜は定跡に近い形で進んでいると思うのですが、
こういう展開はお互いがその先に自信があるということで選んでいるので、指していても怖いです。普通でしたら▲65歩でまだなじみの手順が続くんじゃないですかね。
そういえば思い出しました。
一時期△7二飛に変えて△7四歩と趣向を見せていた時期がありました。
次に7五銀と出る手をもくろんでいるわけですが、場合によっては相手の手を見て、
時間差攻撃で一手遅れて7五歩と突くような手を狙っています。
たしか将棋世界か何かで、屋敷さんがそんな手もあるようなことを書いていたんですよね。>prozacさん
”常識があって、場合によってはその常識に捉われないて良いこともある。”
この意図は何でしょうか。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
何事にも例外はあります。
他人を傷つける行為にも自己防衛という例外がありますし。
そういう特殊は例をサンプルにしてしまうと、答えも変なものになってしまいます。常識といっても、場合によってはその常識に捉われないて良いこともあるわけだから、
そういう特殊な例のサンプルは特殊という位置づけをさせて、
ごくごく普通のサンプルで考えるのが良いと思うということです。町道場だったら、その全体の対局で判断して、たったひとつの普通と違う対局を元に判断しないで、それは全体の中の1対局と捉える。
変換するとこんな感じかな。昔は居飛車側を持って、4六銀戦法やってましたがすっかり忘れました。
おまけに盤面が逆で、本で勉強したのはいつも居飛車が先手なので一手余計に入ってて・・・・わからないんだけど私だったら第一候補は▲9八香車かな、第二は一手早く備える意味で▲7八飛
その手以外だと▲4六歩かな。居飛車側はすぐ攻めてくる△7五歩かもう一手手を入れる△4二金か。
このあたりまでは綺麗なのでまだ定跡で、その中から何を選ぶのかということだと思うのですが、
居飛車の攻め筋は結構わかりやすいかな。これが居飛車ちょんまげ美濃の4六(6四)型だと、5筋を絡ませてというのもあったと思うけど。
消したのが載ってしまいましたね、
名前は載せないほうが良いというのは、私も同じ意見です。
書いた本人が否定的でなければ、「否定的メッセージ」ということにはならないとは思うけど。>prozacさん
それまでの展開、その場での雰囲気、そして事情等もあるかも知れないので、
現場にいてそれらを体験した状態でないと正確な意見はいえませんが、
それらをすべて取り去るという超乱暴な設定ということでのみいいますと・・・・・なごやかなのは良いですが、行為そのものは非常識です。
女流棋士の場合はそうだとしたらひどいですね
将棋の棋士が将棋を通じで何を教えるかがわかってないです。
もし何の設定もなしに私が真剣に次の手を考えてる最中に投了されたら、非常識だとはっきり言います。最後に一行書きましたがやはりそれはやめておきます。
prozacさんが非常識だと思わなくても、読んだ人が非常識だと思えば、その女流棋士の印象を悪くするだけですから。追記
常識があって、場合によってはその常識に捉われないて良いこともある。>prozacさん
”相手の手番で投了するのは意図的な反則です(棋譜にもしっかり反則と出ます)”
これは24のルールとして書いたものです
棋譜にもしっかり反則と出ますというのも、24の棋譜のことです
(「出ます」は誰かが書くのではなくて機械的に出る)
そこまで細かくは説明しませんでしたが。
それからここでは24のことを書きましたが、町道場でも、相手の手番で投了するのは反則行為だと思ってるけど。
(強くはいわないだけ)
ちなみに24の席主も、それを反則行為だと思ったので反則という扱いにしたのだろうと思います。それから「町道場には相手番で投了するなんて人はいません、非常識という共通認識があるので」というようなことを書きました。
それに対して「たまに見かけられる光景だった」ということですが、それはまだ常識が備わってない人だと思います。
たぶんその場で注意されるでしょうから、次からはやらないと思います。
私は20年近く町道場に通っていましたが、そういうのに遭遇した記憶はないですけど。prozacさんは「たまに見かけられる光景だった」ということですが、それは見ていた対局がそうだったということなんですかね、
それとも、対局をしてたらトラブルがあって騒がしくて気が付いたんだけれども、
それが相手番で投了するというトラブルだったというようなことだったんですかね。
たまというのが全体対局比率のどれくらいだったとか、周りが気付くほどのトラブルだったのか、
静かで対局を見ていた人にしかわからなかったのか、
そういうのでも、常識度、絶対やってはいけない度というのが計れると思います。将棋でも何でもそうですが、常識を初めから備えてる人なんかいないですからね。
赤ちゃんの時は何も常識なんてわからない、将棋を始めたばかりの人だって、常識と言われたってわからない。
だけど世の常識、将棋の常識とされるものがあり、誰もがそれを少しずつ身に着けていくわけです。では最初は誰もが身に着けていないとして、何が常識なんだ、ということになります。
「たまに見かけられる光景だった」ということですけど、ほとんどの対局は自分の手番で投了していたんじゃないですかね。
では、何故ほとんどの人は相手番では投了しないのですかね、ルールで定まっているわけでもないのに。
それは、相手に手番の時に投了してはいけないというのが常識になっているからなのではないですかね。過度に一般化するといいますが、町道場の全体対局比率からどちらの手番で投了しているかを想像すれば大差だと思いますよ。
それは何故かといえば常識となっているからで、私は常識で問題ないと思いますけど。>prozacさん
私の書いたのは私の意見です、
それがごり押しかどうかは読み手の人達がそれぞれ判断してくれれば良いです、それでprozacさんの書いたのはprozacさんの意見です。
それが王手放置では私と意見を同じくし、相手の手番では、意見が異なったということに過ぎません。
また人が変われば、両方とも「そんなに失礼な行為ではないよ」という意見の人もきっといるでしょう。
「王手放置がもはや将棋ではないなんて、正義の押し売りだ」という人もいるかも知れません。
それはそれで個々の意見です。相手の手番で投了するのは意図的な反則です(棋譜にもしっかり反則と出ます)
公式ルールが存在しないのに、頭ごなしに否定するのはいかがなものかとありますが、
それはその内容によるんじゃないですか。
例えば公式ルールにないからといって、将棋の定跡書を読みながら指すのは駄目でしょ、
それを道場でやってたらつまみ出されると思いますよ。人と人とが実際に向かい合って対局している時に、相手の手番なのに投了するなんてないですよ。
いくら負けを認めていようが、合理的だろうが、そんなことをする人はいないですよ。
それぐらいあり得ない行為で、それはそれくらい非常識という共通認識が、
そういう現状を作り上げているのだと思います。「終盤の鬼」
終盤をテーマにした次の一手集で、5級~5段までと書かれていますが、難易度はかなり高いです。
難易度の高い理由は複合にあるのですが、それを二つのわかりやすい局面に分けて説明しているのが特徴です。
それが出題の時点で「ひとくちメモ」という形で載ってるので、
「こうやって分けて考えれば良いんだ」と思うようになるし、実際にそれをヒントに答えを考えることが出来ます。
「終盤の鬼」(森信雄著)「勝ちにいく!詰将棋ドリル」
1~5手詰めの初心者、初級者用の詰将棋ドリル
似たような形が沢山出てきて、一箇所違うだけで王手する場所が違います。
詰将棋の最後の一滴のエキスだけが詰め込まれている感じで、算数の九九を最初から唱えていくのと同じで、
すべての詰手順を網羅してある気がします。
有段者にも日頃の簡単なウォーミングには最適です。
412問あります。
「勝ちにいく!詰将棋ドリル」(森信雄著)「故意の反則」
「故意の自爆王」ということで先日も載ってましたが、今日もトップページに、
「故意に続けてる方は会員停止対象になります」と載ってます。私は24で10000局以上指してると思いますが、たぶん5~10局くらいしかそのようにされたことはないと思います。
王手されてることを承知で王手をかけてくる、又は攻めてくる、それは将棋じゃないです。
そういう反則であり、相手に対して失礼なことを意図的に行ってるわけですから、最上級の罰則、会員停止は当然です。罰則としては当然として、「意図的に行っているのが、それくらい将棋としてはあり得ない最上級の反則行為なんだ」というのが重要ですね。
そんなのは言われるまでもなく、行ってる人はそれがわかった上での行為だとは思うのですが。もうひとつ故意の反則で「相手の手番なのに投了する」というのがあります。
例えば飛車取りに気付かず、指した直後に気付いてそのまま投了ボタンを押すとかね。
これもひどくて王手を無視して指すのと同じレベルの、最悪の反則行為です。両方とも「相手に失礼」「将棋に失礼」「将棋を指す資格なし」と言われても、一言も弁解出来ない反則行為です。
今回はこれ以上下はないというほどの、次元の低いレベルでの話でしたが。
>佐村河内さん
「万人が理解できるような丁寧な書き方をする必要はない気もします」というのが今回の書かれた結論ということになるかと思うのですが・・・・
私が『壁』で言いたかったことは、
”確かにあなたはそうかもしれないけど、他の人はまた別なんです”の部分。
誰もが一律に同じじゃないんだというところで、これが私の主張部分です。それに対しての佐村河内さんの意見が「万人が・・・・」による書き方の問題だったら、そこには接点がないです。
「ひとりひとり違う」と言ってるのと、「500とか1000は自分の経験から数字を出しているだけにすぎない」と言ってるだけで、
書き方に関しては何も言ってはいないと思うので。>佐村河内さん
「私は1000までスラスラいったのですが、そこで壁に当たりました」というような体験談は参考になるのですけどね。
それが、だからといって「誰でも1000までスラスラ行く」という言い方になると、それはかなり違う。
それで将棋倶楽部24で経験のある人は「それは人それぞれなんじゃないの」ってことになるけど、
レーティングとかを知らない人は「そうなんだ誰でも1000まではスラスラ行けるんだ」と信じちゃう。
(知らないと「そんなことあるわけない」というのも、信じてしまうことはかなりある)病気の方だと「私の家族はこうなりました」というのが体験談、
「どの家族もこうなるんです」というのは自己中心的。>prozacさん
この5年間で将棋倶楽部24のRのインフレ・デフレがどうなったかといえば、ほとんど変わっていないと思うので、
それは「結果がすべて」と評価しますけど。
Rが落ちる要素は色々あるので、何が原因かはわかりませんが、何かが落ちていることは確かでしょう。prozacさんの将棋のことを私は知りませんから、将棋倶楽部24のRがどうなっているかくらいしか、私は判断材料が浮かばないです。
それに対してprozacさんは、それはこういう理由だとか、自分のことなのですから判断材料は沢山あるはずです。
それらを判断材料として評価したら良いのではないですかね。
何も変わってないけどRだけが落ちたということはないですから。「壁」
誰かが、「誰でもR500くらいまでは行く」という。
他の人が「誰でもR1000くらいまでは行く」という。
また他の人が「誰でもR2000くらいまでは行く」という。
またまた他の人が「誰でもR2500くらいまでは行く」という。しかしその裏には「でもそこから先は大変だよ」という言葉が隠されている。
ではいったいどのくらいのRまで行って、どこから先が大変なんだ。
何のことはない、皆が自己中心的で、自分が壁だと思った場所を言ってるに過ぎない。
確かにあなたはそうかもしてないけど、他の人はまた別なんです。
確かにあなたはそうかもしてないけどというのは、色んなところで感じる。
「結果がすべて」
ギターの話で恐縮だが今年はギター講座に4人の入会がありました。
思い起こせば10年前、周りはほとんど初めてギターを持つという超初心者ばかりでしたが、
その中に上手な人が2人いました。
そして10年後どうなったかというと・・・・・・
超初心者達は腕はまだまだですがそれなりに上達したのですが、その2人は未だに全く変わりません。
いわゆる進歩がないというやつです。将棋が上達する為にはそれなりの努力が必要です。
ではその努力のほどはどこで計るかというと、上達度です。
1年前に比べ、2年前に比べ、5年前に比べどれくらい上達したのか?
将棋倶楽部24でいえば、レーティングがどれだけあがったのかいくらこれだけ勉強してますといっても、結果が伴わなければ勉強が足りないということになります。
いくら強くたって伸び率0でしたら、弱い人がレーティングを200点挙げたとしたら、
その人の方が素晴らしく、また頑張った、勉強したということになるわけです。これは他人がそのように評価するということではありません。
自分がその二つを見比べてどう評価するのかということです。例えば私が毎日将棋の勉強を2時間してたとします、もう片方の人が30分だったとします。
一年後自分が伸び率0で、もうひとりの人が200点あげたら、
自分は何も力をつけなかった、もうひとりの人は200点分上達したとなるわけで、
2時間勉強した自分に対しては、「もっと考えた方が良いんじゃないの、勉強が足りない」となるわけです。それはRが2500くらいまで行けば伸び率も落ちるでしょうが、
そこまでは500であろうが1000であろうが2000であろうが皆同じです。
Rが上がった人の方が頑張った、勉強したとなるわけです。ここまで一応他人と比べるという形を取っていますが、問題は自分自身です。
1年前と比べてRがどれだけ上がったのか、2年前とは、5年前とは・・・・・私の場合はそれが10年前とは、20年前とはという恐ろしく長い期間での比較で、
それはすなわち「ほとんど上達していない」ことを意味するわけで、
ギターの2人と同じです。周りは確かに自分よりまだ弱いかも知れない、でも上達している。
しかし自分はどうか?その答えはレーティングの点数が教えてくれてるわけです。
結果が全てです。
>megane-zaruさん
自分のオリジナル戦法が出来たら、より楽しくなると思います。
意欲さえあればきっと出来るんじゃないですかね。『盾と矛』
例えば、四間飛車戦法という本があり四間飛車破りという本があったとして・・・・
共通しているのは、どちらも片側から見ていること、
そして先手番で書かれているケースが非常に多く、有利な結論になることが多いこと。それが当たり前とされているけど
どちらの側からでもなく、中立の立場で書かれているのが良いのだけれど。>koukouheiheiさん
「寄せの手筋200」は金子タカシさんの本で、他に「凌ぎの手筋200」と「美濃崩し200」があります。
私はその前身の「寄せの手筋168」「凌ぎの手筋186」「美濃崩し180」を持っていますが、どれも良い本ですよ。
ちなみに専門誌『将棋ジャーナル』の付録だったものが1冊の本としてまとめられたもので、付録もみんな持っていました。
ところが本を買ったことで付録の方はみんな処分してしまいました。
持ち運びに便利で、今思えばもったいないことをしました。「越されるもあせることなく一歩ずつ」
とにかく一歩ずつの積み重ねが大切です。「残念も敗局こそが我が師なり」
負けた将棋は本当に良い勉強材料になります。>一目散右玉は、一目散棒銀にスピードで負けるが、棒銀側が玉に手をかけて右玉が間に合うなら、棒銀には右玉が有効。
>一般にアマチュアは、「棒銀は右玉の天敵」の方の展開になる事が多いが、プロは「棒銀には右玉が有効」の方の展開になることが多い。
どこのレベルの将棋の話を書いているのか?という気がします。
一目散右玉って、相手を全く見ないで一目散に右玉に囲うレベルの将棋でしょ。
これに沿って捉えると、「一般に、棒銀は右玉の天敵」は、アマチュアレベルの話なんでしょ。サンプルとしてあげてるのが最高峰の戦いだったら、プロレベルの解釈の元に書くのが普通です。
それが何で一目散右玉というような次元の低いことを元に「棒銀は右玉の天敵」だと書くのかがわかりません。
プロの将棋なんだから「棒銀には右玉が有効」と書くのが普通だし、
仮にアマチュアレベルのことで書くのなら、当然アマチュアレベルのことだと注釈をつけないと、
プロの棋譜をサンプルにしているのですから、読んだ人は間違えて覚えるだけです。それから『一般にアマチュアは、「棒銀は右玉の天敵」の方の展開になる事が多いが』そのものも、
私はそんなことはないと思っています。
棒銀側は相手が腰掛け銀模様だと、攻めてこられる心配がないので、攻めは後回しにして囲いに手をかけたがるものです。
(相居飛車戦ではそれが常識ですから)
そうなると右玉が有効となり、このあたりはプロと同じです。
ほとんど囲わないで攻めていくのは、腰掛け銀模様の相手には少ないと思います。>一般に、棒銀は右玉の天敵、穴熊は右玉の天敵と云われることも多いのですが
26手目の解説でも触れていますが、棒銀には右玉が有効というのが、私は世間一般のイメージだと捉えていました。
本譜でも先手の棒銀を見て後手は右玉を選択しています。
そして先手は後手の右玉を見て棒銀をあきらめ、銀を4筋に組み替えています。角換わり棒銀戦法はとても優秀でしたが、いつの間にか消えました、
その大きな要因のひとつが右玉の出現だったのではと思います。それが後手の一手損角換わりで、先手が通常より1手早く攻められることで復活しました。
一手損角換わりは良く知りませんが、本譜を見ると、1手遅れていても棒銀には右玉が有効なんだろうなという気がしました。「棋力は積んだ努力に比例する」
「対局は意気込み七分に素が三分」
「あわてるな すぐ指す前に四隅見て」
「詰将棋一日5問トライして」
「劣勢もひねれば何か浮かぶもの」
「勝敗は常に一手の違いなり」
『将棋上達の為の川柳』
そんなのがありまして、読んでると結構面白くて、勉強させられたりもします。
書いてあることは普通のことなんですけどね、その普通が・・・・・・
例えば「二歩」がお題の川柳がありまして、
「歩を打つときは、二歩かどうか確認してから打ちなさい」というような内容のことが書いてあるんです。
でもこれって誰でも確認してから打ってますよね。
だけどこれまで二歩を打ったことがない人というのは少ないと思うのです。
その時に、しっかり確認してから打ったのかというと、そうではないんですね、その時は確認していないのです。大体の場合は確認するけど、時々は確認を忘れるときがあるのです。
それでも運良く二歩でない場合もあるのですが、即終了というのも中には出てしまいます。それでこの川柳の言いたいところは、
大体では駄目です、歩を打つときは、常に二歩ではないかの確認をするレベルまで持っていきなさい、という教えなんです。
それを川柳にして覚えれば、忘れにくいのではないかということなのです。というわけで、そのままその川柳をここで使うのも抵抗があるので、同じ意味のを作って・・・
「二歩怖い 歩を打つときは 注意して」
歩を打つときはこの川柳を思い出して、二歩を撲滅させていきましょう。
何のために棋譜並べをするかの目的は、人によって違うでしょうね、
目的が違えば並べる方法も違う、並べようとする棋譜も違う。koukouheiheiさんは何故自分のよく指す戦型の棋譜を並べようと思ったのか?
そこにkoukouheiheiさんなりの「何のために棋譜並べをやるのか?」の答えがあります。また「どうも大局観というものが鍛えられるらしい」という知識を得たならば、
いったい大局観とはどんなものなのかというのを調べ、その大局観にも心を配って並べたらよいと思います。そして実際に棋譜並べをすれば、そこでわかってくることも沢山あると思います。
掲示板で質問すれば話題を提供することになるし、読んだ人の参考にもなりますけど・・・・
これくらいの質問、ネットで検索すればすぐ多くの情報が得られます。
そのあたりを省略して質問するくせがつくのと、わからなかったら自分で調べるくせが付くのでは、将棋上達に置いては大差です。
将棋に限らずあらゆる上達に置いて大差なんですけど。羽生6冠が、7冠制覇をかけ谷川王将と戦った阪神淡路大震災のあった年、
谷川王将に破れ、7冠制覇はなりませんでした。
しかしその年、全てのタイトルを防衛、翌年再び挑戦者となり、7冠制覇を達成しました。その確立ですが・・・・・
2の6乗が64 王将の挑戦者になる確率7分の1 王将を取る確立2分の1
64×7×2=896
これだけで確立は896分の1です。
itomakotoさんの棋譜ですが・・・・・
21手目2九飛車と引いてまして、ここで右玉の可能性がかなり高くなっています。
それに対して本譜は銀がとんどん前にいって8筋を攻めていますが、私はまず矢倉に組んでみたいです。
これは自然な手なので相手も右玉を目指すでしょうが、そうすると3七桂、4七銀は守備駒なので、
その駒で攻めてくることは出来ません。
そして3筋4筋に駒を集中させ、あわよくば飛車も4筋に回して、相手の銀、桂の囲いを直接つぶしに行ってみたいです。こういう構想を描けるのも早く飛車を引いたからで、
右玉とわかれば、何も玉から遠い飛車先から攻める必要はないですからね、
幸い飛車先も1つしか突いてないし、右銀も中央に使えますから。
この段階で右玉だと教えてくれて、その通り来てくれれば、自信がある局面になりそうです。この漫画1話だけですが、どういう過程を経て見たのかわかりませんが、見た記憶があります。
漫画は、今回のとは先後が逆で飛車先が突いてあるんですね。
△6七角に▲7七桂ですか
狙いがないと指せない手で、狙いもあり戦法という感じはします。
しかし実際の手としては、こう指してくれればありがたい気がします。
漫画では銀を上がり5五に角を打たれ「あっ!」ということになってますが、
この辺りは序盤では常識なので、これを食らうのは、それなりのレベルの人達かと思います。▲7七桂なら△2二銀~△3三銀という感じで、まずは心配をなくす手を指してみたいです。
それで十分という気がするのですが、どうなのでしょうね。この流れだと△7四角成に▲6五角△同角▲同歩△6七角と進むのですかね、
それとも、それは良くないから△7四角成とされたところで一段落なのですかね、
いずれにしても▲3八飛で形勢判断は中途半端という感じがします。先手だけが歩を進めていますが、これが突いてある方が良いのか、突いていない方が良いのか。
先手の歩だけが前に進んでますが、途中の段階は何度か後手が角を手持ちにしているので、
手持ちの状態で囲い合いになると、先手は神経を使いそうな気がします。例えば、4五角成、3六角、同馬、同歩で、ここも歩が前に進んだわけですが、
この段階だと、後手が居飛車でくれば角を持たれているので、先手は美濃囲いくらいですが、
3六歩と突いてしまっているので、結構気持ちが悪いです。
また後手が三間飛車にすると3五の地点が争点になりやすく、
こちらも先手は囲い方に悩むように思います。仮に△7四角成まで進んだとして、先手は7七、6七、4七、3七と4箇所空間が空いています。
これをdaigorou348さんは先手の駒ばかり働いており、その点に置いては有利と見ているようですが、
私はスペースが空いた為に、陣形のまとめかたに苦労する、神経を使う将棋とみます。
(後手が角を手放していても、やはり神経は使いそう)それから飛車が7八に行き、今度は3八に行きで、居飛車にするのか振り飛車にするのかも、
後手に振り回されて、それすらも決められない将棋にさせられているのも気になります。
それと馬を消し続ける手を指し続けていますが、結局は馬を作られるという展開も、
イマイチという感じがします。誤:後手からの7五桂が怖くて
正:後手からの7六桂が怖くて
『わな』
本格的にレーティング戦に復帰して25局ほど、
いきなり5連敗とRを落としたが、その後は何とが五分の成績を残している。
それにしてもギリギリを拾った将棋の何と多いことか、運も味方しての五分である。今回の将棋もこれまた厳しい将棋で、急戦向飛車、どちらかというとメリケン向飛車に近い感じで一方的に攻めてきた。
それを相手の一瞬のミスで上手く駒得に持ち込み有利に。
しかし攻めあぐねているこちらに対し、ギリギリの駒なのだが相手の攻めが利きそうで、こちらはそれを受ける展開に。
そんな中、手を抜くチャンスがあったのですがそれに気付かず次第に防戦一方に。
そしてしまいには支えきれず、玉の早逃げという状態になってしまいました。
ここでは完全に逆転されています。
ですが、そこからこちらも、そして相手も意表の手を繰り出して、6転7転という将棋になりました。そこで向かえたのが下図で、最終手は△8五金と桂馬を取られたところです。
ここで▲6五飛の両取りが目に映りますが、後手からの7五桂が怖くて打てませんでした。
そこで実際は、受けるだけの手なのできっと悪手だろうと思いつつ▲7七香と受けました。ただし、この時に私が描いていた理想的な局面がありまして・・・・・
香車を打ったことで今度は▲6五飛があります。
そこで後手は、それを避けつつ攻撃力を一挙にあげる△5六馬が一番自然のように見えます。
しかし、私が理想として描いていたのがその局面でした。実際に後手は△5六馬としまして、
それに対し、▲5四馬とし、以下光速で詰ましました。ちょっとわなを感じさせる一局でした。
76歩34歩66角はごく普通に指すと、同角同歩67角となると思いますが、
こう進んだ時はどんな手を用意していますが?最初に、角換り将棋の場合、28、27、25と行くのが棒銀で、28、37といくのが早繰り銀なのですが、
そこから46銀と出るのは早繰り銀として、26銀と出るのは棒銀という扱いもしているようです。
角換りの将棋に関しては早繰り銀という名前があるので、そこは明確に分かれているのかと思っていましたが、
どうやら私の認識不足だったようです、すみません。棒銀に対しては右玉が有効な戦法なのですが、ここまで早く来られ次に△9五歩とされると、
右玉は間に合わないような印象は受けます。
なのでその場合は右玉にこだわらない方が良いのかも知れません。ただし、棒銀に対して腰掛け銀模様で組んだ場合、腰掛け銀模様の方から早く攻める手がありません。
ですので、棒銀側はそれをみこして、玉をもう少し囲ってから攻めを決行するというのがよくあるパターンです。
それで、囲いに手をかけてくれれば、腰掛け銀模様側も右玉に手を作りやすくなります。中には、少しだけ囲いに手をかけて攻めてくるという場合もあります。
それを視野にいれた駒組みということで、ひとつだけですが有名な棋譜がありますので紹介します。
飛車をすばやく4二に持っていく差し方で、この指し方は知っておいて損はないと思います。
飛車を4筋に持っていくことで、銀の動きをけん制するのは、先に紹介されている対策と同じですが、
こちらは飛車をすばやく4二に持ってこれるというのが特徴です。>itomakotoさん
mekuriyaさんの紹介したのは先手角換わり棒銀の棋譜です。
そしてitomakotoさんが棒銀として紹介しているのは、角換わり棒銀ではありません。
3七の地点から銀が出ているので、早繰り銀の変形だと捉えた方が良いと思います。mekuriyaさんは棒銀に対し、飛車を4筋に回ることで銀をバックさせるという対策の棋譜を紹介しました。
(細かくいえば、右玉にしようとする前の状態での対策ではなく、右玉にしてからの対策ですが・・・右玉に囲う時間があった時の対策ということです)
これは確かに対策でしたが、itomakotoさんの求めるものではありませんでした。
そういう意味だけで捉えれば、参考になるものではなく、それは無駄な行為、時間の浪費でした。では何故そんなことになったのかといえば、itomakotoさんが求めるものをしっかり書いていないからです。
「たとえば銀交換したあとや角銀交換したあとなどの対策です」とありますが、
それを知りたいのなら、そのように書かいていただかなければ誰もわかりません。
質問者の為と思い書き込んだのが的外れだとして、無駄に時間を使わされたのは回答者の方です。質問者の問いに私がイメージしたのは下図のような局面でした。
下図は右玉も視野に入れた駒組みですが、それに対し、後手が棒銀の速攻で来るという、よく出てきそうな局面です。
右玉にしようとする前に棒銀で来たわけで、質問者の書いたことと一致しています。しかし質問者が例として出された棋譜を見ると、21手目には▲2九飛と右玉の第一歩の手を指しています。
右玉にしようとする前に銀が出て来られるどころか、この時点で銀はまだ眠ったままです。
そして27手目▲4八玉で右玉が完成、後手の銀が本格的に攻めを見せたのは28手目の△8四銀からです。このサンプル棋譜を参考にさせていただくなら、「右玉にしようとする前」ではなくて、「右玉にした後」と書いてもらわないと困ります。
「右玉にしようとする前」ではなくて「右玉にした後」だし、
知りたい部分も「銀交換したあとや角銀交換したあとなどの対策」だというし、
私は、最初に質問として書いていたことと、質問者が実際に知りたかったことが、
全く違っていたなという印象を受けました。▲7六歩 △8四歩 ▲2六歩 △8五歩 ▲7七角 △3四歩
▲8八銀 △3二金 ▲2五歩 △7七角成 ▲同 銀 △2二銀
▲7八金 △3三銀 ▲4八銀 △7二銀 ▲4六歩 △8三銀
▲3六歩 △8四銀 ▲9六歩 △9四歩「誰にも見えていない未来がみえた」
四間飛車戦法の本が四間飛車側から、四間飛車破りの本が居飛車側から書かれているように、
ボビーフィーシャーの生涯も、テレビの作り手側からの角度で描かれており、それが米ソ冷戦なわけですが、
2001年米国で起こった同時多発テロ関連でのボビーフィーシャーの発言を聞くと、
本当にボビーフィーシャーのチェス人生は米ソ冷戦の渦に巻き込まれた中にあったのだなと感じました。私も詰みが見えたら対戦相手に言ってみたいなあ。
「君に見えていない未来がみえた」と。 -
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